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[山口二郎コラム]日韓両国はお互いの弱さを認めるべきだ

登録:2022-02-15 06:36 修正:2022-02-15 12:39
山口二郎|法政大学法学科教授

 このところ人生に希望を失った人が、病気の治療を受けていた医師を逆恨みして、あるいはまったく無関係な人を巻き込んで、殺人や傷害を犯すという事件が相次いでいる。昨年12月、大阪の心療内科では、まったく関係のなかった人物が放火し、医師や居合わせた患者など25人を殺し、自らも死んだ。犯人のスマートフォンには、「死ぬ時くらい注目されたい」という言葉が残されていたと報じられている。今年1月には、医学部志望の高校生が、成績が上がらないことを苦にして、入学試験の当日東京大学の門前で無関係な受験生などに切りつけるという事件が起きた。また、1月末には、母親を亡くし、希望を失ったと称する男が、その母親を診療していた医師を逆恨みして、銃で撃ち殺すという事件が起きた。安全というイメージが強かった日本社会で、不条理な殺人、傷害事件が続発することは、衝撃的である。

 人生で挫折して自殺を選ぶという人は、昔から存在した。しかし、無関係な人を巻き込むとか、関係者を逆恨みするということはなかった。こうした突発的で凶暴な犯罪を実行するのは、まだごく少数の人間である。しかし、こうした犯罪が続いていることは、日本社会の変化の表れと思われる。

 若者や子供の支援を行うNPOを主宰している渡部達也氏は、若者による無差別殺人・傷害事件の背景について、次のように説明している(『毎日新聞』2月1日)。法務省の調査によれば、その種の犯罪を実行した人の中で、もともと麻薬や暴力などの犯罪を続けていたものは少ない(粗暴行為15%、覚せい剤15%)。むしろ、犯罪者の23%は引きこもりを経験しており、44%は過去に自殺を図ったことがある。そのうちの半数以上は事件の半年前以内に自殺を図っていた。もちろん犯罪を許すことはできない。しかし、死刑になりたいと言って殺人を犯す事件が相次いでいる以上、罰則の強化が解決策になるわけではない。

 他者に対する攻撃性と自殺願望は一人の人間のなかに並列していると渡部氏は言う。人間は他者との交流の中で、自分を理解され、それを通して自分の生き方を肯定するという形で成長し、自立する。家庭、学校、職場などの環境に恵まれなければ、誰でも孤立し、もろく弱い存在になりうる。いまの日本社会は、人間を生きさせる力を失っているといえるのだろう。

 このような社会の機能不全は、日韓両国に共通した問題である。ネットフリックスが配信している韓国ドラマ「イカゲーム」は日本でも話題となっている。東アジアにおける近代化の優等生だったはずの両国では、少子化と人口減少、雇用の流動化と生活の不安定化、子どもや若者に対する試験競争の圧力など、同じ問題で悩んでいる。

 残念なことに、いまの日韓関係における争点を見ると、お互いの弱さを認めるのではなく、日本の指導的政治家が自分の方が強い、優秀だと言い張ることで無用な対立を生んでいる。ところが、日本はこの30年の経済停滞で、平均賃金について韓国に追い越されたので、強い、優秀という自慢は過去に向くしかない。だから、現在形ではなく、強かった、優秀だったと言い張る。世界文化遺産をめぐる最近の日本政府の行動はその一例である。

 過去の戦争や植民地支配に関して自国の正当性を主張するためのプロパガンダを日本では歴史戦と呼ぶようになった。この言葉はもともと南京虐殺や従軍慰安婦の存在を否定するための主張だったが、今では新旧の首相が外交のテーマとして使うようになった。

 昔の日本はすごかったからプライドを持てなどという主張は、いまの若い人には何の意味もない。今われわれが「戦う」べきテーマは、社会の分断や格差という内なる問題である。いまこそ日韓両国、特に知識人は、お互いの弱さを認めたうえで、若者が希望を持てる社会をどのように構築するか率直に対話し、知恵を出すべきである。

山口二郎//ハンギョレ新聞社

山口二郎|法政大学法学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

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