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[インタビュー] 「日本、太平洋戦争の本質を分かってこそ真の反省」

登録:2013-12-10 00:19 修正:2014-09-05 19:43
高島伸欣 琉球大学名誉教授
6日、日本東京千代田区の参議院議員会館地下1階で開かれた‘村山談話を継承し発展させる集い’の記者会見に参加した高島伸欣 琉球大名誉教授が1941年12月8日太平洋戦争開戦当時、日本軍のマレー半島進撃経路を説明している。

戦争の開始が真珠湾空襲?
55分前に英国領コタバル侵攻
アジア侵略戦争の性格明白
日本、西欧の侵略防いだ聖戦神話を打ち破らなければ

"日本人は依然として太平洋戦争の真実を正しく知らずにいます。 これを社会にさらに広く知らしめる必要があります。"

 1945年12月8日に勃発した太平洋戦争はどのようにして始まったのだろうか? 山本五十六提督が率いる連合艦隊の真珠湾攻撃を思い出しがちだが、これは真実の半分に過ぎない。 高島伸欣(71・写真)琉球大名誉教授は6日<ハンギョレ>とのインタビューで、戦争が最初に始まったところは当時英国領だったマレーシアのコタバルだと力を込めて話した。 東南アジア資源確保のためにマレー半島を占領しなければならなかった日本軍が先にここの英国軍空軍基地を破壊して本隊の上陸を助けなければならなかったためだ。 日本時刻で真珠湾攻撃が始まったのは午前3時20分だがコタバル攻撃はそれより55分早い午前2時25分だった。

 これを強調することにはどんな意味があるのだろうか。 高島教授は「真珠湾ではなくコタバルに注目することによって、太平洋戦争に対する理解が深まる」と話した。 日本の右翼や靖国神社の戦争博物館である遊就館は、太平洋戦争を日本がアジアを代表して西欧の侵略に対抗した聖戦だと主張している。 その中にしばしば登場するのがまさに真珠湾攻撃の神話だ。

 しかし事実はそうではないというのが高島教授の説明だ。 彼は 「日本がコタバルを攻撃したのは米国が日本の中国侵略を牽制するために石油などの資源輸出を禁止したためだ。 それでは日本はなぜ資源が不足したのか。 中国と戦争を行えば簡単に勝つと考えたが、アジア民衆の強力な抵抗に直面し、中日戦争が長期化したためだ。 このような点を考えてみるならば太平洋戦争の本質はアジア民衆に対する侵略戦争であったことを知ることが出来る」と話した。

 彼が強調するのは41年12月8日半日間繰り広げられた‘日-タイ戦争’だ。 それより1年前の40年6月、日本はタイと5年間にわたる中立と不可侵条項を盛り込んだ‘日-タイ友好和親条約’を締結する。 しかし日本がこれを無視してタイ領土を侵し、半日とはいえ数百人の死傷者が発生する激しい戦争が起きる。 以後、日本政府はタイ政府を武力で威嚇し、タイ領内の無事通過を許容させた。 高島教授は「日本は真珠湾攻撃をする時、宣戦布告だけを遅れさせたのではなく、他国と結んだ条約を一方的に無視する戦争犯罪も犯した」として「当時、日本軍の司令官は天皇であったため、天皇の戦争責任論に火がつくことを恐れた日本政府が、戦後にこのような内容を徹底的に隠すことになった」と話した。

 高島教授は68年から30年間、高校社会科教師として働いた後、96年から琉球大に移り歴史を教えてきた。 彼は「日本が侵略と植民支配を通じてアジア周辺国家に被害を与えたという村山談話の精神を生かすためには、日本人が間違えているこのような常識を正す必要がある」と指摘した。 彼が属する‘村山談話を継承し発展させる会’は新年1月19日、明治大で村山談話の歴史的意義を強調する初めての研究会を始める予定だ。

東京/キル・ユンヒョン特派員 charisma@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/614613.html 韓国語原文入力:2013/12/09 20:52
訳J.S(1608字)

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