"私たちも南アフリカ共和国のように過去の過ちを全て許して和解してこそ国が前へ進んでいけます。"
"そうです。 ところで南アフリカ共和国では自分が犯した誤りを先に告白してこそ容赦するんですって。"
"…."
ぎこちない沈黙の中でこの話は短く終わった。 金大中政権スタート直後、野党議員キム・ギチュンが複数の記者たちと交わした対話のひとこまだ。 1998年政権交替後、政治報復はしないという大統領の約束にも関わらず、自ら気がとがめる人々は夜もよく眠れなかった。
彼が許されたかった‘過去’とは何だったのだろうか。
大統領 朴正熙は執権18年間、権力機関を手足のように働かせた。 議員を裸にして殴るほどに傍若無人だった中央情報部は、いつでも振り回せる朴正熙の‘刃物’だった。 1967年大統領選挙で野党のユン・ボソン候補が当選すれば射殺しようと、狙撃手を自宅付近に配置して、実際71年大統領選挙で威嚇的な得票力を見せた金大中候補の拉致殺害を試みたのが刃物の使途をよく見せる事例だ。
権力は刃物だけでは維持できない。 朴正熙政権の核心部を深層取材したある言論人は、彼の人事術を蛇、牛、犬と要約した。 蛇の知恵と策略で後からことを組み立て上げる‘技術者’と、頭はちょっと足りなくとも牛のように馬鹿正直に言われた仕事をやり遂げる忠誠派、汚い仕事も拒まずに咬めと言われれば咬む犬のような部下を適材適所に配置したという意だ。 キム・ジェギュが牛、チャ・ジチョルが犬なら、蛇の代表としてイ・フラクと共にキム・ギチュンを挙げた。
維新憲法に基づいて独裁を‘法’で包装した彼は、権力の浮沈に巻きこまれながらもしつこく生き残った。 1977年中央情報部対共捜査局長として保安司を手入れした前歴のせいで第5共和国時期に検事職から追い出される危機に処した時も、実力者ホ・ファピョン大統領府補佐官に‘忠誠の誓い’という手紙を書いて生き返った。 盧泰愚政権の時、検察総長に抜擢された後にはソ・ギョンウォン議員北韓訪問事件が起きるや例のその‘能力’を再発揮した。 餌はやはり野党。 捜査検事に対する破格的支援の中で金大中総裁を非告示罪で起訴する快挙を成し遂げた。 検事室で酒宴まで行う異例的配慮が功を奏した。 さらに法務長官まで務め常勝疾走したことを見れば、やはり蛇の知恵は大変なものだった。
92年チョウォンふぐ料理店事件で一世一代の危機を迎えた。 人並みの人物ならばその程度で地域感情助長の‘元凶’として名指しされれば、あらゆる事をあきらめて消えただろう。 しかしキム・ギチュンはそうではなかった。 違憲訴訟の末に結局検察の公訴取消を引き出すことに成功し、金泳三政府で政治家として再起した。
3選議員まで過ごした彼が朴槿恵(パク・クネ)政府の実力者‘副統領’として復活した後、政局が揺れ動く。 NLLに、イ・ソクキ、チェ・ドンウクなど‘思想論争’と‘工作’は彼の専攻分野だ。 代を引き継いで大統領を守ろうとする彼にとって、国家情報院大統領選挙介入事件が一番の問題だっただろう。 しかし彼に不可能という文字はない。 大統領が二度も選挙法違反ではないというメッセージを公開的に言及したこと、検察が補充捜査を通じて相当な物証を追加しつつあった状況で、検察総長を追い出すことによって裁判所・検察全体に譲歩不可の‘マジノ線’を再び明言したのも彼の作品である可能性が高い。
謝罪を要求する野党代表に対し判決を見守ろうという大統領を見れば、選挙法無罪が可能という報告書がすでに上がっているのかもしれない。 数日前に判事が "立証が足りない" と言ったというので、すでに効果が現れているということなのか。
しかし楽観するのはまだ早い。私たちの社会の透明度と国民意識水準も20~30年前とは違っている。 消えないろうそくのあかりが物語っている。 初めての任期制検察総長という足手まといな勲章も投げ捨ててしまい、検察を権力の侍女に仕立てようとする試みも、やはり検事たちの反発で逆風をむかえているではないか。
キム・イテク論説委員 rikim@hani.co.kr