「光の革命」。世界の碩学であり『正義とは何か』の著者として韓国でもその名が知られているマイケル・サンデル米ハーバード大学教授は、この言葉で韓国の民主主義の回復を表現した。戒厳に対抗して市民が手に掲げた光を、太平洋の向こうの米国でも見守っていたという。18日、ハンギョレは国家安保戦略研究院(キム・ソンベ院長)が主管した「2025国際朝鮮半島フォーラム」に参加するために訪韓したサンデル教授とソウルで会い、単独インタビューを行った。教授は、市民の抵抗が韓国の民主主義を守ったとみているが、まだ幸せな結末を迎えたわけではないと語った。民主主義は常に危険にさらされており、不満に満ちた疎外された人々の声にきちんと耳を傾けなければ、危機はいつでも再び繰り返される可能性があると助言した。危機を繰り返さないためには、政治的二極化を煽り不平等を増幅させる「能力主義の暴政」を終わらせなければならないと強調した。以下は一問一答。
―戒厳令後、韓国を初めて訪れた感想は?
「戒厳令宣布という脅威に対抗して市民が立ち上がり、民主主義を守ろうとする姿に感銘を受けた。米国を含め世界の民主主義国家に深いインスピレーションを与えるだろう」
―最も印象的だった場面は?
「『光の革命』だ。数百万の人々が闇の中で灯火を持って民主主義の守護を叫ぶイメージは、これからも長く象徴として残るだろう」
―2021年1月6日の米議事堂暴動事件と韓国で今年1月19日に起きた西部地裁暴力事件に共通した背景があると思うか。
「大統領選挙の結果発表を妨げようとした米議会暴動と、韓国で大統領弾劾の過程中に発生した暴力事件の間には、明確な類似点がある。少数集団だが、民主主義から権威主義に転換しようとする動きに同調する勢力が存在する。権威主義統治への熱望が、怒りと挫折感、疎外感、無視されているという感情と絡み合って表れていることが分かる。著書『民主政の不満―公共哲学を求めるアメリカ』でも取り上げたが、人々は自分の声と尊重されたい欲求が長い間無視され、不平等が進めば、結局反発するようになる。主流政党がそのような不満をきちんと汲み上げなければ、米国でトランプ大統領が示しているように、怒りの政治へと流れることになる。韓国で弾劾の過程で表出した暴力もこのような形だと言える」
―この問題をどのように扱うべきだと思うか。
「政治が侮辱、不満に左右される時、主流政治家と既成勢力に対する反発が起き、その怒りを代弁するような過激主義者たちに票が集まる傾向が現れる。トランプはそのやり方で成功した。問題は不平等と排除、発言権の不在に対する『正当な不満』を表出するかたちが、移民者への攻撃や外国人に対する嫌悪、人種差別、女性嫌悪的感情を表わす場合が多いことにある。これがポピュリズム(大衆迎合主義者)の逆攻であり、『不満の政治』の醜悪な側面だ。
主流政党、特に中道左派政党は、若者の中で特に大学の学位を持っていない若い男性が感じる不平等と疎外感をうまく解決しなければならない課題に直面している。彼らは社会に自分たちのための働き口はなく、社会が自分たちの労働を尊重せず認めていないと感じる場合がある。したがって、主流政党と中道左派政党は、権威主義的ポピュリズムの指導者が悪用する人々の『正当な不満』を解決するために、さらに努力する必要がある」
―能力主義がどのように政治的二極化を煽り、民主主義を危機に陥れるのか。
「私が書いた本『実力も運の内:能力主義は正義か?』(英語原題は『能力主義の暴政』)でも書いたが、能力主義は一種の『暴政』になりうるという言葉が逆説的に聞こえるかもしれない。普通は能力と能力主義を肯定的に捉える。確かに、能力主義は腐敗や情実主義、族閥や貴族主義よりはましだ。だが、(能力主義には)闇が存在する。ここ数十年間、勝者と敗者の間の格差が深まり、政治を汚染させ、我々の社会をさらに分裂させた。部分的に所得と資産の格差拡大と関連があるが、単純に経済的不平等だけを意味するわけではない。これは名誉、尊厳、尊重、社会的評価をめぐる不平等とも関連している。
能力主義はエリート政治集団に進入できる人々を優遇し、補償する。能力主義の闇の面は、勝者の成功は自身の努力のおかげであり、それがもたらす恩恵を享受する資格があると信じさせるという点だ。自分より成功しなかった人を無視し、『私はやり遂げたが、あなたはできなかったのだから、あなたは能力が足りないし、経済に寄与する価値ももっと少ない』と語るように煽る。能力主義の危険性は、勝者に一種の傲慢さと驕慢さを持たせ、社会的分裂を深めることにある。また、高学歴エリートが疎外された人々に彼らを見くびったり、自分たちの労働を尊重しないと感じさせる。これがまさに能力主義が一種の暴政へと変質するという意味だ」
―能力主義を和らげることができなければ、民主主義の危機が繰り返される可能性が高いのか。
「そうだ。高等教育が社会的尊重の基盤として過度に強調される今の状況は見直さなければならない。高等教育そのものの価値は尊重すべきだ。その一方で、大学が市場主導的能力主義社会のための選別マシーンとして機能することは大幅に抑えなければならない。そうしないと、上位大学に入学できず排除された人々は、尊厳と社会的尊重を失う状況になりやすい。このような激しい競争への圧迫は勝者にとっても有害だ。教育が追求すべき本来の目的、すなわち探求と成長、市民的徳目と責任感を育てることから、勝者をも遠ざけるためだ。
競争は高等教育を単に勝利の手段として道具化する。それは上位階層に上がる方法であり、良い職業を得る方法、お金をたくさん稼ぐ方法に過ぎない。高等教育を受けた人たちにさえ、高等教育の意味と目的を堕落させるという意味だ。付け加えると、勝者たちのメンタルヘルスと情緒的な健康にも害を及ぼす恐れがある。米国も同じだが、競争圧力が激しい韓国は自殺率が世界で最も高い。自殺は若者の主な死因だ。このように『能力主義の暴政』は様々な形で働きかける。脱落者だけでなく、頂上に上り詰めた人たちまでも押しつぶしている」
―結局、あなたの著書は「共同善」に帰結する。共同善とは何か。
「共同善は正義と平等、権利の概念と市民として私たちが互いに何を頼っているのかをめぐり、公開的に競争し討論する過程を経て、民主的市民によって定義されなければならない。各社会が討論の質と性格によって多少異なる答えを導き出すかもしれない。しかし、これは討論して論争するだけでなく、様々な階層が一つに混ざった制度を備えた市民社会を作っていく問題だ。すなわち、多様な階層的背景を持つ市民が日常で一緒に集まれる公共の場所と共通の空間を作らなければならない。
広い意味での民主的平等が前提にならず、今のように私たちが互いに分離した状態だと、(公共善のための)論争の効果は限られざるを得ない。私たちは別々の生活を送っている。裕福な人と普通の人はますます切り離されて暮らしている。私たちは子どもたちを別々の学校に通わせる。また、それぞれ違う場所で暮らして働きながらショッピングしてレジャーを楽しむ。これは民主主義に害を及ぼす。もちろん民主主義は所得と富の完全な平等を要求するわけではない。しかし、民主主義は私たちが共にしており、共通の生活に参加する一員であることを想起させる、私たちを一つに集める公共の場所と公的空間を求める」
―しかし、現実は政治的二極化が深刻で、共同善のための対話そのものが難しい。共同善に対する考え方もあまりにも違う。これは再び二極化を深化させる。こうした悪循環を断ち切る第一歩は?
