総選挙を1週間あまり後に控えた今、社会の進歩を夢見てきた多くの市民は複雑な心境だろう。「誰がよりひどいか」をめぐって支離滅裂な戦いを繰り広げている二大政党のはざまで、進歩政党は院内政党の地位を失うことを心配しなければならない境遇に置かれたり、巨大野党の比例衛星政党に加担したりして、進歩政治の土台まで揺さぶっている。逆に「検察改革」を政治的議題の核として掲げた祖国革新党は、尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権との対決を鮮明にするという美名の下、各種世論調査で躍進している。またしても審判と復讐の言説が支配する局面となっているのだ。
しかし、尹錫悦も検察も追い出そうという熱い叫びの中で気になるのは、彼らを追い出した後に私たちが向き合うことになる共同体の姿だ。私たちが彼らの「退陣と弾劾」を叫ぶのは、来たるべき共同体がどのようなものだからなのか。2014年のセウォル号惨事と2016年の国政壟断事態に怒り、朴槿恵(パク・クネ)の退陣を迫った広場の叫びはいま、どうなっているだろうか。2022年に私たちは梨泰院(イテウォン)でまたも国家の不在を目撃し、朴槿恵の代わりに尹錫悦と、チェ・スンシルの代わりにキム・ゴンヒ「女史」と向き合っている。朴槿恵を引きずりおろしたように尹錫悦を引きずりおろせば、私たちは安心できるのだろうか。
全面的な体制の転換なしに私たちの暮らしが改善することを期待するのは、幸運を願うということだ。世界1位の自殺率、出生率最下位という指標が示すように、人々を死へと追いやり、後続世代に再生産を放棄させる韓国社会は、朴槿恵、文在寅(ムン・ジェイン)、尹錫悦と経るたびに悪化の一途をたどってきた。人物は変わったものの、体制はそのままだったからだ。2008年の全世界的な金融危機を起点として解体されるかにみえた新自由主義はしつこく生き残り、私たちの共同体の社会的基盤を破壊してきた。相変わらずの性差別とマイノリティーに対する嫌悪、すでに人類の生存を脅かしている気候危機も、「いまの状態はもはや存続不可能だ」と警報を鳴らしている。これまで私たちの生活の基礎となってきたこの体制に、もはや希望はない。
イタリア共産党の理論家だったグラムシは、既存の体制が社会的な要求を解決できない状況が積もり積もって時効を迎えても新たな秩序が提示されない時期を「インターレグナム」、すなわち「空位」の時代と呼んだ。この時期には多くの政治勢力が新たな秩序を提示するために奮闘する。しかし、そのような秩序は否定だけでは構築できない。「あの政治勢力はだめだ」、「あいつを引きずりおろそう」というスローガンだけでは足りない。新たな秩序と体制とは具体的にどのようなものなのか、そして社会の構成員が生きていく新たな暮らしの様式はどのようなものなのかを提示する肯定の言説が必要だ。私たちの共同体がどのように変わるべきなのかについての青写真を提示しなければならない、ということだ。
現体制に代わる新たな共同体の青写真を提示してきたのは、進歩・左派ではなく極右勢力だったと思われる。3月27日にハンギョレに掲載された朴露子(パク・ノジャ)教授のコラムは、欧州諸国で伝統的な左派と進歩勢力を圧倒している極右政党の躍進を詳しく紹介している。これまで進歩と左派の支持層だった労働・下位階級、特に低賃金・非正規労働者階級が、反移民政策と国民国家の主権の強化を強調する極右政党に投票する傾向が強まっているというのだ。「米国を再び偉大に」しようと言って白人労働者階級の動員に成功したトランプの躍進も、これと重なる事例だ。しかし朴露子教授は、反移民と主権の強化という西欧の極右政党の特徴が現在の韓国の「エリート的極右」には見られないため、韓国的な極右は失敗を露呈していると分析する。
しかし尹錫悦風エリート極右の失敗がすなわち進歩の勝利を、進歩的社会の建設を意味するわけではない。西欧の極右政党の成功は、その内容の是非とは関係なしに、共同体に説得力のある青写真を提示したからこそ可能となった。否定し反対する戦略で何度かの選挙で勝利した民主党勢力は、どのような具体的な社会像を提示しているのか。尹錫悦を、検察を引きずりおろしてイ・ジェミョンを、チョ・グクを立てたとしても、次なる尹錫悦、次なる李明博(イ・ミョンバク)や朴槿恵が登場しないわけではないことは、誰もがよく分かっている。いま必要なのは誰かに代わる何者かではなく、私たちの共同体の転換の内容だ。
その点で進歩メディアが果たすべき役割がある。メディアは発生した社会的事件を大衆に伝えもするが、社会的想像を構成し、「議題を設定」するという役割も担っている。肯定的なものであれ否定的であれ、メディアの真の力は後者から生じる。特に空位の時代には、メディアにはこのような力をきちんと発揮するという責務がある。共同体を新たに創造するための具体的な想像を紙面に集め、討論と論争を触発しなければならない。
今回の総選挙局面でハンギョレは「気候有権者」、「気候総選挙」を主要議題として設定したようだ。与野党の支離滅裂な政争にとどまらず積極的な議題設定を試みたという点で、気候危機の深刻さと総選挙という局面をうまく結び付けたという点で、私はうれしかった。しかし、気候危機を克服するために体制を転換するということが具体的に市民の暮らしにどのような変化をもたらすのか、私たちがいま享受している文明と技術の安楽さをどれほど、またどのように捨てて、新たな体制に適応すべきなのかなど、具体的な想像を可能にする企画だったのかについては疑問が残る。
70あまりの市民社会団体が立ち上げた「体制転換運動」の政治大会が3月25日に開催された。その直後、ハンギョレは「チョ・グクブーム」の分析記事を掲載したが、大会に関する報道はほとんどなかった。現体制を脱して「何をなすべきか」についてのより多くの論争が、進歩メディアには必要な時に来ている。
イ・ジュンヒョン|新村文化政治研究グループ研究員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )