「まさか、御座(玉座)にでも座ったんじゃないですか?」
10月22日午前、オープンデスクチームに所属する記者と私は、首をかしげながら「冗談」を言い合った。想像するだけで失笑が漏れた。尹錫悦(ユン・ソクヨル)前大統領の妻のキム・ゴンヒ女史が2023年9月12日に景福宮(キョンボックン)を非公開で訪問し、慶会楼の2階に上がっただけでなく、勤政殿(クンジョンジョン)の中にも入っていたことを確認し、独自記事を出した直後だった。
国宝223号に指定されている勤政殿は、一般人の立ち入りが禁止されている。そのような場所に「乱入」したのだから、単に眺め回すだけでは済まなかったはずだと思ったが、いくらなんでも御座に座る? それは私たちの想像力の及ばない出来事だった。
同日、キム女史が御座に座ったかどうかは、すぐに明らかになった。国家遺産庁は国会文化体育観光委員会(文体委)所属の議員に資料を送り、「当時、龍床(玉座)に座った事実があることを確認した」と明らかにした。「勤政殿の龍床は王の権威を意味」し、「歴代大統領が龍床に座った事例はない」という説明が続いていた。
私たちの想像力の及ばない、より正確には常識から外れた国家遺産の「私的流用」の例が連日、続々とあらわになっている。もちろん予告編があった。昨年末に明らかになった「宗廟(チョンミョ)茶話会事件」だ。キム女史が昨年9月3日、ユネスコ世界遺産の宗廟に外国人の知人を招いて便法茶談会を開催し、歴代の王と王妃の位牌を奉安した神室まで無断で開けてのぞき込んだ事件だ。宗廟は王室の子孫でさえ法の規定で休館日には行けず、入場時には入場料を支払う。
高宗と明成皇后の居所だった乾清宮(コンチョングン)の固く閉ざされた門も、尹錫悦前大統領夫妻の前では簡単に開かれた。2023年3月5日に連絡もなしに景福宮を突如訪れた二人は、内部の観覧が制限されている乾清宮に立ち寄り、明成皇后の寝殿だった坤寧閤(コンニョンハプ)に二人きりで入り、10分ほど滞在したという。キム女史は同年3月2日、景福宮内の国立古宮博物館の第2収蔵庫を、訪問記録も残さずに非公開で訪問してもいる。第2収蔵庫には朝鮮王朝実録、朝鮮王朝儀軌などの2100点の遺物が所蔵されている。
前政権で起きたことではあるものの、国家遺産庁長は頭を下げた。ホ・ミン国家遺産庁長は10月29日の文体委の総合国政監査に出席し、「国民の誰も理解できない私的行為であり、誰もしてはならない特恵だと思う」と述べて謝罪した。
「国家遺産の私有化を超えた国宝壟断行為」(共に民主党のキム・ギョフン議員)という批判の中、次なる報道が。尹前大統領夫妻が乾清宮を訪れた日の翌日、大統領秘書室が当時の国家遺産庁の宮陵遺跡本部長に電話して乾清宮にあった王室工芸品の貸与について問い合わせ、9点を借り上げていたことが、6日にオープンデスクチームのシム・ウサム記者の独自報道で伝えられたのだ。
再現品とはいえ、王室で使われていたものであるため、その用途は格別だ。9点中、宝案は儀礼用の印章である御宝を載せる、御座の前に置く卓だ。宝函は玉璽などの重要な物品を保管するのに使われたものだ。
「まさか」とは言ったものの、やはり9点は漢南洞(ハンナムドン)の大統領官邸に2年間あったことが別の報道で明らかになった。キム女史サイドは「龍山(ヨンサン)の大統領室と官邸はいずれも国賓や外賓との接見などの公式の外交活動のための空間として使われていた」(キム女史の法律代理人のユ・ジョンファ弁護士)という趣旨の釈明を発表した。ただしそれでも、正確に9点が業務棟と住居棟に分かれている官邸のどこに置かれていたのかは、依然として謎だ。
キム女史の「王様ごっこ」問題は今や、真相をめぐる攻防戦の様相を呈しつつある。当初、キム女史はイ・ベヨン前国家教育委員長の勧めで勤政殿の御座に座ったと思われていた。同行していた国立博物館文化財団のチョン・ヨンソク社長の証言だ。一方、イ前委員長は13日の特検による参考人事情聴取で、「『御座に座って見下ろしたら臣下の姿が全部見える』という説明を聞いて、突然キム女史が近づいていって座った」と述べたという。これについて、キム女史サイドは果たしてどのような釈明をするだろうか。
言っていることが正しかろうが間違っていようが、明らかなのは「王様ごっこ」の代価は必ず支払わなければならないということだ。
イ・ユジン|オープンデスクチーム長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )