「容疑というのが、昔のスタイル、昔の感じが強い。 まるで20年前の事件を見るようだ。」
1990年代に公安検事だったある弁護士は29日、パク・クネ政府初めての大型公安事件であり「内乱陰謀」なる罪名のついたイ・ソクキ統合進歩党議員事件の印象をこのように伝えた。 偶然にも今回の捜査はキム・ギチュン秘書室長、ホン・ギョンシク民政首席など検察出身の“オールドボーイ公安通”らが大統領府の核心要職に布陣した直後に出てきた。 国家情報院が捜査内容と公開・強制捜査着手時点などを大統領府に報告したと分かって、政界では今回の事件が呼び起こす波紋をこれら公安通が調節したり主導しながら政局運営に活用しているのではないかという疑いのまなざしを送っている。
野党勢力のある核心要人は「過去の経歴を見る時、今回の事件のハンドリングの頂点にはキム・ギチュン室長がいると見る」と主張した。 キム室長は検察総長だった1989年のソ・ギョンウォン議員北韓訪問事件当時、「左翼根絶」を総指揮した“前歴”がある。 1991年の「カン・ギフン遺書代筆事件」の時には、法務部長官として捜査方向を最終決定した。 1992年の大統領選挙時には法務部長官から退いてまもなく、地域感情助長を“謀議”したチョウォンふぐ料理屋事件の中心にいた。 ホン・ギョンシク民政首席もソウル中央地検公安1部長、最高検察庁公安部長を経ている。
彼らは大型公安事件が政局にどんな波紋を起こし、どのように活用可能なのかをよく知っているという共通点がある。 検察関係者は「キム室長が大統領府に入ったのだから、当然それなりの役割をするだろう」と言った。 公安検事出身の弁護士は「20年前のチョウォンふぐ料理屋事件を振り返って見れば、キム・ギチュン室長はそんなに淡泊な人ではない。 (今回の事件を見れば)きわどい感じがする」と語った。
大統領府と検察の間で“橋”の役割をするファン・ギョアン法務部長官もやはり、検事在職当時、公安以外の業務を遂行したことが殆どないほど代表的な公安通だ。 検察は現在、国家情報院の捜査を指揮する一方、以後の追加捜査と起訴の責任を負うことになる。 今回国家情報院の捜査を指揮する水原(スウォン)地検公安部はこれまで何回も国家情報院と歩調を合わせて公安事件を処理してきた。 2008年の「女スパイ ウォン・ジョンファ事件」も水原地検と国家情報院京畿(キョンギ)支部が“合作”したものだが、一部関連者の核心公訴事実に対して裁判所で無罪判決が下されもした。
警察や検察でない国家情報院が今回の捜査を専門的に担当しているという点も注目に値する。 検察に比べて国家情報院は大統領の直接指示を受ける直属機関なので、何らの“ろ過装置”なしに大統領府の意中がそのまま反映され得る。 しかも大統領府は国家情報院の大統領選挙介入疑惑事件に対する検察の捜査結果に不満が多かった。 それだけに大統領府が、政界に大きな波紋をもたらす今回の事件だけは確実に掌握して局面を主導せんとした可能性がある。 陸軍参謀総長出身であるナム・ジェジュン国家情報院長は、ニックネームが「陸軍士官学校3年生」と呼ばれるほど、軍内部でも強硬保守に分類される人物だ。
結局パク・クネ大統領の公安検事・陸軍士官学校出身者重用が公安政局につながっているという分析が可能となる。 過去においても法秩序の確立を強調したオールドボーイの帰還は公安政局を知らせる信号弾だった。 イ・ミョンバク政府初めての法務部首長だったキム・ギョンハン長官が代表的な事例だ。 2002年に検察を離れ6年目に法務部長官として返り咲いた彼は、米国産牛肉輸入反対のろうそく集会初期から「劇烈」「扇動」等の用語を使って刑事処罰を促すなど公安狩りの先頭に立った。
キム・ナムイル、ソク・ジンファン記者 namfic@hani.co.kr