大阪地裁は9日、平和の少女像が出展された「私たちの『表現の不自由展・その後』」の展示を、市民の安全を理由に許可しないのは不当だとする決定を下した。前日に名古屋で「平和の少女像」の展示が強制的に中断されたのに続き、大阪での展示会もまた失敗に終わるのかと思われたが、裁判所の決定で展示会を開けることになったのは非常に喜ばしいことだ。「表現の自由」を擁護した日本の裁判所の決定を歓迎し、二度と暴力により少女像の展示が中断されることがないよう願う。
マスコミ報道によると、裁判所は「平和の少女像」の展示会を取り消したことに対し「(施設管理をする側が)施設の利用を拒否するのは、警察の警備などによっても混乱を防ぐことができない特別な事情がある場合に限定されなければならない」とし、予定通り展示会を進めるよう命じた。市民の安全を名目にするとしても、「表現の自由」の制限は極めて厳格に適用しなければならないという点で、当然かつ適切な決定だと思われる。右翼による脅迫で何度も平和の少女像の展示が中断された前例に照らし、今回の決定が平和と連帯のために暴力には屈しないという先例を日本社会に残すことを期待する。
日本帝国主義の痛恨の歴史を隠そうと展示会さえ脅迫する日本の右翼の暴力は、昨日や今日のことではない。2019年に国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」で「表現の不自由展・その後」が開催された時も、右翼の抗議とテロの脅威により、わずか3日で展示が中断された。2年後に名古屋で同じ展示会が開かれたが、今回は爆竹が入った郵便物が送られ、8日に市当局が「安全上の理由」で再び展示を中断した。東京ではそもそも展示施設を見つけられなかったというが、それでも、大阪で展示会を行えることになったのは幸いだ。
展示の中断の直接の原因は、日本の右翼の脅迫と暴力だ。しかし、これを言い訳に展示の中断をそそのかす日本の当局の無責任な態度に、はるかに大きな責任があることは否めない。大阪地裁の決定について大阪府の吉村洋文知事は「(展示)施設内には保育施設もある。施設を安全に管理・運営する観点から(利用承認を)取り消すのは当然のことだ」と述べたという。これは大阪だけの考えだといえるだろうか。日本政府も過去の歴史を直視せず回避するために、右翼の脅迫に対して強力に立ち向かわないのが今の日本の現実だ。今回の裁判所の決定が、日本社会全体が平和の少女像の展示の意味を振り返るきっかけになればと思う。