多くの知識人が、ガザ戦争に対する左派の反応をイスラエルの観点から批判している。最近、エルサレムのヘブライ大学社会学科の教授であるエヴァ・イルーズは、私がハマスの攻撃に歴史的文脈を与える戦略でハマスの攻撃を相対化しているとして、次のように主張した。「私は、パレスチナ人が自分たちの土地を失った苦しみを(歴史的に)文脈化することを拒否する。パレスチナ人の悲劇を本当に理解するためには、文脈化をやめなければならない。同じように左派も、ユダヤ人がハマスの攻撃後に体験している衝撃と悲しみを共有できないのだろうか」
ハマスの攻撃が生みだしたトラウマ的な効果を説明するのは、歴史的な文脈だ。ユダヤ人はハマスの攻撃後、ナチスのユダヤ人虐殺「ショアー」の記憶を思い出し、パレスチナ人は、イスラエルのガザ地区爆撃をみて、イスラエル建国当時に体験した大惨事「ナクバ」が再び始まったと感じている。
イルーズは、ハマスの攻撃は意図的かつ「極悪非道な犯罪」であり、イスラエルのガザ地区爆撃による民間人死亡は意図されなかった「付随的被害」として区別しなければならないと主張する。ようするに、イスラエル国防軍(IDF)がガザ地区で1万人以上のパレスチナ人を殺したとしても、ハマスが1200人のユダヤ人を殺したことに比べれば、さほど悪いことではないという主張だ。「付随的被害」は本当に許容できるものなのだろうか。たとえイスラエルの爆撃による民間人の死亡が意図されないものであったとしても、人口密度が高い民間人地域を爆撃した場合にどのようなことが起きるのかについては、誰でも予測できることではないのか。
またイールズは、私がイスラエルとパレスチナには同じように責任があると主張したとして、私の立場を「タンゴを踊るには2人必要だ」と圧縮する。私の答えはこうだ。タンゴを踊るのは、イスラエルとパレスチナでなく、イスラエル政府とハマスだ。これは同じことではなく、単にタンゴを踊っているだけだ。タンゴだと言うのなら、陰謀論的ではあるが、ハマスとイスラエル政府が次のような会話を交わしていたと想像してみよう。
「おい。過去に我々イスラエル政府が、パレスチナ解放機構(PLO)に対抗してハマスを密かに支援していたことを覚えているか。今度はハマスが私たちを助ける番だ。ガザ地区の近くにいるユダヤ人を攻撃してほしい。イスラエルでの司法改革反対デモと遅々として進まないパレスチナの民族浄化のために頭が痛い状況なのだ。あなた方がガザ地区のユダヤ人を攻撃すれば、私たちは犠牲者として振る舞うことで国家的な団結を引きだせ、民族浄化をさらに拡大できる」
「いいね。ただし条件がある。復讐の名目でガザ地区の民間人を爆撃すること。そうすれば、世界的に反ユダヤ主義が拡大するだろうから、私たちも目標を達成することになるだろう」
この架空の通話内容は、ガザ戦争について多くを説明する。原則的に被害者には反撃が許されるため、イスラエルは今回の戦争をきっかけに民族浄化に乗りだすことができる。
イスラエルの民族浄化とハマスの虐殺は、第一世界と第三世界の違いを見せつける。第一世界では、9・11テロやハマスの攻撃のような外部からの攻撃は、突然かつ衝撃的な事件の様相を帯びる。人々はすぐに日常に復帰した後、トラウマ的な記憶に苦しめられる。第三世界では、恐怖が1世代から次世代に絶えず続き、日常と一体化する。これは、深い絶望のなかで日常に戻る可能性自体を喪失させる。そうした点で、ユダヤ人が経験したハマスの攻撃とパレスチナ人が経験する暴力を、極悪非道な犯罪とさほど悪くない問題に区別することは不適切だ。
こうした状況のもとで解決策を見出そうとするのであれば、競争するかのように道徳的な判断を下すのではなく、新たな社会的現実を作る本当の政治的な行動を実践しなければならない。ユダヤ人とパレスチナ人は、自分たちをとりまく歴史的なトラウマを消し去る代わりに、ユダヤ人とパレスチ人の両方が西洋の人種主義の被害者だという事実のもとで連帯を構築しなければならない。
スラヴォイ・ジジェク|リュブリャナ大学(スロベニア)、慶煕大学ES教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )