「大学が騒々しい。学生たちが『親パレスチナ抗議デモ』をするために大学の講義室、建物、広場を占拠している」。ドイツで最も影響力のある時事週刊誌「シュピーゲル」の今週のメインコラム(Leitartikel)の冒頭の一文だ。このコラムはイスラエルのガザ地区に対する攻撃と、虐殺に抗議するデモが全世界の大学に急速に拡大している昨今の状況を扱っている。
今、私が研究学期を迎えて訪問教授として来ているハンブルク大学も「騒々しい」のは同じだ。ここでも最近、イスラエル軍の虐殺に抗議し、戦争終結を求める大小のデモが頻繁になっている。しかし、このような国際的な連帯デモの熱気よりも私に大きな感動と衝撃を与えたのは、大学の掲示板にぎっしりと貼り出された様々なポスターやビラだ。講演会や討論会、集会やデモを知らせるビラが、ドイツの成熟した民主主義を生き生きと証言していた。
特に多かったのが、社会的弱者との連帯を強調するポスターだ。「職業教育を受ける学生たちに『生存』のための報酬ではなく『生活』のための報酬を」、「人種主義と分裂に反対する。共同の決定と国際連帯のために」というタイトルをつけた2つのポスターが真っ先に目にとまった。「すべての大学の従事者よ、団結せよ! 助教と講師の労働条件改善のために街頭に出よう!」というポスターもあった。
印象的なのは、ハンブルク大学学生自治会の猛烈な活動を示すポスターだ。自治会は各種の社会的懸案に介入して講演会や集会を企画していた。「気候運動のために自動車産業を社会化せよ!」とのテーマの下に連続講演を開催したかと思えば、ハンブルク地域の問題にも積極的に介入している。例えばハンブルクの港湾関連の公企業が私企業による買収の危機に直面していることに対し、それの阻止活動にも先頭に立っていた。さらに「ハンブルク財産没収(Hamburg Enteignet)」という市民団体と手を組み、悪化する住居問題に対する革命的な解決策を打ち出していた。それは「ハンブルクにある住宅を500軒以上所有する不動産私企業の財産没収と社会化の是非を問う住民投票」だ。
国際的な問題、特にウクライナとイスラエルの戦争を批判するポスターも多数あった。「平和の叫びが歪曲されている」と題して、イスラエル・パレスチナ戦争に対するドイツ政府の態度を糾弾する討論会の開催を知らせるビラ、イスラエル軍の即時撤退とドイツ政府による武器提供の中止を求める「抗議キャンプ」を行うというビラも見られた。チリのアジェンデ政権を崩壊させた軍事クーデターから50年になるのに際しての音楽会の宣伝も興味深く、抑圧されているイラン女性たちとの連帯デモへの参加を訴えるビラの文句「イラン女性たちと連帯しよう。神権政治反対。ファシズム反対」には胸が熱くなった。
講演会も大半が社会批判的なものだった。「欧州中心主義以降の政治理論」、「土地と大地について決めるのは誰か」、「野生の民主主義、抗議する権利」などの講演会が開かれており、ドイツの歴史清算問題を扱った「植民地支配、記憶の空白」という連続講座も行われていた。特に「ナミビアとドイツ ドイツの植民地主義を誰が、どのように記憶するのか」という講演が目を引いた。「批判的自然科学徒のための講座」も興味深かった。自然科学徒の批判的社会意識を育むために開設されたこの連続講座では、「ファシズムの支柱としての地理学」、「犯罪の統計学」、「社会を批判したから職業禁止?」、「情報学の事例からみた戦争と平和の間に立つ学問」など、様々な社会批判的テーマが取り上げられている。その他にも、エコロジー、ジェンダー問題などに関する講演や討論、集会やデモも数え切れないほどある。
ドイツの大学の掲示板を見て、私は「大学とは、最も理想的なユートピアを先取りする小宇宙」だというフンボルトの言葉を思い出した。ここには「ユートピアを先取り」しようとする波が打ち寄せている。ドイツの大学が世界のあらゆる苦しみや抑圧に抗議して「騒々しい」一方、韓国の大学は世の中に何が起きていても「静かだ」。ドイツのキャンパスが熱い政治的公論の場なら、韓国のキャンパスは寂寞とした政治の無風地帯だ。世の中にどんな悲劇が起きても、そこには壁新聞ひとつ貼り出されることがない。むしろ社会的問題が提起されれば、例えば大学の清掃労働者がデモを行えば、うるさいとか授業を妨害していると言って告発し、果ては損害賠償を請求するのが韓国の大学だ。
鳥のさえずらない「沈黙の春」は生態系の危機の到来を警告する。鳥が沈黙すれば、次は人間が沈黙する。大学生の声の聞こえない沈黙のキャンパスは政治的破局の到来を警告する。大学が沈黙すれば民主共和国は死ぬ。民主主義は息を殺し、共和主義は息を引き取る。
キム・ヌリ|中央大学教授(独文学) (お問い合わせ japan@hani.co.kr )