「私一人ではありません。私を支えてくれる仲間たちは屈しません」
3月24日、東京都の外国特派員協会で開かれた記者会見で、元朝日新聞記者で「週刊金曜日」代表取締役社長の植村隆氏は、力強い口調でこう語った。植村記者を主人公にし、西嶋真司監督が制作したドキュメンタリー映画「標的」(短縮編)の試写会を兼ねた席だった。約2週間前、植村氏の上告は最高裁の決定により東京でも棄却された。昨年11月の札幌訴訟敗訴に続き、植村氏の敗訴がすべて確定したということだ。だが、この日の植村氏は落胆しておらず、むしろ支持してくれる仲間たちとともに闘争を続けるという強い意思を表した。
2015年に始まった訴訟は約6年間にわたる長い闘いだった。韓国で最初に匿名の元「慰安婦」が証言をしたという植村記者の記事が朝日新聞大阪本社版に掲載されたのは1991年8月11日。記事の冒頭で「女子挺身隊」という名前で戦場に連行されたと書き、本文では「騙されて慰安婦になった」と書いた。3日後、この匿名の元「慰安婦」被害者は、ソウルで実名で記者会見を開き、「第1号証言者」になった。それが金学順(キム・ハクスン)さんだ。これに力づけられ、韓国をはじめ世界各国で「慰安婦被害者」たちの証言が相次いだ。
ところが、それから23年もたった2014年1月、日本の週刊誌「週刊文春」(2月6日号)は、西岡力元東京基督教大学教授の談話を根拠に、植村記者の1991年の記事を「捏造」と批判する文章を載せた。この文をきっかけに、激しい「植村攻撃」が始まった。これに対抗して植村記者は、西岡力氏とジャーナリストの桜井よしこ氏らを相手取ってそれぞれ東京と札幌の裁判所に名誉毀損の訴訟を起こした。
裁判は惜しくも敗訴に終わったが、多くの弁護人、ジャーナリスト、市民たちが植村記者を応援した。東京の弁護団には約170人、札幌の弁護団には約100人の弁護士が名を連ねた。「植村裁判を支える市民の会」が組織され、北海道から沖縄まで、植村氏は全国を回りながら講演し、裁判の支援も呼び掛けた。日本ジャーナリスト会議(JCJ)、メディア総合研究所、日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)などのジャーナリスト団体が最高裁の決定を批判する声明を発表した。
外国からも多くの関心を集めた。2015年に植村氏は米国を訪問し、講演を行った。ニューヨーク・タイムズをはじめとする外国メディアも「植村攻撃」に関心を持って報道した。特に、韓国では多くの市民が植村氏の闘いを支持した。ハンギョレ新聞社のイム・ジェギョン初代副社長、自由言論実践財団のイ・ブヨン理事長が中心となり「植村を考える会」を組織し、2回札幌を訪問して裁判を傍聴した。植村氏の闘いは、自分の名誉を守るためだけでなく、言論の自由のための闘いとして高く評価された。
植村氏は裁判闘争の最中、自分の問題を日本で最初に報道した自由主義独立メディアの「週刊金曜日」の社長になった。経営難に直面している雑誌を廃刊にしてはならないという意味から、喜んで提案を受け入れたという。
今年1月8日、ソウル中央地裁は日本政府に、元「慰安婦」被害者に一人あたり1億ウォンの賠償を命じる判決を下した。原告の元「慰安婦」被害者たちが最後の救済手段とした韓国の裁判で勝訴したのだ。「週刊金曜日」は4回にわたって本判決文の全文を日本語に翻訳して紹介した。植村氏を批判する前に、判決文を読んで判断してほしいという意味だ。判決文の冒頭には、原告の元「慰安婦」被害者の女性たちの過酷な生涯が書かれている。幸いにも読者からは肯定的な反応を得ている。福岡のある市民団体はこの判決を支持し、菅義偉首相が問題解決に乗り出すことを望むとする要請書を官邸に送った。
植村氏は「週刊金曜日」の人気コラム「ヒラ社長が行く」で、なぜここまで歴史歪曲が横行するのか、それを突き止めて打ち破るために第2ラウンドの闘争を始めなければならないと書いた。植村氏の闘争の第2ラウンドはこれからだ。
ムン・ソンヒ|ジャーナリスト・東京大学博士 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)