私は20年以上にわたり南北関係を取材し、勉強している。南北関係にまつわる話には比較的詳しい方だと思う。少し前までは、離散家族問題についても“分かっている”つもりだった。南北離散家族再会を3度も取材し、拉致被害者家族を含む韓国内の様々な離散家族に会って記事を書いた経験があるからだ。
私を含め、多くの人々が離散家族と言えば、南北分断と戦争で分断された朝鮮半島を思い浮かべる。ところが最近、日本の写真家、林典子氏が書いた『フォト・ドキュメンタリー朝鮮に渡った「日本人妻」:60年の記憶』を読んで、離散家族の問題がわが民族だけの悲劇ではないという事実に気づかされた。1959年から1984年まで、在日同胞9万3340人が「在日朝鮮人帰国事業」という名で北朝鮮に帰国した。「日本人妻」1830人も在日朝鮮人の夫とともに北朝鮮に渡った。在日朝鮮人の妻と共に北朝鮮行きを選んだ日本人夫も少数いたという。
林典子氏は2013年から2018年まで北朝鮮を11回訪問し、日本人妻9人をインタビューした。日本人妻たちの家族は、朝鮮人夫との結婚を必死で止めようとし、夫と一緒に北朝鮮に渡ることにも猛反対した。そのため、日本を離れるという事実を親にも知らせなかった場合もあったという。
ある日本人妻は「3年後には故郷に戻り、その後も簡単に日本と北朝鮮を行き来できる」と思っていた。しかし、北朝鮮に来て以来、日本にいる家族と手紙のやり取りも難しく、長くは60年ほど日本にいる家族に会えずにいる。1990年代後半以降、3回にわたる「北朝鮮在住の日本人配偶者故郷訪問事業」で43人が日本を訪問した。ところが、2000年以降、日本人拉致問題などで朝日関係が悪化し、同事業は中止となった。
日本人妻たちは、両親と兄弟の生死すら分からず、故郷にも帰れない離散家族になった。南北離散家族を取材する時に聞いた心痛む話に酷似している。家族と生き別れた日本人妻たちも離散家族の範疇に入るだろう。
離散家族問題は時間との戦いだ。韓国の離散家族のうち高齢者が多く、「10年ほど後には離散家族のほとんどが亡くなり、離散家族問題そのものが成立しなくなる」というのが大方の予想だ。今は80代、90代の日本人妻も似たような境遇だ。日本政府や国民は、夫について行って自らの意思で北朝鮮に渡ったという理由で彼女たちにあまり関心がない。このままでは、北朝鮮在住の日本人妻の問題は、数年後には歴史の中に静かに消えてしまうだろう。
日本政府は、北朝鮮の日本人拉致被害者問題が北朝鮮人権問題のすべてであるかのように振舞っている。離散家族は分断がもたらした代表的な人権問題だ。日本人妻たちは「一度でいいから、死ぬまでに故郷の土を踏みたい」と訴える。日本人妻たちは正真正銘の日本人だ。日本の菅義偉首相は、離散家族問題の解決に手を拱いている場合ではない。
離散家族は米国にもいる。米国内の韓国人離散家族は2001年基準で約10万人と推算されたが、当時大半が60~70代だった。現在、生存している人々に残された時間はそれほど多くない。南北離散家族の公式再会はこれまで21回あったが、朝米の離散家族再会は1回もなかった。米国在住の離散家族再会の基本的な性格は、米国市民と北朝鮮にいる家族との再会だ。米政府が当然関心を持って支援しなければならない。コロナ禍で直接会うのが難しいのなら、手紙の交換やビデオ・メッセージなどで生死を確認することもできる。
19日(現地時間)、米国議会傘下の超党派機構「トム・ラントス人権委員会」はジョー・バイデン大統領あてに送った公開書簡で、南北と朝米離散家族再会の重要性を強調した。バイデン大統領は昨年10月の大統領選候補時代、韓国のある報道機関に送った寄稿文で、朝米離散家族再会のために努力し続けると言及した。
離散家族再会の問題は、他の北朝鮮人権懸案に比べて南北、米国、日本の負担は少ない。北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長が、南北を越えて朝米、朝日にまで離散家族問題を拡大すれば、国際社会の支持と共感を得られるだろう。離散家族の再会など人道事案に対して金正恩委員長が指導力を積極的に発揮すれば、北朝鮮が提起する「根本問題」に対する発言権はさらに大きくなるだろう。南北関係のように、離散家族の再会が米国と北朝鮮間の対話の扉を開く手段になるかもしれない。