韓国のエバーランドのジャイアントパンダ「福宝(フーバオ)」が来月3日、中国四川省のパンダ保護研究センターに送られる。国民的に愛されたフーバオが韓国を離れる時が近づくにつれ、マスコミは先を争って関連記事を出している。サムスン電子がフーバオと同行する飼育員に中国語のリアルタイム通訳が可能なギャラクシー24を提供したとか、エバーランド側が旅行会社と提携してフーバオを見に行く旅行商品を用意しているとか。
フーバオはかわいくて愛らしい。私もスマートフォンで我を忘れて眺めていた。その一方で、心のモヤモヤが消えないのは、パンダに対する私たちの態度が方向を間違えているという気がするからだ。
最初のパンダブームが巻き起こったのは1936年、米国のファッションデザイナー、ルース・ハークネスが生後9週間の野生のパンダを捕獲して連れてきた時だ。ハークネスはパンダを抱いて哺乳瓶でミルクを飲ませ(パンダ人形のモデルになった)、絶滅危惧種のパンダは生命体の脆弱性を象徴する存在に浮上した。
パンダは20世紀半ば以降、国際政治のど真ん中にいた。中国の毛沢東主席が北朝鮮と旧ソ連にパンダを贈ったことで、「パンダ外交」が始まった。その直後に米ソ冷戦が続き、西側の動物園ではパンダを見ることができなかった。1958年、シカゴ動物学会が苦労の末にパンダ「チチ」を連れてくることにしたが、米国務省が「共産主義商品」という理由で許可しなかった歴史もある。(結局チチはロンドン動物園で最高の人気を博し、環境団体「世界自然保護基金(WWF)」のマスコットにもなった)
冷戦を崩壊させた政治現場にもパンダがいた。1972年、リチャード・ニクソン大統領が中国を訪問した後、米国に来た「玲玲(リンリン)」と「興興(シンシン)」は国中を魅了した。その後、中国は首脳外交の記念品としてパンダを活用し、世界各国の動物園もパンダを飼育し始めた。パンダを連れてくる競争が過熱すると、中国は一年に約100万ドルでパンダを貸す「研究用貸与」という方法を提示する。そのため、韓国にいるフーバオと母親の「愛宝(アイバオ)」と父親の「楽宝(ローバオ)」も中国の所有だ。
パンダを贈るためには、個体数が多くなければならない。英紙フィナンシャル・タイムズは2017年「パンダ外交」という探査報道で、2000年代初めまでは150頭余りだった飼育パンダが、積極的な繁殖政策を通じて急増したと報じた。
小康状態にあったパンダ外交も、2012年の習近平主席就任後、活発になった。報道には笑えない話も出てくる。国際自然保護連合(IUCN)がパンダの絶滅危機等級を「危機」から「危急」に下げようとすると、中国当局がむしろこれを覆そうと猛烈にロビーしたということだ。パンダ外交の価値が下がることを恐れたためだろう。
筆者は動物を政治に利用することに強く反対する必要はないと思う。結局動物は人間の影響力の下にあり、政治的行為で動物の処遇が良くなるなら、悪いことではない。大統領が捨て犬の里親になったことで、ペット文化を変えるのに寄与したように。
問題は望ましい効果がない時だ。残念なことに、中国政府は監禁飼育するパンダの数を3、4倍に増やす間、野生パンダの保全には力を入れなかった。森の面積は減り、わずかに残っていた生息地も道路建設で破片化した。その結果、飼育パンダ(633頭、2020年)が野生のパンダ(1864頭、2015年)の3分の1に達するほど多くなった。野生に放した個体数は11頭に過ぎない。パンダ保護研究センターが「パンダ工場」という冷笑される理由だ。
フーバオ現象を見てもっともモヤモヤした点は、パンダが人を好きになるという人間中心的な観点だった。「フーバオは親和力が高く、飼育士によく懐く」、「ママとパパと一緒にいたいのに、中国に送られるなんてとても悲しい」等々。
果たしてそうだろうか。野生でパンダは森でほぼひとりで暮らす。4歳になれば母親を離れ、他のパンダとの出会いは短い繁殖期だけに行われる。このようなパンダの生態からして、パンダが人を好きだとか、家族を離れたがらないという話はただ私たちの勝手なイメージだ。
フーバオに対する愛を批判したいわけではない。一世紀にわたって続いたパンダブームに巻き込まれ、私たちがこのようなシステムの協力者になっているのではないか、考えてみる必要があるという話だ。英国の環境活動家クリス・パッカムは2009年、(中国政府が)野生の保全に使うべきお金を飼育販売する個体数を増やすことに使ったと毒舌を浴びせた。「パンダ保全はこの50年間、環境保全に使った費用の中で最も大きな無駄遣いだ。お金をまともに使うことができるなら、私は喜んで最後のパンダを食べる」。当時も、今も、議論を呼ぶ発言ではあるが。