米国の大学生のガザ戦争に対する抵抗の震源地となったニューヨークのコロンビア大学に警官隊が突入し、建物を占拠して座り込みをしていた学生たちを逮捕した。1968年のベトナム反戦運動を始めたコロンビア大学の学生たちが鎮圧されたのと同じ場所かつ同じ日に行われた鎮圧であり、56年前を彷彿とさせる学生たちの抵抗がどのような影響を与えるのか注目される。
米国メディアは4月30日夜(現地時間)、ニューヨーク警察がこの日早朝から、数十人がバリケードを築いて座り込みをしていたコロンビア大学のハミルトンホールに突入し、座り込みをしていた者たちを逮捕したと報じた。鎮圧用の装備で武装した警官が、はしご車を利用して建物の2階の窓から進入して逮捕した。警官隊は、校内の中央広場でテントを使った座り込みをする学生も逮捕した。キャンパス外で鎮圧に抗議した学生も連行された。
これに先立ちコロンビア大学当局は、前日午後2時までにテントを使った座り込みをしている場所から退去するよう通知したが、学生たちは投票を通じて拒否を決議した。その直後、学校当局は学生たちに停学処分を下すと警告。翌日早朝、一部の学生が、座り込みの場所の近くにあるハミルトンホールに入ってバリケードを築いて占拠した。コロンビア大学は、建物を占拠した学生たちを退学させると脅す一方で、警察に鎮圧を要請した。ネマト・シャフィク学長は警察に送った書簡で、学校の構成員ではない者たちが座り込みに加担しており、「わがキャンパスに深刻な危険を招いている」と主張した。シャフィク学長は警察に、少なくとも5月17日までは校内に留まるよう要請した。
ハミルトンホールを占拠した学生たちは、この建物を「ヒンドのホール」と自主的に命名し、横断幕を張るなどをした。学生たちが記憶にとどめようとしているヒンド・ラジャブは6歳のパレスチナ人少女で、昨年10月7日のガザ戦争勃発後にイスラエル軍の攻撃によって死亡したパレスチナのガザ地区の民間人の悲劇を象徴する。ヒンドは昨年1月29日、家族全員が殺害された車両の中から救助を要請する電話をしたが、2週間後に車の中で遺体となって発見された。出動した救助隊員2人も遺体で発見された。
戦争に反対して軍産複合体への投資の撤回を要求する学生たちに対する鎮圧は、1968年のコロンビア大学の状況と様々な点で似ている。当時、ハミルトンホールなどを占拠し、ベトナム戦争での徴兵反対と同校の軍産複合体との関係断絶を主張した学生約700人を、約1000人の警官を投入して鎮圧した日も4月30日だ。56年前の座り込みは反戦運動に一線を画した事件だ。その後、反転運動が続くなかで、1970年5月に州軍の発砲によってケント州立大学で4人、ジャクソン州立大学で2人が命を失った。今回の占拠座り込みをした「コロンビア大学アパルトヘイト投資撤回」を名乗る集団は、学校当局が「武装した警官隊と軍隊を呼び入れ、新たなケント州立大学とジャクソン州立大学の事件を起こそうとしている」と主張した。
1968年以降、米国の学生運動を主導したコロンビア大学では、ハミルトンホールは何度も占拠座り込みの場所として使われた。最初の鎮圧の直後の1968年5月にも、学生250人がこの建物を占拠して逮捕され、1972年にも占拠座り込みがあった。1985年には、アパルトヘイト(白人による黒人差別)政策を行っていた南アフリカ共和国と関係する企業に対する投資の回収を要求する座り込みが行われた。1992年には、黒人人権運動家のマルコムXが暗殺された場所となったコロンビア大学が所有する建物の改造計画に反対する学生が建物を封鎖した。1996年にも、人種と民族的な多様性をカリキュラムに反映するよう要求する学生が占拠した。
コロンビア大学は4月18日、警官隊がテント座り込みの参加者108人を逮捕したことで、全国的な抵抗を誘発したところだ。その後、数十の大学でテント座り込みなどが行われた。29日にはポートランド州立大学の学生が図書館占拠座り込みを始めた。30日には、ニューヨーク市立大学シティカレッジでもテント座り込み参加者を警官隊が連行した。この日、ノースカロライナ大学チャペルヒル校でも30人が逮捕された。これまで米国全土で逮捕された学生は約1100人に至る。