山口二郎|法政大学法学科教授
新型コロナウイルスの感染が拡大する中で、日本政府は東京オリンピックを予定通り開催した。世界的なイベントを中止したくないという政治家の思いには、共感しないが、理解はできる。それにしても開催するという決断をするなら、それに伴って起こるコロナ感染の抑止や医療体制の整備について、様々なシナリオを描いて、最大限の準備をするというのが政治指導者の責任である。しかし、日本政府にあったのは希望的観測だけであった。加えて、不要不急の外出を控えるようにという国民向けのメッセージは続けながら、開会式が行われた7月23日には航空自衛隊の曲芸飛行隊が東京上空を飛ぶというイベントを行った。これを見ようと大勢の人がオリンピック会場である国立競技場などに集まった。
要するに、今の日本の政府には、何が目的で、そのためにどのような手段を取ることが最適かという合理的な思考ができない。挙句の果てに、新型コロナウイルス感染者のうち、中等症以下の人は自宅で療養してほしいと政府は言い出した。東京の新規感染者は3千人を超える状態が続き、医療崩壊が実際に起こっているのだろう。新型コロナウイルスが人類を襲ってから1年半以上たつ。昨年の5月には当時の安倍晋三首相が、強硬なロックダウンをしなくても感染を抑え込めたことを「日本モデル」と自賛した。しかし、今の各国の対応を見渡してみると、日本モデルとは事実を隠蔽し、科学的知識を政策に反映させることを拒否する呪術的政治手法のことだったと言わざるを得ない。
では、どこに解決策があるのか。最も早い機会は、10月に任期切れを迎える衆議院議員の選挙で日本国民が誤りない選択をすることである。それについては、来月、再来月のコラムで書くことになるだろう。
今回は、日本の若者の可能性について書いてみたい。日本の大学では7月末に前期末の試験を行う。教師にとって採点は苦痛なのが通例だが、今年の1年生の政治学入門の小論文は珍しく楽しんで読めた。政治学を専攻する学生の論文であり、日本の若者の標準ではない。しかし逆に、政治に対してある程度関心を持っている若者の先端的意識を探る材料になるということもできる。
政治に無関心な友人を想定し、その人に今度の衆議院選挙に投票に行くよう説得する手紙というのが課題である。単位を取るためだけではなく、それぞれの経験に基づいて、政治に参加することの大切さを訴えた論文が多く見られた。今の大学1年生は、新型コロナウイルスの影響で、高校3年生の時に自宅学習を強いられ、スポーツや文化のイベントを味わえないまま卒業した。コロナ対策の巧拙が自分の人生に大きな影響を与えることを実感している。加えて、日本では大学入試制度改革をめぐる混乱があり、一旦、今の大学1年生の入試から新制度を実施することが決まりながら、様々な問題点が指摘され、批判が高まり、試験の約1年前に新制度の延期が発表された。つまり、大学1年生は政治家や官僚の不手際に巻き込まれ、大きな迷惑をこうむった世代である。
日本では、1970年前後の政治の季節が終わった後、若者は保守化した。政治的な意思表示の運動に集まるのは、その時代の若者だった人々である。選挙の投票率を年代別に比べると、20代の投票率は30%台で、60代、70代の半分である。日本が経済大国だった時代には、世の中がどうあるべきかなど考えずに、大人しく勉強してよい就職先を見つければ人生は安泰だった。
しかし、今の日本は大国の地位から滑り落ちようとしている。コロナ危機という目前の問題だけではなく、人口減少、格差や貧困の拡大など構造的な課題も手付かずのままである。個人の生き方だけを考えても、幸せにはなれない時代が来たということができる。高校生から大学生の多感な時代に、自分たちの国をいかに立て直すかという問題に直面して、若者たちは新しい政治との関わり方を見つけるだろうと期待する。