7日昼‘慰安婦問題解決のための第1047次定期水曜集会’が開かれたソウル鍾路区(チョンノグ)中学洞(チュンハクトン)の日本大使館前。 集会に参加したキル・ウォンオク(84)ハルモニとキム・ボクトン(86)ハルモニが席をはずすと少女像がハルモニに代わって贈り物の洗礼を受けた。 少女像の膝に花束が置かれ、少女像横の椅子には日本人女性たちが折ってきた数千羽の折鶴が置かれた。
友人たちと集まって来た女子高生たちは少女像と肩を組んで写真を撮るのに余念がなかった。 この日の水曜集会に参加した京畿道(キョンギド)金浦(キンポ)小学校のユ・ドンア(11)君は「亡くなったおばあさんを思い出します。 天気が寒いので足が暖かくなるように睡眠靴下を履かせてあげたい」と話した。
少女像はすでに‘冬服’姿だった。 手編みであることがはっきり分かる帽子と毛のマフラを誰かが巻き、膝は毛布が覆っていた。 空いた椅子には子犬の人形もあった。 素足には靴下も履かせられていた。
少女像を製作した彫刻家キム・ウンソン(48)氏は「少女像のつま先部分は地面についているので一般の靴下を履く方法はないが、3週間前くらいに行ってみたら靴下を履かせられていて驚いた。 よく見ると少女像の足に履かせられるように特別に作った靴下だった」と話した。 少女像が現在履いている靴下は足の裏がなく足の甲だけを覆うことができるようにした靴下だ。
昨年12月14日に水曜集会1000回を記念して日本大使館前に建てた少女像は四季を経ながら市民の熱い関心と愛情の対象になってきた。 水曜集会で1年続けてボランティアをしているキム・ソンミン(40)氏は「雨が降れば少女像はレインコートを着て、寒い日にはマフラーをしている。 市民がこのように服を着せるのを見ても格別に愛されているようだ」と話した。 今まで我が国で少女像ほどに熱い愛を受けた銅像はなかった。
このように少女像が‘国民銅像’としての位置を占めることになった理由は何だろうか? 少女像を既存銅像と差別化する核心は‘脱権威’だ。 等身像を基本にして高い座台の上に乗っている既存銅像らとは異なり、少女像は市民と同じ地面に足をつけて目を合わせられる。 キム・ジョンギル京畿道(キョンギド)美術館学芸員は「記念碑的な銅像はギリシャ・ローマの皇帝や英雄の彫刻像のように人々に仰ぎ見させていた。 反面、慰安婦少女像は地面の上で私たちと一緒に出会えるように置くことによって市民が写真も撮ることができ、触ってみることもできる」と話した。
少女像が立っている場所も重要な要因だ。 キム・ジュンギ大田(テジョン)市立美術館学芸室長は「公共美術は場所の脈絡にしたがって情緒や感性を増幅させるが、日本大使館前に少女像があるからこそ市民の心に訴えるところがあるようだ。 李舜臣銅像が場所的に全く関係のないソウル光化門(クァンファムン)広場にあっても格別興味を与えられないのも同じ論理」と説明した。
市民と目の高さを合わせた少女像のおかげで水曜集会の雰囲気や慰安婦問題に接近する社会的な視線にも多くの変化が生じたという評価もある。 キム・パンス(73)ボランティア活動家は「少女像ができて赤ちゃんが水曜集会に訪ねてきて、ハルモニたちに可愛いしぐさも見せる。 被害者として賠償と謝罪を要求する水準を抜け出し祝祭の場になった」と話した。
パン・イジョン美術評論家は 「実際、少女像が登場する前は一般国民が慰安婦問題を必ず解決するべきだという意志を持っていなかったようだが、幼い女の子を具体的に形象化したことで、これがまだ解決されていない問題という点を強く喚起させる効果がある」と話した。 チン・ミョンソン記者 torani@hani.co.kr