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[現場ズームイン] 「光州の無名の青年たちが書いたといえば誰が記録を信じるか?」

登録:2014-02-02 23:02 修正:2014-09-05 17:42
29年ぶりに執筆者たちが明らかにした‘越えて越えて’ 出版秘話
先月25日、光州市(クァンジュシ)東区、錦南路(クムナムノ)の旧全南(チョンナム)道庁が見下ろせるカフェで<死を越えて時代の闇を越えて>(1985・プルピッ)増補版刊行委員会委員が話を交わしている。

 表紙に1985という数字が記されていた。 光州(クァンジュ)広域市、東区、忠壮路(チュンジャンノ)にあった旧㈱ファニ百貨店の1985年業務日誌であった。 色あせたノートを広げると1980年5月18日から27日明け方まで、5・18抗争に参加した人々の記憶を几帳面に記録した取材内容が記されていた。 ‘道庁’、‘マイク準備’、‘決起大会’、‘闘争委員会’、‘武器奪取’、‘空輸部隊’等の単語が目に飛び込んできた。 抗争最終日の明け方、死の前に投げ入れられた人々がした話も取材手帳に残った。‘銃を撃つことはできなかった。 物体が見えなかった’、‘部屋の中にいる暴徒は全員銃を捨てよ。 七つ数える間に出てこなければ手榴弾を投げる。’

 "警察に捕まっても分からないようにしようと取材した人々の性を書かず名前も前後を入れ変えました。" 先月29日、光州東区 錦南路の古典音楽鑑賞室ベートーベンで会ったイ・ジェウィ(58)全南ナノバイオ研究院院長は5・18民衆抗争参加者をインタビューしながら書いたノートを報道機関の中では<ハンギョレ>に初めて公開した。イ院長はファン・ソギョン作家が記録したと知られている<死を越えて時代の闇を越えて>(1985・プルピッ)の執筆者だ。 <越えて越えて>と呼ばれたこの本は、80年光州で起きた10日間の状況を体系的に記録した最初の公式出版物に挙げられる。 業務日誌の中には‘光州民衆民主抗争史記述上の留意事項’ 37項目などが書かれた紙3枚も挟まれていた。 「ん? 私の字だね。オイ、これがまだ残っていたよ。」 チョ・ヤンフン(58)私たちの植物研究所所長がノートを広げて見ながら笑った。 イ院長たちはこの日、80年5月当時に市民軍闘争委員会外務担当副委員長だったチョン・サンヨン(64)前国会議員、チョン・ヨンファ(61)光州全南民主化運動同志会常任代表、チョ・ポンフン(62)前光州市会議員、チェ・ピョンジ(62)障害者生産品販売支援協会事業本部長、チョン・ヨンホ(56)光州全南小説家協会会長、キム・サンジプ(58)前光州西区会議員などと会い、本増補版の推進問題を議論した。

光州抗争 記録した本‘死を越えて…’
実際の執筆はファン・ソギョン氏ではなく
抗争に参加したり民主化運動をしていた
イ・ジェウィ、チョ・ポンフン、チョン・ヨンファ氏らが主導
インタビュー・資料収集後 出版に動くや
ファン氏が記録者として‘防壁’役を受諾

1985年 迂余曲折の末に本が出版されるや
羽が生えたように売れたが、押収・拘束の受難
"数年前から5・18精神き損も越えて"
市民の力を集め来年5月 増補版 計画

 "全南大近隣の新安洞(シナンドン)にあった私の間借りの部屋がアジトだったんですよ。" 全南大在学中に維新体制に対抗して教育民主化を要求した‘全南大教育指標事件’(1978)で投獄されたチョ・ポンフン前市会議員は「80年11月に釈放された後、抗争の真実を知らせるために本を出版することにし資料収集に乗り出した」と回顧した。 5・18関連容疑で拘束され80年10月に解放されたチョン・ヨンファ代表も別に資料を集めチョ前市会議員と互いに交換した。 資料整理は韓国外国語大学の学生だったソ・ジュンソプ(55・国会図書館調査官)博士が務めた。 大学生の大規模民主化デモであった‘ソウルの春’(1980)事件で手配中だったソ博士は、79年城東(ソンドン)拘置所で会ったチョ前市会議員を訪ねて光州に隠れて身を守っていた。 彼らは80年11月から81年7月初めまで7ヶ月余りをかけて5・18関連者と家族などの口述、目撃談、日記、手記、声明書、病院診療記録、判決文、起訴状、写真などを集めた。 キム・サンチブ前区議員は「5月当時の状況日誌を整理していた。81年に出所したと言い、ポンフン兄(チョ・ポンフン前市会議員)が5月の資料を整理するといって監獄で整理した資料を渡し、抗争当時の状況も口述した」と話した。

 だが<自由言論>という地下印刷物を通じて5・18真相究明を要求したチョ・ポンフン氏、チョン・ウィヘン(光州全南民主化運動同志会平和委員長)氏など10人余りが拘束され本の出版が壁に突きあたった。 チョン・ヨンファ代表は身を避ける前にリンゴ箱6箱分の原本資料を光州一高の先輩であったパク・ヨンギュ(当時、光州地方国税庁勤務)氏に預けた。 ソ博士は原稿と資料を持ってソウルで身を隠した。