「共有された民主的生活を支える『市民社会の基盤施設』を再建するために、さらに多くの努力を傾けることが第一歩だ。市民が集まる市庁のような共同空間、公園、公共図書館、公共文化センター、公共交通、そして富裕層と庶民の皆が子どもを送りたがる公立学校のような共同の空間をさらに多く用意しなければならない。公的資産の再建が第一歩ではあるが、また別の重要な課題はメディアを含む市民社会の他の領域で遂行しなければならない。ソーシャルメディアだけでなく主流のテレビ番組でも繰り広げられる侮辱や怒鳴り声の代わりに、メディアがそれなりに意味があり尊重を備えた討論の場を設けなければならない。もっと公的な議論の場が必要だ。マスコミにはこれを実現する責任がある。また、高等教育課程を含む教育は、市民に違いを越えて相互尊重と礼儀を備え、理性的に思考できる能力を育てるようにもっと努力しなければならない」
―市民社会の基盤施設を構築する上で最も大きな障害は?
「市民のより良い暮らしのためのインフラ構築には様々な障害がある。その中の一つは、投資に必要な公的資金の確保だ。常に容易ではないが、特に経済的能力のある富裕層がこのような公共施設に自分は利害関係がないと考える時、さらに難しくなる。金持ちと貧しい人が一緒に交流できるようにすべきだと強調する理由もここにある。例えば、公立学校は誰もが子どもを通わせたいと思うくらい立派で魅力的でなければならない。立派な教育を受けられるという確信があってこそ、富裕層や庶民層の皆が公立学校を支援することに利害関係を持つようになる。もし、公立学校が単に私立学校に通わせる余裕のない貧しい子どもたちのための場所だと考えられたら、富裕層から資金を集めたり、支援に対する支持を受けることがはるかに難しくなる。ところが、富裕層の子どもたちも公立学校に通うようになれば、彼らの支援と参加を引き出しやすくなる。公共交通システムや健康保険サービス、公園、市立プールなどもすべて同じだ。皆が利害関係を持つようになれば、資金調達もさらに容易になる」
―米国の白人労働者階層と韓国の20〜30代男性の間に類似点があると思う。彼らはますます保守的になり、一部は過激に変わっている。この問題にどうアプローチすれば良いだろうか。
「働き口を得るために孤軍奮闘する、大学教育を受けられなかった青年たちはエリートたちに無視され疎外されていると感じている。これは米国と韓国、そして多くの民主主義国家で共通した政治現象だ。一時、権力に対抗して大衆の声を代弁し、大学の学位や社会的利点がない人々を代弁した中道左派政党が、この40~50年間は労働者階層を概して無視してきたことが問題だ。一般的に米国と西欧諸国がそうであるということだ。韓国については正確に知らないが、ある程度事実かもしれない。
かつて米国の民主党、英国の労働党、そしてフランスとドイツの社会民主党など中道左派政党は、大学の学位のない労働者階層の票を獲得し選挙で勝利を収めた。一方、中道右派政党は相対的により裕福で、保守政党により惹かれる学位のある階層の票を集め選挙で勝った。
ところが、2000年代初めに変化が現れ始めた。その理由は、米国や英国、欧州で1980年代以降に中道左派政党が新自由主義的なグローバル化政策を受け入れたためだ。経済成長は成し遂げたが、その恩恵はほとんど上位20%に行き、下位50%の分け前はほとんどなかった。米国で中位所得(全体所得者を並べた時の中央位置)労働者の実質賃金(物価反映)は50年間停滞してきた。雇用が低賃金国家に流出し、産業都市と村は空っぽになった。
市場主導型のグローバル化を実行したのは中道右派政党だけではない。マーガレット・サッチャーとロナルド・レーガンが自由市場の理念を最初に主張したのは事実だが、米国のビル・クリントンや英国のトニー・ブレア、ドイツのゲルハルト・シュレーダーなど中道左派政党が、純粋な市場主義思想の粗い角だけを柔らかく整え、サッチャーとレーガンを継承した。彼らは市場と市場メカニズムが『公共善』を定義し達成する主な手段だという根本的な前提に、決して疑問を投げかけたことがない。
