▲イ・ソッキ統合進歩党議員などに対するいわゆる「内乱陰謀事件」の裁判が来る12日、本格的に始まります。 イ議員の国会議員職剥奪有無はもちろん、進歩党解散までがかかっている重要な裁判です。 内乱陰謀という途方もない容疑に覆われて言論が見逃していることは何か、振り返ってみようと思います。 <ハンギョレ>土曜版は5月の会合参加者に対する初めての言論インタビューを皮切りに、「新マッカーシズム時代」3週連続企画をお送りします。
「イ・ソッキ内乱陰謀事件」は去る8月28日、マスコミ報道を通じて世の中に知らされた。 イ・ソッキ議員をはじめとする130人余りの統合進歩党(進歩党)党員が去る5月12日、ソウル麻浦区(マポグ)のある宗教団体施設に集まって、国家基幹施設打撃など同時多発的暴動を謀議(内乱扇動および内乱陰謀)したというのが、国家情報院(国情院)と検察の捜査結果であった。 イ議員とホン・スンソク進歩党京畿道本部副委員長、イ・サンホ京畿進歩連帯顧問など7人が今回の事件で拘束起訴された。 現職国会議員が内乱陰謀事件で拘束されたのは今回が初めてだ。 彼らに対する裁判は水原(スウォン)地裁で行なわれている。
検察がイ議員などの内乱陰謀容疑を立証する証拠として裁判所に提出したものは“5月の会合”の内容などが入った47個の録音ファイル(70時間20分分量)と録音記録だ。 これに対してイ議員等の共同弁護団は10月31日、第3次公判準備期日で録音記録の主な部分が国家情報院と検察等によってかけはぎされているという趣旨の主張を展開した。 録音記録に現れた事件関連者の発言に対する真偽が争点として浮び上がったわけだ。
検察が提出した録音記録の発言を事実と前提するとしても、論難がきれいに解消されるわけではない。 非公開の党内会合で自分たちだけで自由に議論し合った話を司法処理の対象とするのは果たして理性的で合理的なことか、という問いだ。 5月の会合に参加した4人の進歩党員は去る27日<ハンギョレ>とのインタビューで、「130人余りが集まって130余りのそれぞれ異なる考えと意見を自由に交わす過程で、雲をつかむような話や話にならないような話も出て来得る。 そのような発言を篩いに掛けて合理的な意見を集めていく過程がまさに討論だ」と話した。 インタビューに応じたのはペク・ヒョンジョン(43・牧師)富川市(プチョンシ)協議会議長、チェ・ヨンヒ(37・タクシー運転手)高陽一山(コヤンイルサン)市委員長、キム・ミラ(41)城南(ソンナム)盆唐区(プンダング)委員長、チョン・ヨンジュン(44)安山常緑(アンサンサンノク)甲事務局長だ。 5月の会合参席者の初めての言論インタビューだった。
「その日の集まりは情勢と今後の事業を討論する場」
-集まりはなぜ夜遅く開かれたのか?
ペク・ヒョンジョン 特別な事情があったとは記憶していない。 党の京畿道関係者や熱心な党員などの日程を考慮した時、やはり夜遅い時間の方がより多くの人が参加できると京畿道本部で判断したのではないかと思う。
-雰囲気はどうだったか?
チョン・ヨンジュン 党員たちが集まる講演会や以前の党の行事と異なる特別な雰囲気はなかった。 ひとまず、京畿道(キョンギド)が東西南北に広がっているから講演前に互いに挨拶したり近況を尋ね合う時間が少しあった。子供をおぶって来た女性と挨拶もした。 やはり情勢を扱うので真剣な雰囲気だった。 それでも合間合間に笑ったり自然な雰囲気で講演がなされた。
-今の話で質問だが、党の京畿道本部主催の集まりだったのか?
ペク そうだ。 党の道本部と地域委員長から連絡を受けたが、その日だったようだ。
チョン、キム・ミラ 道本部で情勢講演をすると言うので・・・.
-参席者はどんな人たちだったか?
ペク 党の活動に積極的な人たちだった。 地域委員長も事務局長もいたし、平党員もいた。
-国家情報院と検察は「5月8日の全組織員召集令」により集まったと言っているが?
