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[社説] 米軍政下で起きた大邱10月事件は性格糾明から正すべき

登録:2013-01-21 22:41 修正:2013-01-21 22:59

 1946年10月1日、大邱(テグ)における市民蜂起は今もその性格規定が難しい状態だ。歴代の権威主義政権は、朝鮮共産党の指令により起きた暴動として非難してきた。民主政府を経て、学界と関係者は大邱抗争として性格を見直すべきだと主張した。米軍政の土地及び食糧政策の失敗と、日帝に協力した警察の過剰鎮圧がもたらした市民蜂起ということだ。‘真実和解のための過去事整理委員会’(過去事委)も慎重だったようで、‘大邱10月事件’という中立的な名称を使った。ただし公権力によって不法に犠牲になった人に対する名誉回復と賠償は勧告した。

 このような現実から、釜山地方裁判所が同事件の犠牲者に対する国家賠償責任を認めたことは注目に値する。事件に直接あるいは家族がかかわったという理由だけで何の法的手続きもなしに警察に連行されて殺害されたのだから、国家の賠償は当然のことだ。だが、このような例は一、二件ではない。過去事委が2010年の調査結果発表で国家賠償を勧告した犠牲者だけで60人に及ぶ。その上、事件当時7500人余りが逮捕拘禁され、取り調べ中に拷問などの苛酷行為を受けたり、釈放後に警察および右翼団体によって家屋と財産を破壊没収された。その家族は連座制に縛られて罪人として暮さなければならなかった。その長期間の苦痛を思うならば、直ちに名誉回復と賠償がなされるべきだが、現在の仕組みでは不可能だ。

 合わせて過去事委でさえ整理できない事件の性格も一日も早く確立しなければならない。真の名誉回復は正しく規定された事件の性格によってのみ可能だ。裁判所は事件が、米軍政の親日官吏雇用、土地改革遅延および強圧的な食糧供出施行などによって民間人と一部の左翼勢力が警察と行政当局に対抗して発生した事件と見てきた。事件の蜂起は10月3日の戒厳軍の進駐により事実上鎮圧されるが、10月6日までに慶北(キョンブク)全域へ、12月中旬までに韓国全土に広がった。裁判所の判断どおり大邱市民の不満は全国民の不満だった。さらに軍警および極右団体の過剰鎮圧と無差別テロが、彼らの一部をして野戦隊を組織させパルチザンに合流させたと裁判所は見てきた。

 同事件は解放空間の悲劇を爆発させた導火線だった。朴槿恵大統領当選人の伯父であるパク・サンヒ氏もその渦中で殺害された。父親の朴正熙 元大統領が南労働党に加入したのもこれと関係がなくはなかった。このような事件について、被害者の家族が個別に法廷訴訟を通じて名誉を回復することは難しい。特別法の制定を通じて事件の性格を正しく見直し、被害者の痛みをまとめて治癒して、歴史的教訓としなければならない。

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/570604.html 韓国語原文入力:2013/01/21 19:20
訳T.W(1230字)

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