"君が生きれば独立軍の勇士になり/私が死ねば独立軍の霊魂になることが/同志よ、君と私の願いではないか/ …立て、立て、戦いに、独立門(トンニムムン)の自由の鐘が鳴り響くまで…"
‘光復軍歌’がゆっくり流れる中で28日正午、ソウル市庁前のソウル広場で光復軍と臨時政府で活動した抗日独立活動家であり月刊<思想界>を創刊した言論人、維新独裁に対抗した民主闘士であったチャン・ジュナ(1918~75)先生の民族葬が開かれた。 1975年京畿道(キョンギド)抱川(ポチョン)の薬師峰で疑問死して発見され37年余ぶりだ。
この日‘民族指導者チャン・ジュナ先生民族葬’には夫人キム・ヒスク(88)氏と子息のチャン・ホグォン、ホソン氏など遺族たちと市民・政治家・宗教家など故人を追慕する1500人余りが夜遅くまで訪れた。 広場には「闘士は死んでも語る」、「先生の遺志に従います」等、追慕句を書いた晩章100本余りが翻った。
これに先立って改新宗教界が午前11時チャン先生を賛える追慕礼拝を上げた。 ホ・ウォンベ キリスト教教会協議会正義平和委員長は 「誰も口を開けなかった時代に、先生はまっすぐな声を上げ、37回の逮捕、9回の投獄に遭い、残酷に命まで失ったが国家権力は墜落死として数十年間にわたり国民を欺いてきた。 今や他殺であることが科学的に立証されただけに政府は真実を明らかにし歴史を正しく立て直さなければならない」と話した。
午後3時には天主教追慕儀式でアン・チュンソク神父(チャン・ジュナ先生暗殺疑惑糾明国民対策委員会常任代表)は「醜い先祖になるまいと祖国のために一生を捧げたチャン先生が永眠できるように、無念な死の真実を明らかにし正義を打ちたてることが私たちの任務」と話した。 続けて夜7時40分頃にはハン・ホング聖公会(ソンゴンフェ)大教授の‘最後の光復軍を送って’講義と、民族問題研究所が作ったドキュメンタリー‘100年戦争’の上映が続いた。
文在寅(ムン・ジェイン)、チャン・ハナ民主統合党委員とパク・ウォンスン ソウル市長、アン・ヒジョン忠南知事、イ・ブヨン、イ・チョル前議員なども相次いでソウル広場に整えられた焼香所を訪れた。 ムン議員は「40年近い歳月が流れてチャン先生の死の真相を明らかにすることができないことは子孫として恥ずかしいことだ。 与野党の特別法合意で政府から独立した機構を構成し、真相究明に乗り出さなければならない」と話した。 彼は芳名録に「先生を尊敬します。 恥ずかしいです。 民主主義と歴史的真実糾明のために全力を尽くします」という字句を残した。
長男チャン・ホグォン氏は「父が亡くなった当時には政権のものものしい監視の中で葬式もきちんと行なえず、埋葬地がどこかも分からずに立つこともできない狭い土地にあたふたと埋めた。 収監された西大門(ソデムン)刑務所の前で黙祷でもしようとしたが、朴正熙 維新政権はそれさえも許容しなかった」と回顧した。 彼は「朴槿恵(パク・クネ)大統領は朴正熙の娘としてではなく、この国の大統領として誤った過去を正し国民統合のためにチャン先生問題を解決するよう願う」と話した。
焼香所を訪れた仁川(インチョン)桂山(ケサン)女子高生ユ・ファヨン(17)さんは 「歴史の勉強をしながら先生を知り、尊敬するようになった。 真実を明らかにして歴史的評価がきちんとなされなければならない」と話した。 市民キム・ナギョン(65)氏は「先生が総選挙に出馬して‘朴正熙は思想的放浪児だ。 すべての国民皆が大統領になっても、朴正熙だけはダメだ’と、はきはきした声でおっしゃった姿が鮮やかに目に浮かぶ。 今度は玉虫色でやりすごさずに確実に明らかにしなければならない」と話した。
チャン・ジュナ先生民族葬は30日午前9時の出棺までソウル広場で続く。
パク・ギョンマン記者 mania@hani.co.kr