キム 全組織員ならば済州道(チェジュド)の人、全羅道(チョルラド)の人もいなければならないはずなのに、全組織員が京畿道(キョンギド)だけに住んでいるというのも変ではないか。 他の党員たちは京畿道の党員に会えば 「本当に大変ですね」と言うし、「私は名簿に入らなくて幸いだ」と言う人もいる。
-国家情報院と検察はこの日の集まりが「北の戦争状況造成時に、これに呼応する社会主義革命の実行方法を講じるための場」だったと主張している。
ペク 当惑している。 私たちが集まった理由と全く違う・・・
-では、この日の集まりの目的は何だったか?
チョン 目標は一つだった。 構成員が情勢に関する認識を一致させて、一致した認識に基づいて今後の反戦・平和実践をどのようにすべきか、こういうものだった。 例えば、5月12日当時は戦争の危機感が最高潮に達してから若干小康状態に入り込んだ時期だった。 当時、全地域委員会が電車の駅頭などに出て行って反戦・平和署名活動をし、ほとんど毎日1人デモなどをして、5月に入ってからは進歩政党が非常に重要視している6・15南北共同宣言など主な行事を控えていた。 これまで進めてきた実践をどのように評価して6月から展開する重要な時期をどんな観点、姿勢で迎えるのか、情勢について話を聞き、また討論して、一致した観点を持って今後の事業を準備しよう、と、こういうものだった。
キム 社会主義の話は全く出てこなかったようだ。
「ROの実体は国家情報院が明らかにすべきだ」
今回の内乱陰謀容疑事件で国家情報院と検察、統合進歩党側が最も尖鋭に対立している部分が、内乱陰謀の主体として浮上したいわゆる‘RO’の存在有無と実体に関する問題だ。 ROと関連して「その日の会合の参席者はRO組織員で、ROはイ・ソッキ議員が民族民主革命党(民主革命党)事件で処罰を受けた直後に新たに構想した地下革命組織であり、民主革命党と同じように、綱領は北の対南革命路線に同調して北の対南闘争3大課題を活動目標に設定している」というのが国家情報院と検察の説明だ。 しかし彼らはROについて「私は初めて聞いた」(ペク)、「今回初めて」(チョン) 「初めて聞いた」(キム)としてROの存在から否認した。
-ROを捏造と見るのか?
チョン 捏造だと考える。 検察が中間捜査結果を発表した時、記者たちが「ROの実体は何か」と尋ねたが、結成時期などが明確に出てこなかったではないか。 RO関連者だと言いながら、反国家団体結成などの容疑で起訴できなかった理由についても答えることができなかったと聞いている。 ROの実体は国家情報院が明らかにすべきだと見る。
ペク 検察の中間捜査発表を見ると、組織図もできていたが、その図を見ながら本当に大笑いした。 そこに出てきた名前は(5月の会合で)司会をしたり質問をした人が全てだった。 4つの圏域というが、そこに人為的に取ってつけて入れていました。 そういうとんでもない図を描いておいて…。 録音記録を見れば出てくるじゃないですか。発表者、質問者って。 それが全部だ。
-検察がROの組織図で地域組織責を区分していたが?
チェ・ヨンヒ 当日の会合で一度でも発言をした人を一括りにして、そんなふうに図にしたのだ。 荒唐無稽の極みだ。
-ところで、秘密地下組織ならば本来一部だけに知らされるのではないのか?
チョン 検察も中間捜査結果を発表する時、ROの作動原理について(一対一の縦的連係だけを維持する“単線連係”に反して、1つの地域と部門に単線連係組織を2つ以上配置して不意の事故が発生しても組織活動の連続性が保障される)“複線配置”という用語を使った。 しかし130人が集まったとすれば、それだけでも常識的に(単線連係などは)話にならないが、組織図上で地域責といわれる人たちが他の人々皆が見ているのに前に出て発表したという。常識的に納得の行かない話ではないか。 百歩譲って「決定的な時期であるからそのような危険負担も甘受せざるを得ないと判断して、それで前に出て発表したのだ」ということにしよう。 それなら、危険負担を覚悟して公開の場所でそのように集まったとするならば、当然その後何かやらなくてはならないんじゃないか。 私はその後、街頭での1人デモ以外、何もやってない。
-組織図に知っている人がいるか?
