10日、オーストラリア大使に任命されたイ・ジョンソプ前国防長官は、取材陣を避けるため飛行機の出発時間よりはるかに早く保安検査を通過し、保安区域に入っていた。ところが、同じ飛行機のチケットを買った「文化放送」(MBC)の記者と搭乗口でばったり会うと、戸惑いながら「どうしてここまでするのか」と言った。まさに今、国民が抱いている疑問だ。
昨年7月30日、当時のパク・チョンフン海兵隊捜査団長(大佐)は、キム・ゲファン海兵隊司令官(中将)とともに、(水害の救出活動中に死亡した)C上等兵死亡事件の処理計画をイ・ジョンソプ国防部長官に報告した。ところが翌日、パク団長はキム司令官から計画をすべて取り消すよう指示された。パク団長の供述によると、7月31日の首席秘書官会議で大統領が激怒し、イ長官と電話で話したという。関係者らは否定するが、もしこれがパク団長の作り話だとしたら、彼は具体的な情況まで描写することで大統領を謀略し全国民をだましたことになる。
上層部の指示を伝えたと疑われる主要人物は、国防部ではイ・ジョンソプ長官、シン・ボムチョル次官、パク・チンヒ軍事補佐官、ユ・ジェウン法務管理官ら4人、大統領室ではイム・ジョンドク国家安保室第2次長、イム・ギフン国防秘書官ら2人だ。その後の状況は以下のように展開された。
1)4人は辞任(9~10月):9月に新しい国防長官指名、国家安保室第2次長と国防秘書官は更迭、10月に国防次官が辞任。国防部の長官・次官と国家安保室第2次長(国防担当)、国防秘書官など国防の主要関係者をこのように同時に入れ替えることは、国の非常事態でも起きない限り、極めて珍しいことだ。全員がそのポストに就いてまだ1年ほどしかたっていなかった。シン次官は以前から総選挙出馬を計画していたが、公職者の辞任期限(2024年1月11日)よりはるかに早く辞任した。彼らが一度に退いたことで、国会国政監査に呼び出して(事件に)関連する内容を聞くことができなくなった。
2)2人は昇進(11月):定期将軍人事でパク・チンヒ軍事補佐官が少将に、イム・ギフン国防秘書官は中将に進級した。進級までの期間が満了となったから昇進したのかも知れない。しかし、彼らは捜査対象者だ。告発教唆の疑惑で2022年5月に起訴されたが、その翌月ソウル高等検察庁の送務部長に栄転したソン・ジュンソン検事、「標的監査」疑惑で家宅捜索まで受けたが、事務局長の任期が終わった直後に監査委員に任命されたユ・ビョンホ前監査院事務局長(2月)の事例がないわけでもないが。主要被疑者のイム・ソングン海兵隊1師団長(少将)もこの時、要職である合同参謀本部の戦備態勢検閲室長に任命する案が検討されたが、本人の辞退で政策研修を受けているという。
3)2人は与党の公認候補に(3月):慶尚北道の選挙区(栄州・英陽・奉化)でイム・ジョンドク前第2次長が予備選挙なしで公認候補に選ばれた。同選挙区のパク・ヒョンス議員は地方区画定の変更で近隣の選挙区(義城・青松・盈徳・蔚珍)に移り、キム・ジェウォン前議員と予備選挙を行うことになった。シン・ボムチョル前次官も、忠清南道(天安甲)の公認候補に選ばれた。
4)1人は大使任命(3月):これで9~10月に辞任した4人のうち2人が与党の公認候補となり、1人が大使として出国し、残りの1人は国防部の現職を維持している。
オーストラリアには通常、次官補級が大使として派遣される。国際機関を除き、閣僚級の大使は米国、中国、日本、ロシアの4カ国で、次官級は英国、ドイツ、フランス、インド、欧州連合(EU)などだ。イ前長官の赴任で、オーストラリアは突然米国と中国と同じレベルに格上げされた。また、大使は赴任国との関係を考慮し、2~3年間はその職を維持する。イ大使の直前のオーストラリア大使は2022年12月に赴任し、1年2カ月で退いた。イ大使は任命状の授与式も行わず、任命状のコピーを持って、任命から4日後に出国した。その間に、高位公職者犯罪捜査処(公捜処)の4時間の調査と、法務部の出国禁止解除措置が行われた。大統領室は「出国を禁止されたとは知らなかった」と述べた。法務部が人事検証の過程で出国禁止の事実を大統領室に「知らせもしなかった(?)」ということだ。(事実ならば) 深刻な勤務怠慢を犯した法務部の関係者に重い懲戒処分を下すべきだ。上記の1から4の事例を見る限り、尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権はいつからこんなにも寛大で慈しみ深くなったのだろうか。また、法務部は「証拠物(携帯電話)の任意提出」を出国禁止解除の理由に挙げた。イ前長官は公捜処に携帯電話を提出したが、その携帯は問題の7月31日以後の8月に新たに購入したものだという。捜査機関を欺瞞・愚弄した仕打ちだ。一般人が捜査機関に同じようなことをしたらどうなっていただろうか。
昨年12月8日、「朝鮮日報」が「(与党)国民の力の事務局の状況分析報告書」として、「ソウル49議席のうち『優勢』地域は6カ所」という内容を報道した。その後、12月26日、ハン・ドンフン氏(前法務部長官)が与党「国民の力」の非常対策委員長に任命された。その後、野党「共に民主党」で「『イ・ジェミョン(代表)支持派』の人物公認」による物議が続き、2月には「民主党惨敗論」が広がった。ところが「イ・ジョンソプ駐オーストラリア大使任命」は、しばらく忘れられていた政権審判論を再び呼び起こした。この重大な時期に「どうしてここまでするのだろうか」。口には出せないかもしれないが、与党関係者らは気をもんでいる。民主党の乱脈ぶりをみて「このくらいはやってもいい」と判断したのか、それとも「総選挙で負けたらその時は本当に何もできなくなるから、今のうちに」と判断したのか。それにしても、大統領の周りはなぜ、政権に害を与えることを止めず、ただ眺めていたのだろうか。