 ソ博士は82年初め、故キム・グンテ議員が暮らしていた仁川(インチョン)九月洞(クウォルトン)でアパート一間を得て、光州で整理した原稿(500ページ)を知人たちと要約し42ページの<光州白書>(1982)を印刷した。 抗争の全過程を体系的に整理した最初の‘地下パンフレット’は強烈な反響を呼び起こした。 ソ博士は「<光州白書>は空間的に光州に限定されていた‘光州問題’を全国化する上で重要な役割を果たし、米国の責任も初めて挙論した」と話した。

 「すでに一度失敗していたので3人が中心となって極秘裏に進めました。」 チョン・ヨンファ代表は「82年12月末、起訴猶予で釈放され本の出版を再び推進した」と話した。 84年11月に発足した全南民主青年運動協議会(全青協)は、5・18真相究明を最重要事業課題に設定した。 3年余り獄苦を体験して出てきて全青協議長を務めたチョン・サンヨン前国会議員が、全南大復籍学生イ・ジェウィ院長に会い、秘密裏に執筆作業を依頼した。 80年5月、当時市民軍本部であり最後の抗争拠点だった旧全南道庁で活動したイ院長が執筆の適格者に選ばれたのだ。 イ院長は光州で同窓のチョ・ヤンフン所長に共同作業を提案した。 2人は85年1月初めから2人の新居を交替で移動しながら執筆を始めた。 チョン・ヨンファ常任代表から受け取った資料を分類した後、直ちに取材に入った。 全南大読書サークルの後輩10人余も取材を手伝った。 ソ博士が整理した<光州白書>が多いに役に立ったことはもちろんだ。 イ院長は「監視が厳しかった時であり、取材源に会うこと自体が困難でした。 核心人物40人余りに会いました。 皆、話に喉を詰まらせて泣きました。 話すこともできず、聞き入れることもできなかった当時ですから」と話した。 イ院長は序文と本文を鉛筆で書き、チョ所長は日付別に市民軍と戒厳軍の対峙状況を何枚かの地図で描いた。 イ院長の後輩、チェ・ドンスル(52・日本居住)氏が草稿をタイピングした。ソウル大商学部出身で<わかりやすい韓国経済>という本を出したイム・サンテク氏がイ院長たちに本の印税の一部を4ヶ月間にわたり支援した。

 チョン・サンヨン前国会議員とチョン・ヨンファ代表は、85年3月末に原稿の内容を確認した。 イ院長たちを保護するために執筆者として名前を出してくれる人と出版社をうわさをたよりに捜したが不如意だった。 全南社会運動協議会(全社協)代表だったチョン・ゲリャン5・18遺族会長が「出版の責任を負う」として立ち上がった。 チョン前国会議員がファン・ソギョン作家にお願いした。 イ・ジェウィ、チョ・ヤンフン、チョン・ヨンホ氏らが4月初めに当時光州北区(プック)雲岩洞(ウナムドン)に住んでいたファン作家を訪ねて行き、原稿の束を渡した。 出版は光州出身のナ・ビョンシク プルピッ出版社代表が引き受けることにした。 <越えて越えて>増補版推進の便りに協力を約束したナ代表は、昨年12月に持病で亡くなった。

 "光州の無名の青年たちが書いたと言えば、印刷物水準だとして誰が信じるか?" 今まで<越えて越えて>執筆者として知られていたファン・ソギョン(71)作家は、先月27日<ハンギョレ>との通話で「3チーム程が記録したものを(私が)集めて要約した。その本は創作ではなく記録ではないか? 記者たちが記事を送ればデスクが手を入れように(本の)デスクの役割をしたまで」と話した。 ファン作家は85年4月、ソウル プルピッ出版社近隣の旅館で一ヶ月余り外出することなく在宅して原稿を整えた。 読みやすいように小題目を付け、ムン・ビョンナン詩人の詩‘復活の歌’から取って<死を越えて時代の闇を越えて>という本の題名を付けた。 <はじめに>と序文に該当する‘力量の成熟’部分をファン作家が直接書いた。

 85年5月20日に発行された本は、全南社会運動協議会が出し、ファン作家が記録したことになっている。 本の執筆者を巡って憶測が起きもしたのは 「加害者である全斗煥が執権した時であり、執筆経緯を詳しく明らかにすることはできない時代状況のために起きたこと」だった。 チョン・サンヨン前国会議員は「ファン作家が資料収集と執筆などに参加した人々を保護するために防壁の役割をしてくれたことはすごい勇気であった」と話した。

 本が出版されるや2万冊余が押収され、ナ・ビョンシク代表は拘束された。 表紙のデザインがない白紙で再び刷った初版は、羽が生えたように売れた。ファン作家は「この本が出版された後、日本やアメリカなどにまで広がり、光州抗争の真実が国内外に知らされたことに大きな意味がある」と話した。

 "<越えて越えて>増補版を市民の力で出版します。" 増補版刊行委員会委員チョン・ヨンホ氏は「数年前から5・18精神を傷つけ地域感情を助長する行為が度を越している状況だ。今年末までに新たに明らかになった事実などを含めて執筆を終わらせ、来年5月には増補版を出す計画だ。 私たち自らが反省する意味もある」と話した。 増補版刊行委員長を務めたチョン・サンヨン前国会議員は「当時、胸をしめつけられる思いで読んだ読者たちが、増補版刊行にもう一度関心と応援を送ってくれることを期待する」と語った。

光州/チョン・デハ記者 daeha@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/area/622305.html 韓国語原文入力:2014/02/02 21:13
訳J.S(4333字)

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