チョン 私は安山(アンサン)地域委員会所属だが、○○○委員長は入っている。 国家情報院の調査は受けたようだ。 地域委員長がなぜ入ったかと言えば、その日質問をしたので(細胞員として)入ったものだ。 イ・ソッキ議員に質問をした。
チェ そういうことだ。 講演が終わった後6人が討論するとすれば、討論を進める人と発表する人がいる。 今日は誰々が担当することにしましょう、と。それでその人が発表したとすれば、それが組織図に描かれて出てきたわけだ。
“当時の会合は自由討論が可能だった”
5月会合の性格とそこから出てきた内容も、国家情報院と検察、進歩党参席者の間で大きく食い違っている。 ただこの日の会合が、イ・ソッキ議員の情勢講演と地域別討論、討論結果の発表、イ・ソッキ議員のまとめの発言、から成っていたという点では、両者の間で大差はない。 国家情報院と検察が内乱陰謀容疑の証拠として提示したものは、5月の会合の録音記録と録音ファイル、それから国家情報院が明らかにしたいわゆる“内部協力者”の陳述だった。 「武装と電気通信分野攻撃(キム・グンレ)、武器奪取・製作等による国家基幹施設破壊(イ・サンホ)、先端ハッキング技術で主要施設マヒ(ホン・スンソク)、駐韓米軍情報収集と後方かく乱および武装破壊など軍事戦を遂行するチーム構成(イ・ヨンチュン)等」というものだ。
-その夜の討議はどんな方法でなされたか?
ペク その日の雰囲気を知らないと、活字化された言葉だけでは判断しにくい部分がある。 例えば、ホン・スンソク京畿道本部副委員長が発表した中西部圏域討論会に(私も中西部圏域なので)参加したが、ある同志が「銃を準備しよう」と言ったわけではない。 「じゃあ、銃でも準備しなくちゃならないんじゃないか?」と、そういう文脈だ。 「いや、銃は難しいから、じゃあハッキング技術でも磨くか」と、そういうふうだった。 それでホン副委員長も「そんな雲をつかむような話じゃなくて、現実的に我々が何をすべきか、そういうことを話そう」と、そんなふうだった。 それで出てきた話が、私たちがこのような戦争危機状況の中でできることは、より多くの大衆と会って私たちが感じている戦争の危機感に対する共感を拡大させ、皆が共に反戦・平和を叫べるようにしなければならないというのが主な話だった。 戦争危機の状況の中で予備検束などの危機感を持つ人もいたが、「私たちが私たち自身を守るとはどういうことか、それは私たちと共にすることができるより多くの人を 私たちのそばに引き寄せることだ。それ以上に私たちを守ることができるものがあろうか?」 そんな話だった。
-銃という話が出た時どんな感じだったか?
ペク おかしかった。 皆笑った。
-順番に話をしたのか?
チョン 分科別討論は文字通り、自由討論だ。
-情勢の話が出て、電気通信分野を攻撃する話を含め、多様な意見が出てきた。。。
キム 色々な意見が出てくる。 私たちは機械でもないんだから、それぞれ考えることが違い、色々な意見が出てくる。
チョン 進歩という意味で集まっているけれども、考えは多様だ。 スペクトラムが多様だ。 それで分科別討論をするのだ。 そこで、より合理的で国民の目線に合うのは何かを討論する。 ただし討論過程では自由に自分の見解を表明できるので、多様な話が出てくるわけだ。
-後方かく乱と武装破壊対応策を準備しなければならないという話も録音記録に出てきたが?