その代わりに、中道左派政党は賃金停滞と不平等の解決策として教育を強調した。グローバル経済で競争し、勝者になるためには学位を取るべきだと有権者に呼び掛けた。所得が学歴に左右されたためだ。彼らは金融産業の規制緩和と国境を行き来する資本の自由な移動、そして低賃金国家への雇用の外注化を施行しただけでなく、高等教育の価値を強調した。だが、彼らは『不平等が心配ならば学位を取るべき』という助言に内包された侮辱を看過した。
その侮辱とはこのようなものだ。『新たな経済体制で、もがきながら学位も取れないなら、あなたの失敗はあなた自身のせいだ。我々が督励したにもかかわらず、あなたがそれをしなかったのだ』。したがって、学位のない労働者階層が中道左派政党に背を向けたことは驚くべきことではない。もう一度言うが、米国と欧州についての話だ。韓国ではおそらく他の要因が作用した可能性がある。だが、一般的に40~50年間の変化は伝統的に自身を代弁してきた政党から労働階級が捨てられたと感じることに対して十分に説明している」
―ならば、あなたは経済的、政策的アプローチより文化的、規範的アプローチを通じた問題解決にもっと重点を置くのか。
「私は労働者階層が右派ポピュリズムを受け入れるようにした不満の原因を経済的要因と文化的要因に明確に区分していない。二つは共に作用する。『実力も運の内:能力主義は正義か?』でも経済的要因と文化的要因の対立を誇張してはならないと説明した。私は伝統的に中道左派政党が提示してきたこと、すなわち低所得層のためのセーフティーネットを支えるために、富裕層により多くの税金を課す「分配的正義」(distributive justice)と正義のもう一つの次元である「貢献的正義」(contributive justice)を区分する。貢献的正義は社会的名誉と承認、そして尊厳と尊重を得る方式で経済と共同善に寄与しようとする熱望だ。中道左派政党は貢献的正義よりも分配的正義に優れていた。
では、この二つのうちどれが経済的次元で、どれが文化的次元なのだろうか。実際、どちらも経済的、文化的次元を含んでいる。しかし、中道左派政党は、貢献的正義のこのような面を見過ごした。彼らは労働の尊厳性に必要なだけ効果的に注目することができなかった。これは、中道左派政党が再分配に対する強調を超える必要があることを示唆する。再分配をあきらめてはならないが、労働の尊厳性に対する強調でこれを補うことが重要だ。経済と共同善に重要な貢献をするが、大学の学位を持たない人々の暮らしをよりよくする方法は何か。答えは多様であり得る。だが私が提案するのは、政治的言説の焦点を、能力主義的競争のために人々を武装させることから抜け出し、労働の尊厳性を再確認し回復することにさらに集中する方へと転換しなければならないという点だ」
―韓国の民主主義に対する見通しは?
「ここ数カ月間、韓国が民主主義を確立するために見せた姿は、全世界の民主主義国家の模範となった。こんにち、世界の多くの民主主義国家で民主主義が危険にさらされている。韓国で権威主義体制への転換の試みに対抗し、民主主義と民主主義のルールと制度を守り抜いた大衆の支持と協力は、世界の民主主義を愛する人々にインスピレーションを与えるだろう。
民主主義は一度に完成し永続性を持つプロジェクトではない。我々は民主主義がいかに脆弱であるかを目の当たりにしてきた。韓国は1987年以降、相対的に短い民主主義の経験の中で、印象的な民主主義の確立を成し遂げた。米国は200年前に出発したが、今は困難に直面している。民主主義の未来も疑問として残っている。トランプ大統領が民主主義のルールに違反したというニュースを毎日ヘッドラインで見ている。私たちは安心して民主主義が永遠に救われたとは言えない。安堵し普段のように日常に戻れるような状況ではない。民主主義は脆弱で、国民の支持と確信がある時のみ守られるということを学んだ。
今や韓国と米国、そして全世界の民主主義国家が直面した課題は、選挙日にただ投票するだけでなく、民主主義を深化させることだ。また、市民が日常の中で一緒に集まり、互いを同等の存在として認め合うことができるようにする包括的条件、すなわち広範囲な民主的『条件の平等』を作っていなければならない」