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「‘大邱(テグ)10月事件’遺族に国家が賠償せよ」

登録:2013-11-03 21:39 修正:2014-09-05 20:42
裁判所 "警察が民間人を殺害…政府の責任"
事件直前である1946年10月1日昼に開催された平和的なメーデー行事. 大邱(テグ)10月事件は1946年10月1日に米軍政下の大邱地域で始まった大規模平和デモに対する流血武力鎮圧で始まった。 批判する側では10月大邱暴動、10月暴動、大邱暴動、擁護する側では10月人民抗争、大邱10月抗争などと多様に呼ばれている。

1946年に発生した‘大邱(テグ)10月事件’の犠牲者遺族たちに国家が賠償せよとの判決が下された。

 大邱地方裁判所民事11部(裁判長イ・ヨンスク)は最近‘国家は大邱10月事件の時に犠牲となったキム・ジェオク氏の息子キム・カプサン(78)氏に1億9300万ウォン余を賠償せよ’と判決したと3日明らかにした。 裁判所はまた、この事件の他の犠牲者の子供であるパク・某(65)氏とパン・某(64)氏にそれぞれ1億3800万ウォンと1億5000万ウォンを支払えと判決した。 裁判所は判決文で "当時、警察などが適法手順を踏まずに民間人を殺害した。 この事件が米軍政時に発生したために大韓民国政府に補償責任がないと主張することは道理に合わない" と明らかにした。 しかし裁判所はキム氏らと共に訴訟を起こした他の遺族イ・某氏とチョ・某氏など2人には "証拠が明確でない" という理由で請求を棄却した。

 大邱10月事件は解放直後の親日派登用と土地改革遅延などに抵抗して1946年10月1日に大邱で数千人余がデモを行い始まった。 当時、米軍政は戒厳令を宣言し武力鎮圧に乗り出したが、同年12月中旬には全国に拡散した。 鎮圧過程で7500人余りが検挙され、数十人以上が殺害された。 過去事整理委員会は2008年1月から真相調査を行い‘民間人60人が警察により犠牲になった’という結論を下した。 これに伴い、一部の遺族は国家を相手に損害補償請求訴訟を起こし、去る1月には釜山(プサン)地方裁判所で初めて賠償判決が下された。

大邱/ク・テソン記者 sunnyk@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/area/609696.html 韓国語原文入力:2013/11/03 20:35
訳J.S(815字)

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