12・3戒厳宣布から3月20日で108日を迎えた。光栄にも国会でこれまで繰り広げられた「歴史の現場」を取材することになった。その場では誰かの「勇気」が世の中を変えていた。そのうち4つの勇気に関して記録する。
1.戒厳:市民の勇気
昨年12月3日午前12時。急いでタクシーを拾って到着した国会議事堂の前では、すでに多くの市民が「戒厳撤廃、独裁打倒」を叫んでいた。急いで「タルンイ」(ソウル市の共有自転車)に乗り、国会を一周した。塀を越えようとする市民・国会議員補佐陣らと警察のもみあいが起き、市民の叫びは軍ヘリの無慈悲なプロペラの音も突き抜けていた。ついに午前1時1分、国会で戒厳解除案が可決されると、市民たちは歓声をあげた。その場で発言台が設けられ、それぞれマイクを握った。一歩間違えれば永久に政権を握ることにつながったかもしれない親衛クーデターを「たった2時間の内乱」に変えたのは、他でもない市民たちの勇気だった。
2.弾劾:議員の勇気
12月14日午後5時。国会本会議場の傍聴席に座った筆者は、ウ・ウォンシク国会議長の口に全神経を集中させていた。「在席議員300人のうち、『可』204票」。全身に電気が流れたようだった。弾劾反対を党の方針として定めた与党からも、12人が賛成票を投じたことを意味するからだ。この日、一日中国会本庁前で「弾劾に賛成してほしい」として1人デモを行った与党「国民の力」のキム・サンウク議員は、議員たちと記者団がみな会議場を離れた後も、席に残って目を閉じていた。弾劾案の可決に向けた最終ライン「賛成200票」をかろうじて上回った背景には、殺害の脅迫まで受けながらも弾劾に賛成の意を示した与党議員たちの勇気があった。
3 真実:軍人の勇気
12月のある日の午前。1通の情報提供メールが届いた。機密性の高いメッセンジャーで連絡してほしいと言われ、それに応じたところ、突拍子もなく「情報提供料」を要求された。「ジャーナリストの倫理に反する」として断ると、「基本ができていない」として悪態までつかれた。最後まで断ると、しばらく返信がなかった彼から、メッセージが届いた。「情報提供料はテストでした。あなたがどれほど真摯な記者なのかを確認したかったのです」。彼が打ち明けた話は衝撃的だった。12・3内乱の黒幕とされるノ・サンウォン元情報司令官が、陸軍士官学校出身の後輩たちを中心に情報司令部内部に私組織を作り、戒厳当日に別途待機させていたという暴露だった。彼らは部隊内に外部の人間を入れただけでなく、部隊長を閉じ込めた。彼らの任務は、中央選挙管理委員会の職員と主要政治家を逮捕することだった。
4.広場:みんなの勇気
戒厳から108日の間、広場に集まった市民は数百万人に達する。今も広場には冷たい風の中、ハンガーストライキ、三歩一拝、ペンライト集会を続ける市民たちが集まっている。彼らの勇気は内乱を止め、内乱首謀者の責任を厳重に問うに当たって最も大きな力であったし、今後もそうであろう。しかし広場には「弾劾反対」を叫ぶ市民もいる。彼らも「救国の決断」として広場に出てきたはずだ。尹大統領の弾劾宣告が近づいている中、広場のすべての市民を包容する勇気を持った人が、この国を率いる資格を得るだろう。そのように皆の勇気を集めて新しい時代が繰り広げられることを、その過程を記録する栄光を再び得ることができることを願っている。