チェ そのような話はなかった。 ただ、戦争が起きれば携帯電話も何も使えないだろうから、じゃあ避難して行くべきか、どうすべきなのか、じゃあソウル市庁前にロウソク持って集まるべきではないか、とにかくどんなことがあっても一ケ所に集まらなければならないのではないか、そんな話はあった。
内乱陰謀容疑の主な発言は京畿南部地域責と目されたイ・サンホ氏の武器奪取等による国家基幹施設破壊関連内容だ。 国家情報院と検察は起訴状で「施設を破壊することが最も効果的な方案で、鉄道は統制する所を破壊するのが最も効果的で、具体的に通信分野は恵化洞(ヘファドン)、盆唐(ブンダン)」と摘示した。 だが、国家情報院が明らかにしたこのような具体的な陳述は、イ氏の分班でなされた討論と以後の地域別発表内容とをないまぜにしたものだ。 実際にイ氏と同じ分班にいなかった人たちはイ・サンホ氏のこのような発言に対して「それは聞いていない」(キム)、「国家基幹施設破壊、そんな話は聞いていない」(チョン)、「思い出せない」(ペク)と言った。
-録音記録には出ているのに当時こうした話を聞かなかったか?
チェ 後方に座っていたが、分班討論発表はプログラムの最後であって発表はたいてい3~5分内外の短い時間だったと記憶している。 それが終われば家に帰るというわけで、後ろの席は散漫な雰囲気だったし、よく聞こえない部分もあった。「私たちの班では討論してみると戦争の危機時にこのようにしようという話でした」と言うと後の席で声を上げて笑うこともあった。 このような危機に私たち北部地域は反戦・平和運動をさらに熱心にやらなければならない、という発言があり、またあれこれいろんな話が出てきた。 そんな中で、笑って終わった。
-イ・ジョンヒ進歩党代表が何回も言葉を変え、結局「冗談」と言った。 冗談でも実際にそのような発言があったということではないのか?
チョン その部分についてはマスコミに対し不満が多い。 9月4日にイ・ジョンヒ代表が5枚に及ぶ記者会見文を発表した。 具体的に当該録音記録について詳細に釈明している。 最後には公党としての責任まで言及している。 にもかかわらず、最終的に「冗談」と、このようにマスコミが要約してしまうのは、あまりにも一方的な罵倒ではないか。 冗談だと例にあげたのは「釜山(プサン)に行けば銃を手に入れることができるんじゃないか」と言った部分だ。 それを本当の話のように発表したのについて、イ・ジョンヒ代表が冗談だったと釈明したのだ。 覚えている。 「釜山に行けば銃を手に入れられる?」 その時は皆が笑った。
-録音記録に具体的な打撃対象として恵化洞、盆唐、このような話が一応出ているではないか?
ペク イ・サンホ氏の分班にいなかったので実際にそんな話が出たかどうかは分からない。 ただし分班討論で色々な話があったということであって、決定事項ではなかった。 その日の会合の終わりにも何の決定もなかった。
-オイル施設と鉄道施設破壊のような、録音記録に含まれたイ・サンホ氏の発言に対する感じと判断を尋ねたのだが。
チョン 自由討論過程では、認めるわけにはいかないような「あんな話をしてもいいのか?」といったふうに感じられるくらいの話も出てき得ると考える。 ただ、それを国民の前に合理的に出せるか、実践することができるか、それは別の問題だ。 ふるいにかけられ、集められて、こういう過程が討論だと思う。 とても話にならないような話もできるわけだ。 ただ、これを集めて現実化することは別の問題だ。 スペクトラムが多様で考えが違うので、誰がどんな話でもできるという次元で。
-党の京畿道本部が主催した集まりであり公的な党員の会合において、国家基幹施設破壊のような話が出てくるのはあまりに行き過ぎではないのか、国民の目線に照らしてみる時行き過ぎなのではないかという指摘だ。
チョン 党が色々な次元で会合を主催することができると見る。 公的会合ならば主要幹部を集めて決定と執行がなければならないはずだが、当時の集まりはそれこそ討論して情勢を共有する場だったために、自由討論が可能だと見るわけだ。 公的集まりだったならば、決定を下して党の活動方向を規定する過程があっただろうと思う。
-たとえそうだとしても、オイル施設破壊といった話が出てきたのは穏当か?
