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[コラム]李明博の帰還

登録:2022-03-28 03:17 修正:2022-03-28 07:35
//ハンギョレ新聞社

 デジャブ。尹錫悦(ユン・ソクヨル)引き継ぎ委員会に李明博(イ・ミョンバク)の影がちらついている。

 2008年に10年ぶりの政権交代を果たした李明博引き継ぎ委員会は野心に満ちていた。「実用政府」、「働く引き継ぎ委」、「ノー・ホリデー」を掲げた。尹錫悦引き継ぎ委の用いる用語そのままだ。企業にやさしく、規制緩和を掲げて「ビジネスフレンドリー(Business friendly)」を標榜した。全国経済人連合会(全経連)を訪れ、自分の携帯電話に直接電話しろと言った。メディアは、民間企業の社長時代に経験した「弱者としての思い出」のためだと報じた。尹錫悦次期大統領も全経連を通じて今月21日に経済6団体の長と会合を行い、「公務員にいじめられたら、すぐに(自分に)電話してほしい」と述べた。

 全羅南道木浦(モッポ)の大仏(テブル)工業団地の1本の電柱が大型トレーラーの運行の邪魔になっていると言及すると、わずか2日後にその電柱は引き抜かれた。尹次期大統領はスケールがさらに大きい。大統領府の龍山(ヨンサン)への移転をわずか1カ月あまりで済ませようとしている。総合不動産税の緩和、4河川事業および資源外交復活の動き、女性家族部の廃止推進など、すべて同様だ。李明博政権の対北朝鮮政策である「非核・開放3000」と尹次期大統領の「非核・繁栄朝鮮半島」構想は名前まで似ている。

 「尹核関(尹錫悦陣営の核心関係者)」クォン・ソンドン議員は、李明博大統領府の法務秘書官で、朴槿恵政権時代の2015年の資源外交国政調査ではMB(李明博)の「政治的警護員」と呼ばれた。李明博政権の対北朝鮮政策を左右したキム・テヒョ大統領府対外戦略企画官は、尹錫悦引き継ぎ委の外交安保分科委員として帰ってきた。李明博引き継ぎ委のイ・ドングァン報道官は現在、尹錫悦引き継ぎ委の特別顧問だ。「核関」という用語が使われ出したのもイ・ドングァン大統領府報道官からだ。

 李明博は史上最大の得票差(22.5ポイント)で大統領選に勝利した。尹錫悦次期大統領は史上最小の得票差(0.7%)だ。李明博政権は直後に行われた総選挙で圧勝(自由先進党、親朴連帯を合わせると185議席)した。尹錫悦政権は圧倒的な少数与党(国民の力110議席)だ。大統領選挙直後の李明博の支持率は84%(「国政に期待」、韓国ギャラップ)だった。同じ調査で尹次期大統領は55%で歴代最低だ。そして尹錫悦引き継ぎ委には「合理的保守(チョン・ドゥオン、パク・ヒョンジュン、クァク・スンジュンら)があまり見られない。

 李明博政権は米国産牛肉輸入問題ですぐさま危機に直面し、内部の権力闘争で自壊した。「中道」を標榜したものの、危機に直面すると「保守の本性」をあらわにし、民間人査察、放送掌握などへと突き進んだ。MBは記憶するにしても、踏襲してはならない。

クォン・テホ論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1036417.html韓国語原文入力:2022-03-27 17:59
訳D.K

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