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[寄稿]韓国の「静かな虐殺」の目撃者たち

登録:2021-05-17 01:39 修正:2021-05-17 08:04
チョ・ヘジン|小説家

 読者のみなさんも「静かな虐殺」という表現を聞いたことがあるだろう。この表現がメディアに登場し、公に言及され始めたのは、昨年11月にユーチューブにアップされた動画(ハンギョレのジェンダーメディア「スラップ」制作)がきっかけだった。「『静かな虐殺』が再び始まった」と題するこの映像は、10分強の再生時間のあいだ中、私たちが目を背けたい現実を暴き出す。それは、韓国の90年代生まれ、その中でも女性の自殺(を試みた人の)率がコロナ禍時代に急激に増加したということ、そしてその重要な原因は不安定な雇用形態と劣悪な労働環境にあるという私たちの現実である。動画の中である研究者は、90年代生まれのこのような自殺率を日本の帝国主義を経験した戦後世代と比較し、その類似性を憂慮する。90年代生まれは、年を取っても高い自殺率が保たれる可能性が高いというのだ。

 動画を見ていて思い浮かぶ文章があった。「私たちの中には、楽観的なおしゃべりをひとしきり交わした後、家に帰ってガス自殺を図ったり、摩天楼から飛び降りたりする奇妙な楽観主義者がいる。(中略)私たちは命こそ最高の善であり、死は最大の恐怖だという確信の下で育ったが、命よりも大切な理想を発見できないまま、死よりも悪いテロの目撃者となり、犠牲者となった」。1943年に哲学者ハンナ・アーレントが書いたこの文章は、徐京植(ソ・ギョンシク)のエッセイ『プリーモ・レーヴィへの旅』に引用された。1943年と言えば第2次世界大戦の終盤であり、展望や希望が極度に希薄だった時代だ。2020年代の韓国において、私たちの大切な若者たちが数十年前の戦争世代や戦後世代のように苦しんでいるかと思うと、心が重すぎてヒリヒリと痛む。

 ではなぜ「静かな」虐殺なのか。

 IMF通貨危機のさなかに生まれたり、幼年期を過ごしたりした90年代生まれたちは、その前のどの世代よりも激しい競争の中で学校生活を送り、絶えずスペックを高めることに全力を傾けなければならなかった。しかし、彼らが社会に出た2000年代後半には経済不況が長期化しており、金融危機が襲い、雇用は非正規職中心に構成されていた。大多数の90年代生まれは、努力した分だけ良い仕事を見つけるということが難しく、女性は「補助」または「余剰」労働者という性差別的な先入観にも直面しなければならなかった。「スラップ」のユーチューブの動画は、90年代生まれのこうした「補償」を受けられなかった人生を、韓国社会は単なる個人の問題と見なして構造的にアプローチせず、国は共に解決策を見出そうとしなかったと診断する。現在の青年支援策は、大学に行って就職し結婚、出産しなければ資格が得られない場合が多い。その枠の中に入るための入場券すら得られなかった90年代生まれの挫折は「静かに」進行し、その挫折に対する反応も静かだったのだ。そして、その結果は取り返しのつかない死へとつながってしまった。

 ある人は、雇用不安や自殺衝動は90年代生まれに限った問題ではない、彼らが他の世代より弱いのも問題だ、と言うかもしれない。コロナに直面しているこの時代には、あらゆる人々が大小の憂うつと挫折を経験しているという現実を知らないわけではない。しかし重要なのは、90年代生まれが特に弱いために、「静かな虐殺」という悲しいほど残酷な現象が始まったわけではないということを、韓国社会は認めなければならない、という前提だ。90年代生まれたちの問題について共同体がともに苦悩し、解決策を模索するというシグナルがあった時、ようやくひとかけらの希望が芽生えるのではなかろうか。

 自殺は人に危害を加えることなく、ひたすら自分だけに「テロ」を加える。90年代生まれが選択するこの最後の「静かな」テロは悲しい。私は、私たちは、これ以上この自己破壊的なテロの目撃者の地位にとどまってはならないはずだ。今や、その荷は分かち合わなければならない。

//ハンギョレ新聞社

チョ・ヘジン|小説家 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/995385.html韓国語原文入力:2021-05-16 15:52
訳D.K

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