「エミリーが私たちのもとに帰ってきました」
イスラム武装勢力ハマスによって幼い娘を失ったと信じていたトーマス・ハンドさんは25日、「第2次人質釈放」の名簿を何度も確認した。名簿にはっきりと記載されていた。「エミリー・ハンド(9)」。娘のエミリーさんだった。
エミリーさんは、ハマスがイスラエルに大規模な奇襲攻撃を行った先月7日当日、ガザ地区に隣接するビエリ・キブツ(集団農場)にある友人の家に遊びに行って殺害されたとされていた。娘の死亡の知らせにトーマスさんはメディアのインタビューで、「食事も飲み物もない状況で、娘が数年間暗いところで神様を探すことを考えれば、死は祝福だった」としたうえで、「(人質として捕らわれるよりは、死のほうが)絶対によい選択肢」だとインタビューで述べたりもした。
しかしその後、イスラエル国防軍(IDF)などを通じて娘の生存の可能性が伝えられ始めた。半信半疑だったトーマスさんは、拉致から50日後の26日早朝、娘を胸に抱きしめることができた。トーマスさんは英国BBCに「苦しかったこの50日間の感情をどう表現すればいいのか分からない。娘を再び抱きしめることができた」と述べ、喜びを隠せなかった。
ハマスが24~25日の2日間に釈放したイスラエルの人質26人は、全員が子ども・女性・老人だ。イスラエルの報道機関と世界の主要なメディアを通じて、人質として捕らえられていた人たちの身分とエピソードが次々と紹介されている。
エミリーさんと同じ日に解放されたノアムさん(18)とアルマさん(13)姉妹には、迎えてくれる両親がいない。先月7日のハマスの攻撃の際に母親は亡くなり、拉致された父親は今も解放されていない。これに対して、2歳の乳児のアビブちゃんと姉のラズちゃん(4)は、母親のドロン・カッツ・アッシャーさん(34)とともに24日に解放された。父親のヨニさんは、おしゃぶりをしているアビブちゃんと家族を抱きしめ「おもちゃをたくさん買っておいた」と切ない気持ちを伝えた。これらの人たちとともにガザ地区から戻ってきた最高齢の人質であるヤファ・アダルさん(85)は、イスラエル側の最大の被害地の一つである集団農場「ニル・オズ・キブツ」から連行された。近くの待避所で犠牲者の血塗られた手の跡が報道写真などを通じて報じられ、残虐な被害空間として記憶されている場所だ。CNNは「2回にかけて行われた人質解放が、まだガザ地区で拘束されている人質の家族にも希望を呼び起こした」と解説した。
2日間で41人(イスラエル人26人、タイ人14人、フィリピン人1人)が解放されたが、今なお200人前後の人質が残っていると推定される。ハマスがまずは解放対象を女性と子どもに制限しており、男性の人質の家族は苦痛のもとで約束のない生還を待たなければならない。人質の家族は24日の記者会見で「(人質解放で)希望を得たが、人質が全員帰ってくるまでは戦いは終わらない」と述べた。2人の子どもとともに解放されたドロン・カッツ・アッシャーさんはBBCのインタビューで「拉致された最後の1人が帰ってくる時まで、(自分たちが解放されたことを)祝わない」としたうえで、「拉致家族全員が今日から私の新しい家族」だと連帯の意向を明らかにした。
これらの人たちと対等交換の形式で解放されたイスラエル国内のパレスチナ人収監者78人も、故郷の家族のもとに帰った。2015年にイスラエル占領地の東エルサレムの普通の高校生だっマラー・バケールさんは、下校途中にイスラエル兵士を刺し殺そうとしたという容疑で現場で逮捕されてから、8年ぶりに刑務所から解放された。バケールさんと家族は容疑を否定したが無駄だった。監獄で青少年期をすべて過ごすことになったバケールさんはアルジャジーラに、「監獄で過ごすのはつらかったが、他の人の時間のようにその時間も過ぎ去った」と述べた。パレスチナ側は、イスラエル政府が今回釈放した人たちとのメディアのインタビューや、祝いのための客のもてなし、菓子の配布などを禁止する条件をつけ、違反の場合は罰金7万シェケル(約280万円)が科されうると警告したと主張している。