共に民主党の大統領選候補イ・ジェミョン氏が、訪韓した米国のジョン・オソフ上院議員と面談し、「桂・タフト密約」が日本による朝鮮半島の植民地支配の一助となったと述べ、物議を醸した。一部の評者たちは、朝鮮半島が日帝の植民地に転落したのは我々が無能で現実を知らなかったせいなのに、米国に責任を転嫁したとイ候補を批判している。原則論的に当然だ。
しかし、このような批判は、暴力団に殴られたのは力の弱い当事者の責任だと言うのと同じだ。そして「桂・タフト密約」は、韓国では日本の朝鮮半島植民地支配を最終的に確認した条約だと歴史教育で教えてきたし、私もそう学んだ。
米国のウィリアム・ハワード・タフト陸軍相と日本の桂太郎首相との1905年の「密約」は、日本の朝鮮半島植民地支配を米国が容認したというよりは、フィリピンが米国の影響圏であることを日本が確認したことに重点を置かなければならない。当時は日露戦争の勝敗がすでに決まり、朝鮮半島が日本の影響圏に入ったことは客観的な現実だった。日露戦争で勝利した日本がフィリピンにまで影響圏を拡張できないよう、米国が釘を刺したことこそ、この密約だといえる。ただし、この密約は両国政府首脳の非公式の了解事項にすぎない。
朝鮮半島植民地支配の責任を日本以外にあえて問うとすれば、当時の覇権国家だった英国だ。ユーラシア大陸においてロシアの南下を阻止していた英国は、極東での軍事力の展開は困難と判断し、外交における「栄誉ある孤立」政策すら放棄して日本と同盟を結んだ。日露戦争において英国は、日本を直接・間接的に支援した。朝鮮が1910年という遅い時期に新興国日本によって植民地化されたのも英国と関連がある。当時の英国は、朝鮮が清の影響圏にあると考え、朝鮮の市場価値を高く評価していなかった。現状維持だけでも十分だと考えていたのだが、ロシアの朝鮮半島進出が活発になると、日本をもって封じ込めたのだ。
桂・タフト密約は、当時の東アジア情勢を規定する主要な変数ではなかった。しかし、我々がこれを重視し、米国に責任を問うのは、米国に対して我々が期待しているというだけでなく、米国の外交政策が伝統的に曖昧だからだ。
米国は欧州列強の伝統的な「勢力バランス現実主義」をけなしてきた。自分たちによる米大陸支配を「文明化のための予定された運命」と受け止めていた。対外政策でも直接的な植民地支配に反対し、自由・人権・独立の理想主義路線を打ち出していた。本土に多くの資源と膨張する市場があったからだ。19世紀、中国を含む東アジアを欧州列強が分割支配するのを牽制する門戸開放政策や、第1次世界大戦後の民族自決主義などが、代表的な理想主義外交路線だ。
しかし、第2次世界大戦後は米国自身が覇権国家となる一方、これを脅かすソ連などが登場した。価値を追求する理想主義路線は、国家間の力の優位関係をゼロサムゲームとみなし、国益を追求する現実主義との葛藤をはらんでいた。問題は理想主義と現実主義の錯綜だ。自らの国益を崇高な価値だけでくるめば紛争の危険性が高まり、妥協不可能なところにまで突き進んで災厄となる。ベトナム戦争、イラク戦争、アフガン戦争がその代表的な例だ。
最近の米中対決も、やはりその様相を呈している。大国間の対決は避けられないという攻撃的現実主義の学者であるシカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授は最近、「フォーリン・アフェアーズ」に寄稿した「避けられない競争」と題する文で、かつての複数の米国政権が関与政策によって中国の浮上を認めておきながら、米国はいまだに抽象的な価値を大義名分として中国を封鎖しようとしているとし、猛烈に批判した。また「相手の禁止線を越えることが何を意味するのかを互いに理解することこそ、戦争の起こる可能性を低下させるだろう」として、対外政策において偽善を脱ぎ捨てよと主張した。
シンクタンク「ニューアメリカ」のアン=マリー・スローター代表も「ニューヨーク・タイムズ」に寄稿した「バイデン・ドクトリンについて率直になるべき時」と題する文で、バイデン政権の対外政策は現実主義者、自由主義国際主義者、人権運動家などの嗜好を満足させようとしたものの、誰も満足させていないと批判した。同氏は、今や米国の対外政策は20世紀の「国中心のパラダイム」を克服し、環境や平等などの「人中心のパラダイム」へと進化すべきだとし、それにもとづく米中協力を求めた。
ミアシャイマー氏は現実主義にもとづいた対決を、スローター氏は理想主義にもとづいた協力を求める。現実的な利害関係を率直に設定すべきで、理想主義的な価値で包み隠してはならないという共通点はある。16日、バイデン大統領と習近平主席がオンラインではあるが初めて会談する。台湾問題などで禁止線はどこなのかだけでも互いに確認できたなら大きな収穫だ。
チョン・ウィギル先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )