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眠りにつけない南の島…4・3‘悲劇の歴史’証言相次ぐ

登録:2014-03-30 22:09 修正:2014-03-30 23:45
[現場ズームイン] 済州(チェジュ)4・3追加真相調査の2年
済州市(チェジュシ)奉蓋洞(ポンゲドン)の済州4・3平和公園にある行方不明者の標示石の様子

 2003年10月、総理室傘下の済州4.3委員会が<済州4・3事件真相調査報告書>を出してから10年余りの歳月が流れた。 だが、4・3の真実は調査すればするほどさらに出てくる。 2012年5月から済州4・3平和財団次元で追加真相調査が行われている。 追加真相調査の現況と課題などを調べた。

 春を促す雨が降った去る25日午後、済州の中山間の村である西帰浦市(ソギポシ)表善面(ピョソンミョン)兎山(トサン)1里の老人福祉会館。 ハラボジ(おじいさん)ハルモニ(おばあさん)が三々五々集まって談笑を交わしたり遊んで時間を過ごしていた。 済州4・3平和財団4・3追加真相調査団専門委員として活動しているキム・ウニ(48)、オ・ファソン(44)氏が4・3関連調査をするために会館を訪問すると、ハラボジ、ハルモニたちの目が注がれた。

 兎山里(トサルリ)は4・3当時、18~40才の青壮年がまとめて犠牲になり‘無男村’と呼ばれた村だ。 1948年12月18~19日の二日間、軍人らによって表善白砂浜に連行され虐殺された兎山里住民は125人(男101人、女24人)に達する。

 4・3財団から来たという声にソファに座っていたキム・イムチョン(77)氏が専門委員が席に座る前に「何年か前に犠牲者申請をしたが、どうなっているか」と尋ねた。専門委員は「村別被害実態を調査している」として、調査目的を説明した後に年配の方々を相手に 「この村に申告されずにいると思われる人がいらっしゃいますか」と遺族たちの話を漏らさないために何度も尋ねた。

 当時18才だったが、実際の年齢より2才少なく戸籍に記録されていて奇跡的に生き延びたチョン・ウィムン(83)氏は、兄が犠牲になったと話した。 彼は「私たちの目の前で大勢殺した。 その時は私も殺されると思った」と回想した。 その隣にいた遺族は「父親と三人の兄弟が亡くなった」と話した。 8才だったキム・ビョンウ(74)さんは 「幼い年齢だったが当時のことを忘れられない」と話した。 「今までどのように暮らしてこられたか」という専門委員の話に、まるで約束でもしたかのように「村人が犠牲になった理由が今でも分からない。 それが悔しい」と話した。 専門委員のこの日の調査は2時間余りにわたって行われた。

済州4・3平和財団追加真相調査団が、2012年5月から今までに行った村別被害実態調査結果を記録した報告書草案

■ 追加真相調査 どのようにするか?

 済州4・3平和財団(理事長イ・ムンギョ)が推進する追加真相調査事業は、2003年10月に総理室傘下の済州4.3委員会が発刊した<済州4・3事件真相調査報告書>以後、10年余りにわたりなされている作業だ。 この間に追加調査の必要性が提起され、2012年5月に追加真相調査団(団長パク・チャンシク)を設けた。 調査団は団長と専門委員5人、補助員3人で構成された。 追加真相調査団の調査期間は来年4月までの3年が予定された。 調査団は朝天面(チョチョンミョン)旧左面(クジャミョン)、城山面(ソンサンミョン)の村別被害実態調査を終えて、表善面(ピョソンミョン)に対する調査を行っている。 証言者278人と犠牲者および被害事件3290件を分析した。

 追加真相調査作業は当時の行政区域により済州道内12ヶ邑・面の165ヶ村を対象に村別被害実態(犠牲者および犠牲事件)に対する全数調査を中心になされている。 キム・ギョンフン(52)専門委員は「当時の真相調査報告書が済州4・3事件の総論を扱った性格だとすれば、今なされている追加真相調査作業は各論的性格を帯びている」と話した。

 調査団は済州4.3委員会と済州道議会に提出された申告書、1960年代国会良民被害実態調査報告書などに表れた犠牲者実態を作成し村別に分類作業をした。 引き続き、村誌などの文献資料と2003年報告書、4・3関連資料などを検討した後に日付別、犠牲者別(討伐隊または武装隊による犠牲)に分類し基礎資料を作り、現場調査を通じて村別被害実態を把握してきた。

 チョ・ジョンヒ(38)専門委員は「村別被害実態調査を行えば、村毎の4・3の開始と終わりを知ることができるようになる。 行方不明者の場合には行方不明の類型までも分類するが、このような作業が終われば村別の4・3被害実態が一層正確に明らかになる」と伝えた。 キム・ウニ専門委員は「済州4.3委員会に申告した申告書の誤りもかなり明らかになった。 例えば討伐隊によって犠牲になったり、銃器誤射事故など自分の誤りで犠牲になったのに武装隊によって犠牲になったとしていたケースもあった」と話した。

■ 新たに明らかになる真実

 追加真相調査団が村別被害実態を調査して新たな事実も明らかになっている。 1948年12月に起きた朝天面のいわゆる‘自首事件’は管内全地域を対象にした事件であることが明らかになった。 この事件にかかわって朝天面住民100人余りが当時、済州邑アラ里 パクソンネ(乾川)で銃殺され、36人は軍法会議に付され内地の刑務所に連行された後に行方不明になった。 調査団はこの事件が9連隊の‘亡命工作’という意図的作戦としてなされ、特別部隊まで編成されていた事実も明らかにした。

 また、1949年1月17日400人余りが亡くなった北村里(プクチョルリ)大虐殺事件は、2連隊第3大隊長であるチョン・某大尉の指示によりなされた事実が今回の追加調査で確認された。 2連隊長が虐殺事件を後になって知り、命令を下して銃殺が中止されたというこれまでの‘事実’とは違う証言も確保した。 日帝強制占領期間にチョン大尉と満州の関東軍部隊に一緒に勤めた経験がある北村里近隣の村の青年団長の銃殺中止要請をチョン大尉が受け入れて中止したということだ。

 これと共に警察と教師の努力で新村里(シンチョンニ)住民たちを生かした事実も明らかになった。 1949年1月19日、新村国民学校(小学校)が武装隊の襲撃を受け焼けるや、2連隊3大隊の軍人らが住民たちを学校に全員集めた後に機関銃で撃とうとしたが、朝天支署のキム・スンチョル巡査(西北青年団出身)が「俺に向かって撃て。 俺が責任を負う」として、キム・チド巡査、新村国民学校のチェ・ジョンチョル教師などと共に住民たちを救命したと調査団側は明らかにした。

■ 追加真相調査の問題点

 追加真相調査団の最も大きな悩みは報告書が出た後の活用問題だ。 総理室傘下の済州4.3委員会が報告書を作成するのではなく、4・3財団が作成した追加真相調査報告書が果たして真相調査報告書として認められるか否かは不透明な状態だ。 チョ・ジョンヒ専門委員は「追加真相調査報告書が出た後に、これを活用する計画がまだない。 総理室傘下の済州4.3委員会が追加真相調査報告書を追認すれば良いが、調査団が活動した2年間、この問題に対する真剣な議論がされていない」と話した。 調査団員の身分問題もまた、報告書の公信力問題と関連がある。 キム・ギョンフン専門委員は「追加調査団の地位が委託事業、または委託研究水準なので、公信力を持てるか疑問」と話した。 これと共に、3年で追加真相調査を終えると日程を定めたことにも限界があると指摘されている。 調査団が時間に追われ、ややもすれば調査が粗雑になされることもありうるためだ。

済州/文・写真ホ・ホジュン記者 hojoon@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/area/630517.html 韓国語原文入力:2014/03/30 20:45
訳J.S(3273字)

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