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[山口二郎コラム]日本は「自由と民主主義」という普遍的価値を尊重している国なのか

登録:2021-07-06 08:05 修正:2021-07-06 08:38
山口二郎|法政大学法学科教授

 6月にイギリスで行われたG7サミットにおいて、共産党による一党支配と対外膨張を強化する中国を念頭において、欧米諸国と日本が自由と民主主義という基本的価値を共有することが強調された。日本も公平な選挙、言論の自由、複数政党制が長年続いてきたので、自由民主主義の国に分類されることには異論ない。香港やウイグルにおける人権抑圧やミャンマーにおける苛烈な軍政を見れば、私も心が痛む。国際世論を高めることによって、少しでも多くの人の自由が回復されることを願うばかりである。

 しかし、日本国内の様々な問題を見ると、世界に向かって自由と民主主義という普遍的価値を大切にしていると胸を張って言える状態ではないとも感じる。

 代表的な事例は、女性の権利の不十分さである。少なくとも30年ほど前から、日本は男女が対等に働く社会に移行した。しかし、女性にとっては、育児、家事などの家庭の仕事を中心的に担う従来の仕組みが温存されたままで、新たに仕事でも頑張ることを求められるようになった。そうした負担を緩和するための社会的なサポートは貧弱なままである。また、結婚後も女性が結婚前の姓を維持することを認める選択的夫婦別姓制度もいまだに実現していない。男性にとっての当り前が女性に対して差別的、抑圧的に機能している事実を認識している男性が少なくとも立法府においてはまだ少数派であることを痛感する。

 最近は、LGBTの人々の権利に対する関心も高まってきている。今年の通常国会で、LGBTに対する差別を禁止する法律案の審議も行われたが、実現しなかった。選択夫婦別姓制度もこの差別禁止法も、自民党内の保守的な政治家が、この種の人権尊重の政策は日本の伝統的な家族制度を壊すという言い分で反対した。しかし、そうした主張は荒唐無稽である。一般庶民が姓を名乗れるようになったのは明治維新の後、19世紀後半である。同姓制度は伝統とは関係ない。異性愛、同性愛を同等に扱うことは現代社会の人権の標準であり、人権尊重を世界に対して宣言するなら、国内でLGBT差別を禁止することは当然の行動のはずである。日本の支配政党は自由民主党であるが、この党はその名に反して、自由と民主主義を真剣に考えていないと言うしかない。

 人権に関しては、在日コリアンに対する民族差別についても触れなければならない。私のゼミの学生に在日コリアンの若者がいて、先日彼に誘われて「私はチョソンサラムです」という映画を見た。この映画は、第2次世界大戦以後の在日韓国人、朝鮮人の苦闘に満ちた生き方を描いたドキュメンタリーである。日本の敗戦が遅れ、ソ連の参戦を招いたことで朝鮮半島が南北に分断された。日本にいたコリアンの中には帰国できないまま日本にとどまらざるを得ない人も出た。また、在日コリアンも南北に分断され、韓国への帰属を選んだ人々の中でも民主化闘争に加わり、帰国したときに逮捕投獄される人も出た。東西冷戦の権力政治の中で、朝鮮半島と日本に住む韓国人、朝鮮人は最も犠牲を強いられた国民である。こうした不幸に日本人が法的責任を負うことはないのだろうが、植民地支配の後始末に日本が失敗した結果であり、他人事と考えるべきではない。

 映画の最後の方で、高校無償化から排除された朝鮮学校の生徒が制度の適用を求めて文部科学省の前で声を上げる場面を見て、申し訳なさで涙があふれた。17,8歳の若者にはもっと楽しいことをする権利があるはずだ。

 日本は人権や法の支配という普遍的な価値を尊重する国でなくてはならない。しかし、一部の独裁国家を非難すれば普遍的価値を実現できるわけではない。常に自分たちの足元を見て、社会に存在する差別や抑圧を是正するために不断の努力を続けることこそ、普遍的価値の実現である。近々行われる衆議院選挙も、そうした政治理念を考える機会にしなければならない。

//ハンギョレ新聞社

山口二郎|法政大学法学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1002056.html韓国語記事入力:2021-07-05 11:49

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