外交部に初めて立ち入った際、最も困惑したのはPG(プレス・ガイダンス)という名で提出する文書だった。知りたい事案について誠心誠意問えば、半日ほどたって外交部から「韓国政府は○○○(質問内容にあった国)と様々なルートを通じて緊密なコミュニケーションを取っている」という返事が帰ってきた。もどかしい気持ちでブリーフィングで「それで詳しい内容はいつ教えてくれるのか」と尋ねると、「適切な機に話す」と答えてますます曖昧になる。様々なルートとは何なのか、緊密なコミュニケーションはいかなるやり方で行われるのか、適切な機とはいつなのかは知る術がない。前の担当記者たちの話を聞くと、「何も詳しくは話せない」という強い意志は外交部発のメッセージの昔からの特徴だった。
取材する立場からすれば、このような態度はもどかしいが、それでも存在しないことは言わないという信頼はあった。敏感な外交事項は明らかにできないという身もだえだと私は理解した。しかし、あの慎重で注意深かった外交部が雑なものへと変わりつつある。外交の言葉ではなく大衆の言葉で毒舌を吐いている。しかも国内に対して。
その始まりは先月、共に民主党に対して論評を発表した時だったように思う。民主党が福島第一原子力発電所の汚染水放出について太平洋の島国に国際連帯を求める書簡を発送したことに対し、外交部は「対外的次元で憲法上は行政府が持つ固有の権限を尊重しないものであり、国の外交行為の単一性という側面から正しくなく、残念だ」と述べた。政府省庁が野党に反論したのだ。国民の力のユン・ジェオク院内代表が「深刻な国益損傷行為であり、外交が大統領の権限であることを認めた憲法の原則と趣旨にも反する非常に不適切な行為」だと述べたことを解説したような内容で。
今月に入ってからは司法府がターゲットになっている。最高裁で確定した強制動員被害者に支給される賠償金(判決金)を韓国企業が支給する、いわゆる「第三者弁済案」に反発し、一部の被害者が判決金の受領を拒否したことに対し、政府は判決金を裁判所に供託した。だが3日に光州(クァンジュ)地裁の供託官が判決金の供託の不受理を決定したことに対し、外交部は「供託公務員の権限の範囲から外れたものであり、憲法上保障された裁判官から裁判を受ける権利を侵害するもの」だとして反発した。裁判所は「本人が望まない第三者弁済は認めない」として不受理の理由をはっきりと提示したが、外交部はこれを「供託官個人の意見」だとして、法理論争でも繰り広げるつもりでカッとなったような格好だ。だが全州(チョンジュ)地裁、水原(スウォン)地裁、安山(アンサン)支院などで相次いで供託金不受理の判断がなされ、「供託官個人の判断だった」として声を強めた外交部は気まずい立場に立たされた。
このような雑な外交部の姿に混乱しているのは記者だけだろうか。近ごろ外交部内がざわついているという話が聞こえてくる。「本部が最も危険」、「いっそアフリカや南米のような遠隔地の方がましだ」という反応まであるという。外交部本部は公館に比べて業務がきつい。数多くの省庁とくんずほぐれつして働かなければならず、時差という困難の中で各国公館とコミュニケーションしなければならないからだ。しかし、それは前政権でも同じだった。人気のない公館での勤務の話まで飛び出してくるのは、国内政治への関与ではなく「外交」がしたいからなのではないか、というのは記者だけの考えだろうか。
シン・ヒョンチョル|統一外交チーム記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )