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[山口二郎コラム]東京オリンピックと第二の敗戦

登録:2021-05-31 06:25 修正:2021-05-31 07:31
山口二郎|法政大学法学科教授

 目下、日本政治にとって最大の問題は、7月の東京オリンピックを予定通り開催するかどうかという選択である。新型コロナウイルスの感染が止まらず、変異株も広がり、ワクチンの接種も先進国の中では最も遅れている日本では、医療崩壊が現実化している。大阪、北海道などでは、感染しても入院することができず、ホテルや自宅で待機している間に亡くなる人も相次いでいる。こんな状態でオリンピックを開催すれば、貴重な医療資源がオリンピックに振り向けられ、国民の生命は二の次になるという疑問が広がっている。多くの世論調査で、オリンピックをさらに延期あるいは中止すべきという意見は、合わせて70~80%程度である。

 しかし、菅義偉首相は、予定通り開催すると再三言明している。もはや日本政府は合理的政策決定ができなくなったと言うしかない。このような政治のありさまを見ると、第2次世界大戦敗戦直前の日本の指導者の姿を想像する。76年前と今の指導者には多くの共通する思考法が見出せる。

 第1は、言葉の置き換えによる現実の隠蔽である。最近の日本のメディアでは医療崩壊という言葉は使われない。ベッドも医師も不足して自宅に隔離される人は自宅療養と呼ばれる。これは、敗北、退却を転進と呼んだ大本営発表と同じである。

 第2は、既成事実への屈服である。戦争中、軍の指導者は中国大陸の占領地から撤退することはそれまでに払った犠牲やコストをすべて無駄にすることだとして、反対した。このように誤った方針を転換できない状態が既成事実への屈服である。

 現在では、東京オリンピックをめぐって政治指導者は既成事実に束縛されている。今オリンピックを中止すれば、これまでの投下資金はすべて無駄になる。経済学ではそのムダ金をサンクコスト(埋没費用)と呼ぶ。サンクコストの発生は政策決定者の見通しの悪さを示す決定的な証拠である。しかし、サンクコストを恐れるあまり、失敗すると分かっている事業に資源の投入を続け、より大きな破局をもたらすのは、最悪の経営者である。首相もオリンピックに関しては最悪の経営者の行動を取ろうとしている。

 第3に、空虚な国家目標のために国民感情を煽り、国家の威信を示そうとするところも、戦中と現在の共通点である。菅首相がオリンピックに執着することは、その後の政治日程と関係している。衆議院の任期はこの10月までなので、首相はオリンピックを開催し、日本選手の活躍で国民精神が高揚したところで、選挙を行いたいという野望を持っている。医学の専門家がオリンピック開催に伴う危険性を指摘しても、首相は大丈夫だという主観的信念を振りかざし、科学的データは無視する。このあたりの精神構造は、一億玉砕、本土決戦という戦中のスローガンを思い出させる。国民の生命を第一に考え、オリンピックを断念するという政治判断を示せば、政治家としての信頼性は高まるはずだが、首相にはそのような計算もできないようである。

 76年前の敗戦で大きな犠牲を払った後、日本人は民主主義を確立し、民意に基づく政治、科学的合理性に基づく政策を進めるようになったはずである。しかし、日本人は誤った政策を決めた政治システムを転換したわけでもなかった。狂信の政治は帯状疱疹ウイルスのように日本政治の内側に潜んでいただけで、今また表面化したということができる。ただし、76年前と違い、今の日本には言論の自由がある。政策の誤りは批判することができる。またいくつかの新聞はオリンピックの中止を求める論説を出した。これからも議論を続けなければならない。

 日本政治のこのような病理について、私が書いた『民主主義は終わるのか』という本が韓国語に翻訳された。日本に関心のある韓国の読者にご覧いただければ幸いである。

//ハンギョレ新聞社

山口二郎|法政大学法学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/997247.html韓国語記事入力:2021-05-31 02:07

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