私は中国が嫌いだ。突然の反中宣言か?そうではない。私は米国も嫌いだ。ロシアも嫌いだ。私はほとんどの国が嫌いだ。理由はレッテルの貼り方次第だ。まず、人間が問題だ。米国は人間が騒がしくて嫌いだ。中国も同じ理由で嫌いだ。フランスは人間が無礼で嫌いだ。フランス人は無礼さを耳当たりのよい言葉で隠して生きる小賢しい人たちだ。ドイツは少し好きな国なので、嫌いな理由を考えなければならない。ナチスだから嫌だとは言えない。意外なことにドイツ人は優しい。原罪を抱える国の人たちはなぜか少し優しい。嫌いな理由を見つけた。ドイツは食事がまずくて嫌いだ。当然、英国も嫌いだ。食事がドイツよりまずくて嫌いだ。
何かを嫌いだと言うと、良いところも探せと言われる。良い面だけをみる人生が幸せなのかどうかはわからない。私は何でも嫌いなものが先に目につくタイプの人間だ。だからこそ、このコラムのタイトルも「キム・ドフンのひねくれ」だ。私も「キム・ドフンの優しさ」のようなタイトルのコラムを書きたい。しかし、ネタが思い浮かばなくなり、4回ほどで連載を終えてしまうだろう。好きなものだけで埋めつくした文章を、一体誰が読むだろうか。私たちは、友人たちと誰かをほめながら時間を過ごすことはめったにない。ほめることもあるが、3分で終わりだ。代わりに陰口をたたく。30分は話せる。ただし、年を取るにつれ、陰口はだんだんと減っていく。若いからこそ「あいつが5年前にやったこと」について腹を立てることができる。年を取ると「あいつが15年前にやったこと」ばかりだ。15年前のことなど、よく覚えてなどいない。記憶が減退すれば怒りも減る。
誰もが嫌う国はあるだろう。最近では、世界中の人たちが最も嫌う国は、米国、ロシア、イスラエルなどではないかと思う。力が強いからといって横暴に振舞う国々だ。韓国人が一番嫌いな国はどこか。中国だ。最近の韓国メディアは嫌中デモを批判している。韓国内の人種差別をなくそう。多くの記事は倫理的にいさめるだけで終わる。倫理的な叱責ほど効果に乏しい結論もない。韓国は人種差別が微妙な国だ。他の人種と一緒に暮らした経験が極端に少ない。他の人種が嫌いだというより、慣れていない。米国人が「わが国の人種差別」を語るときと韓国人が「わが国の人種差別」を語るときでは、同じ文言でも意味が異なる。嫌中デモに関係のないイスラエル国旗が登場したことをみるだけでわかる。この国は差別をするにしても、本当の意味での脈絡がない。
みんな嫌中や反中を語っている。最近の韓国政界は嫌中デモに絡んで「反中感情」をかなり懸念している雰囲気だ。極右、いや、現時点では西欧の極右と肩を並べるには根っこが浅いので保守と呼ぼう。保守が反中を扇動することが韓中関係にとっての負担になる恐れがあると、進歩派の政治家やメディアは心配している。心配ではあろう。だが、区別しなければならないことがある。嫌中デモと反中感情の主体だ。前者は偽情報だらけの政治系ユーチューブの中毒者たちだ。後者はそうではない。2023年の韓国ギャラップ調査では、韓国人が最も嫌いな国として選んだのは中国だ。34%だ。日本は24%にまで後退した。20代の77%が日本に対して好感を持っている。70代以上は36%にすぎない。中国に対する非好感度が最も高い世代は20代だ。最も低い世代は40~50代だ。認めよう。韓国は、韓国の未来の世代は、中国を最も嫌っている。反中より反日に慣れている40代と50代は気を揉んでいることだろう。
気を揉むことなどやめよう。理由は単純だ。どの国も隣国を最も嫌う。隣国とは当然親しいはずだというのは、歴史と地理の勉強が足りない人たちの優しすぎる世界観だ。インドとパキスタンは互いに殺し合うほど嫌いあっている。ギリシャとトルコは宿敵だ。英国とフランスは百年戦争の記憶など忘れたふりをするが、互いにいまだに見下している。南アフリカ共和国の周辺諸国は南アフリカ共和国を一番嫌っている。ベトナムは中国を嫌っている。タイと周辺諸国も互いに嫌いあっている。アルゼンチンとブラジルが互いに嫌う理由をアルゼンチンの友人に尋ねたところ、ただ笑っていた。ブラジルの友人に尋ねたところ「南米のすべての国はアルゼンチンを嫌っている」という返事が来た。ロシアとドイツが国防費を増額する様子を見守るポーランドの心境も聞いてみたい。
すべての国が隣国を最も嫌う理由は、隣りだからだ。仕方なく何百年も隣り合って過ごしていれば、わだかまりが生じないわけにはいかない。イスラエルがガザ地区に爆弾を浴びせても、ドラマの著作権を無視してコピーする中国のほうがもっと嫌いだ。ロシアがウクライナにドローン攻撃を浴びせても、キムチを自国の食べ物だと主張する中国のほうがもっと憎い。遠くの国を嫌う理由はあまりない。近くの国には嫌いな理由が次々と生まれる。近いがゆえに関わることが多く、目に入るものも多いためだ。
反日が反中に転化した理由も単純だ。日帝強占期(日本による植民地時代)の集団的記憶は、それを体験した世代とともに徐々に蒸発しつつある。最近の世代にとっての日本は、安くて旅行に行きやすく、「鬼滅の刃」のような作品づくりもうまい、とにかくそのような国だ。ライバルであり憎い隣国の地位は中国が取って代わった。半導体も競争だ。携帯電話も競争だ。電気自動車も競争だ。土地も広くて人口も多いため、気になることも多い。新世代は、高齢の皆さん、いや私も含めた世代のように「三国志」を読んで成長したわけでもない。「中国夢」という単語の好き嫌いを世代別に調査すれば、驚くほど極端な結果が出るだろう。
今日も私のフェイスブックには、「中国経済は内部では腐っているから心配するな」という主張と、「中国経済は韓国を圧倒しているから緊張しなければならない」という主張を込めた長文が、互いの存在を知ることなく争っている。結局のところ、一種の反中感情という点ではそれほど仲は悪くなさそうだ。しょせん私たちは、いとこが土地を買ったとか、あまつさえ自分より大きなテレビを買ったというだけで、ねたましく思う人間だ。適当に反米でも反日でも反中でもしながら生きればいい。根拠のない嫌中でさえなければ問題ない。そういえば、イスラエル国旗を手にソウルの大林洞(テリムドン)で行われた嫌中デモに繰り出した人たちが、路地裏にただよう羊肉串や麻辣湯の香りを愛国心でもってこらえている表情がちょっと気になる。それを捕えるカメラマンの皆さんの腕に期待したい。