ペク 区分する必要があるようだ。 その日の集まりは党の京畿道本部が主催した公式的な場だった。 ここで重要なのは、京畿道本部がそのような発言をしたとすれば明らかに問題だ。 しかし発言したのは党員だった。 党員は自身の考えを表現したのだ。 130人が集まって130の互いに異なる考えと意見を自由に交わした。 この過程で、ある人は眠くて何も言うことがないと言い、ある人は度の過ぎた発言、ある人は冗談、ある人は雲をつかむような話もしたわけだ。 なのに、その130人の発言の中の一つだけを取上げて、「それでも党の公式的な場なのだから、そんな話はしてはならないのではないか」と、このように接近するのはとても扇情的で不当なことに思われる。
-統合進歩党は院内政党として国家から政党国庫補助金を受けている。 国民の税金だ。一部の発言だといっても「国の内部で内部に向かって銃を突きつける発言ではないか」という市民の見解がある。
チェ 国庫補助を受ける政党の党員が、国の内部で内部を攻撃しようと会合を持った、このようなフレームを作ることが今回の事件を勃発させた目的だと考える。 それでこそ進歩党が孤立し、それでこそ進歩党弾圧に成功することではないか。 5月12日の党員の会合が録音記録となって公開される可能性について知っていたならば、私たちは冗談一つ言うにも自己検閲をしただろう。 だが「冗談一つにも自己検閲をしなければならないのか」という気がする。 進歩党を孤立させるためのシナリオの中でこの事件が進行していると考える。
“極右勢力が作ったイ・ソッキ1人政党のフレーム”
5月の会合の参席者4名のインタビューは約4時間にわたって進められた。 対話が長くなり、インタビューは自然に1部と2部に分けられた。 1部が5月の会合の性格と内容に焦点を合わせたとすれば、2部では進歩党に対する韓国社会の視覚と、パク・クネ政権スタート以後に復活しているアカ攻勢と従北レッテル貼りなどを扱った。 北に対する韓国社会の態度についての進歩党員の考えも聞いた。。
-録音記録を見れば予備検束に関する話がたくさん出てくる。「私たちは予備検束第1順位になるだろう」とか「ある時点では予備検束を避けねばならない状況」といった表現のことだが、当時韓半島の戦争危機状況に対する各自の認識は実際にどうだったか?
チョン 戦争発生、あるいはその前段階になれば、朝鮮戦争の時にあった予備検束が行なわれるかもしれないと、実際に考えた。 進歩党員であるという事実だけでもそうだし、個人的には2003年<イラク派兵反対国民行動>の活動をして集会およびデモに関する法律違反と特殊公務執行妨害罪などで二度の前科記録があることが思い出された。 私としては深刻だった。
キム 私たちは昨年検察に党員名簿まで奪われた。 党員たちの家の住所と通っている会社がどこなのか全部露呈している状態だ。 普段も常時的に監視を受けているかも知れないと考えることがよくある。 実際に体験してみなければ… (そのような恐怖は)よく分からないだろう。
統合進歩党は5月の集まりの趣旨を説明しながら予備検束に対する憂慮などに言及した。 進歩陣営でさえこのような彼らを「被害妄想と誇大妄想とで一丸となっている」と批判した。 予備検束というのは、犯罪防止の名目で犯罪を犯す可能性のある人を事前に拘禁することをいう。 朝鮮戦争当時、韓国政府は戦争勃発当日である1950年6月25日から9月中旬頃まで国民保導連盟員と過去に左翼または反政府活動に参加したり関連した人々を全国的に招集・連行・拘禁(予備検束)するという措置を下した。 そして戦況が不利になるや、政府は南に後退すると共に、招集・連行・拘禁されたこれら“左翼”を集団虐殺した。 全体の犠牲規模は分からないが、各郡単位で少ない所は100人余り、多い所では1000人余りが殺害されたと推定される。 これが国民保導連盟事件だ。 真実・和解のための過去事整理委員会(2010)は「2009年下半期調査報告書07」で「戦争以前にすでに左翼や共産主義者は韓国社会で政治的憎悪と社会的排除の対象に転落していた。 保導連盟員など左翼に対する認識は理念的敵対感を越えて事実上住民たちの日常的な悪感情に変わった。これは政治・経済・社会的反対者に対して“左翼”という一言だけで相手を埋葬させられるようにした」と明らかにした。
-国家情報院がいわゆる“イ・ソッキ内乱陰謀事件”を主導した背景についても多くの解釈が出ている。
ペク 私は「イ・ソッキ内乱陰謀事件」というよりは「国家情報院内乱陰謀捏造事件」と見る。 当時、国家情報院の大統領選挙介入疑惑がますます事実であることが明らかになっていて、市民の怒りはロウソク集会に結集した。 これによって国家情報院が存廃の危機を迎えただけでなく、パク・クネ政権の正統性までが疑われる状況だった。 このような局面を反転させるための“いけにえ”が進歩党だった。
チョン 国家情報院がソース(記事の種)を流せば言論はその通り書き写した。 イ・ソッキ議員の自宅からロシア通貨のルーブル貨が出てきたし、数回北に行ってきたという事実があたかも大変な問題であるかのように報道されもした。 後で分かったことだが、ルーブルは他の国会議員と一緒にロシアを訪問した時の使い残しだったこと、そして北韓訪問は金剛山(クムガンサン)観光などの目的だった。 しかしまだ多くの国民は、初期の言論報道だけ見て「北と連携したスパイだろう」と考えている可能性がある。 これが政治弾圧でなければ何か。
-今回の事件直後「進歩党はイ・ソッキ議員のワンマン政党」という話まで出てきた。 イ議員が実際に党の中心人物であることは確かか?
チェ 「イ・ソッキ ワンマン政党 」のフレームは極右勢力が作ったものだ。 昨年の“党内比例代表選挙戦不正事態”の時は「イ・ソッキ=党内選挙戦不正勢力=進歩党主流派」というフレームを作ろうとしたが、現在、関連者が相次いで無罪判決を受けている。 今回はもう少し強力なフレームが必要だった。それで再び理念論争を持ち出したのだ。 イ議員に従北のレッテルを貼ってから、そのイ議員がまた党を実質的に代表しているという論理だ。 実際に党運営原理を覗いて見ればそのような論理は簡単に崩れる。 イ議員を選んだのも党員の直接投票だった。
ペク 進歩党は真性党員制をベースに党内直接民主主義を実現した最初の政党だ。 党内選挙システムは昨年の党事態の時一部問題を露呈し克服しなければならない課題を残したが、それでも誰々のワンマン政党という言葉はありえない。 イ・ソッキ議員でなくイ・ジョンヒ代表であっても、進歩党をワンマン政党化することはできない。
「似非宗教・発達障害」という表現、どうしても使わなければならなかったのか…
-党内比例代表選挙戦不正事態、そして今回の事件と関連して、京畿東部(連合)は再び注目をあびた。 進歩党の立場は「京畿東部なるものの実体はない」ということだが、同意するか? キム前市会議員は地域的に京畿東部だが。
キム (笑い)私は過去<全国連合>時代に青年会活動をしたのでよく知っている。 当時は京畿東部が実際にあった。 ただし全国連合の活動をたたんで民主労働党を結党した以後、私たちが京畿東部という名で集まったことはない。 それなのに韓国社会は京畿東部という虚像を作って、これを奇怪で非理性的で独善的な集団の象徴のように追い込んでいる。 新マッカーシズムだ。
-実際に京畿東部をはじめとして光州(クァンジュ)・全南(チョンナム)、蔚山(ウルサン)連合など、党内派閥は存在するのではないか。
チョン 今でも政治的性向による党内政派はあり得る。 だが京畿東部は政派でないただの悪意のネーミング(命名)に過ぎない。 京畿東部が存在するならば彼らだけが共有する思想や実践方式がなければならないわけだが、そんなものはない。
-今回の事件が起きる中で、極右・保守勢力とは別に、一部の進歩知識人や政治家も進歩党の理念的硬直性と閉鎖的組織文化などについて批判した。
キム 私たちに対するそのような批判は国家情報院が流した情報の既成事実化を前提とする時に可能になることだが、私はむしろ訊ねたい。 少なくとも進歩と呼ばれる人々が、なぜ国家情報院の言うことを疑いもなく信じるのか。 それもかつて運動を共にした人々に対して、似非宗教集団、発達障害といった表現までどうしても使わなければならなかったのか….
ペク 進歩陣営の一角で私たちのことを古い進歩、小部屋の中の進歩と言うが、彼らが変えようとしていた1970~80年代の韓国社会の現実と構造的矛盾、そして今の韓国社会の現実と構造的矛盾は果たして変わったか。 変わったものがあるとすれば、それはただ彼らが変わっただけのことだ。 私たちの現実認識に問題があるならば討論すれば良い。 私たちも人間だから間違いはあり得るし現実認識に問題はあり得る。 誤りがあるならば認めるにやぶさかではない。 だのになぜ唯一私たちに対しては烙印を捺し排除しようとするのか。 進歩ならば多様性を認め尊重すべきではないか。
5月の集まりの内容が知られてからチン・ジュングォン東洋(トンヤン)大教授は8月30日自身のツイッターでイ・ソッキ議員など会合参加者を指して「小説の中のドンキホーテの武装水準にぴったりの、分別のない子供たちでもない30~50代のおばさんおじさんたちだと聞いたが・・・ 発達障害でしょう」と指摘した。次いでキム・テホ社会デザイン研究所長もフェイスブックで「1980年代の化石」「発達障害」等の表現を使って批判した。 チン教授などの発達障害発言に対してパク・キョンソク全国障害者差別撤廃連帯常任共同代表は9月9日「二人の文を見て、主流社会(自らを正常人という位置に置いて自慢する社会)の持つ障害者に対する“偏見と卑下”があまりにも厚い壁として迫ってきた」と明らかにした。 チン教授とキム所長は代表的な進歩知識人、進歩論客と呼ばれている。
-進歩党の現実認識と関連した質問だが、北に対する進歩党の態度は依然として批判の対象だ。 北の3代世襲と第3次核実験などに対して進歩党員は一般にどのように見ているか?
チェ 韓半島が分断されているから北に対して批判しなければならないという主張もあるが、私はかえってそのために、相手にきずがあるからといって批判からすべきではないと見る。 南北和解のための戦略的悩みもあり得るのではないか。 韓国社会では進歩党が公式的立場を出さないということだけで、北に対して同じように批判しないということだけで批判を受ける。 かと言って、私たちが3代世襲、核実験について「北はよくやった」という立場を表明したわけでもないのにね。 〇でなければ×の選択肢だけ提示して返事を要求するのは暴力的だ。
キム 韓国社会が未来に進むには結局統一という課題から目を背けることはできない。 北の3代世襲賛成・反対、核実験賛成・反対、従北だ・従北でない、等について正解が決まっている質問ばかり繰り返すのでなく、統一という観点から個別議題について討論がなされるべきだ。
-話さない権利を保障しなければならないという主張がある反面、進歩党は制度圏政党なのだから、主要南北問題について立場を明らかにするのが当然だという反論もある。
チェ 制度圏政党だから、より大きな責任性を持たなければならない。 私たちが運動団体ならばもう少し自由に意見を表明することができる。 南北関係改善について責任性を持たなければならない公党であるために、個別懸案に対する立場表明が南北関係全体にどんな影響を与えるのかを判断するのだ。
ペク 直接民主主義を通じて主な意志決定を下す党内構造から見た時、北の3代世襲や核実験などに対して党論を決めるのは現実的に容易ではない。 あまりにも多くの意見がある。 ただ党員全体が同意できるのは、北を客観的実体として認めなければならないということだ。 私たちは世襲だと表現するが、それは彼らなりの国家を運営する原理ではないのか。
-“従北”のレッテルが恐ろしくはないか。 インタビューが公表されればそのような被害があるかもしれない。
チョン 今回の事件関連拘束者の車に極右団体がペンキで「スパイ」と書いたことがある。 ほとんど白色テロ水準だ。 私が従北にされれば私の周りの人まで被害を被りかねないというのが私たちの現実だ。 個人的恐れを別にして、私の子供には従北レッテル貼りが横行するこのような社会を残してやりたくない。
ペク パク・クネ政権の操作政治、恐怖政治を打ち破ることができなければ韓国社会は維新復活どころか維新以前に戻ってしまう可能性があるという危機感を抱いて、恐怖感はあるけれども進んで私たちの話をすることにした。 不利益は予想している。
ホン・ヨンドク、チェ・ソンジン記者 ydhong@hani.co.kr