5月21日、韓米首脳会談が成功裏に終わった。互恵的かつ包括的同盟として韓米関係が生まれ変わる契機が作られ、ジョー・バイデン大統領が文在寅(ムン・ジェイン)政権の朝鮮半島平和構想に対する支持を表明したことで、朝米、南北、韓米という三角関係における好循環の可能性も開かれた。ミサイル指針の終結、ワクチン生産ハブの共同構築、宇宙開発を含め多岐にわたる韓米経済・技術協力など、二国間関係においても稀な成果を成し遂げた。同盟を修復して両国関係を強固にしようとする両大統領の意志と努力の結果と言える。
しかし、一部の政治家やマスコミ、論客たちの評価は厳しい。彼らの厳しい評価を見ているうちに、50年前に筆者が大学時代に学んだ英国の経験主義哲学者、フランシス・ベーコンの四つのイドラ(偶像:種族、洞窟、市場、劇場)が思い浮かんだ。ベーコンは事物と事象に対する正確な認識を妨げる一連の偏見や先入観、誤りをこの4つのイドラで説明している。今回の韓米首脳会談に対する厳しい評価も、このような認識論的限界と無関係ではない。
第一に、種族のイドラは、自然と現象をありのままに見るのではなく、自己中心的に見て判断する誤りや偏見を指す。「企業の血のにじむような400億ドルを渡して、手ぶらで帰ってきた」という、いわゆる「(新型コロナ)ワクチン外交失敗論」がこれに属する。国際公共財に当たるワクチンを利己的取引の対象とすることからくる誤りだ。実際、バイデン政権は、ワクチン供給における「アメリカファースト」政策で、中国のワクチン外交と比較され、国際社会から激しい批判を受けてきた。さらに、世界の多くの開発途上国がワクチン不足で深刻な危機に直面している状況で、防疫模範国とされる韓国が米国の同盟であることを理由にワクチン供給における優待を求めるのは、米国にとって受け入れ難いだけでなく、そのような物乞い外交はむしろ国としての“品格”を貶める行為だ。ワクチン・パートナーシップに基づき、韓国国内にワクチン生産ハブを構築することこそが大局的な解決策と言える。
第二に、洞窟のイドラは個人の特殊な環境、性格、教育など社会化過程で生じた偏見と誤りを意味する。自分だけの偏見の洞窟に閉じこめられて、外の世界を見ることができない現象だ。一部では、今回の首脳会談を機に文在寅政権が中国寄りの姿勢を捨て、やっと米国の方へと“正しく”旋回したと言っている。しかし筆者の考えでは、韓国政府の政策には変わりがない。共同声明の基調と方向性は、米国との同盟、中国との戦略的協力パートナー関係をバランスよく維持していくという政府の立場が貫かれていることを示している。にもかかわらず、敢えて“旋回”と解釈したのは、彼らがこれまで「韓米同盟絶対論」という洞穴のイドラにとらわれ、文在寅政権の外交政策を反米・反日と親北朝鮮・親中に図式化してきたからだろう。
第三に、市場のイドラは本質と関係なく、世間に出回っている噂(言語)で事物と事象を認識しようとする誤りだ。簡単に言えば、流行語によって現実認識が左右される現象だ。クアッドをめぐる議論を代表的な事例に挙げることができる。韓国政府は、米国側がクアッドへの参加を公式または非公式に要請したことはないと何度も明らかにしており、バイデン政権の高官たちもクアッドは安保同盟でもアジア版NATOでもない4カ国の非公式協議体であるため、韓国が参加するかどうかは争点ではないという立場を示してきた。にもかかわらず、ワシントンの一部シンクタンク関係者は「米国政府がクアッドへの参加を公式要請したのに、韓国がこれを拒否した」とか「韓国がクアッドに参加しなければ韓米同盟は破局を迎えることになる」と主張している。韓国のメディアと専門家たちは、これを大袈裟に伝え、この事案が韓米関係の核心争点であるかのように強調してきた。しかし首脳会談の結果は、そうした“噂”が事実ではなかったことを如実に示している。実体のない言説の捕虜になること、まさに市場のイドラがもたらした混乱だ。
最後に、劇場のイドラは、歴史や伝統、権威を鵜呑みにすることからくる誤りや偏見を言う。「中国脅威論」を例に挙げてみよう。米国の現在の国力と中国の対応戦略から見て、これは客観的実体があるというよりは、長期的な蓋然性として米国の学界が作った一種の予防的フレームに過ぎない。にもかかわらず、韓国ではこれを理性的な批判なしに当たり前のこととして受け入れている。いくら韓米が堅固な同盟だとしても、脅威に対する認識とそれに伴う損益計算まで同じであるはずがない。米国の「中国叩き」への無条件的な参加も同じ過ちを犯すのではないかと思う。
目標は常に、韓国の国益を守り、健全な韓米関係を図ることであるはずだ。自分を論者と呼ぶ人たちが示す四つのイドラは、むしろこのような目標の達成において障害になるだけだ。