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[キル・ユンヒョンの新冷戦韓日戦17]韓国、「冷戦秩序」に再び飲み込まれる

登録:2021-02-27 06:52 修正:2021-02-27 09:55
朝鮮半島と東アジアを抑圧する不信と対立を克服し、「朝鮮半島非核化」と「恒久的平和」を実現しようとする韓国の悽絶な「現状変更戦略」が挫折した地点で作動し始めたのは、冷戦の見慣れた「慣性」だった。朝中ロの挑発に対抗するには韓米日が固く団結しなければならないという米国の催促は、GSOMIA終了時点の11月23日0時が近づくほどますます激しくなるはずだった。
第6回ASEAN拡大国防相会議が開かれた2019年11月17日、タイ・バンコクのアバニリバーサイドホテルで、チョン・ギョンドゥ韓国国防長官(左)、マーク・エスパー米国防長官(中央)、河野太郎日本防衛相が写真を撮った後、会談場に入場しようとしている=バンコク/聯合ニュース

 最後の期待をかけた2019年10月5日のスウェーデン・ストックホルムでの朝米実務交渉が決裂したという知らせに、大統領府はしばらく沈黙を守った。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は二日後の7日に開かれた首席・補佐官会議の冒頭発言でも、8日の国務会議の発言でも、関連ニュースを一切口にしなかった。

 大統領府の公式発言が出たのは、決裂から13日経った18日の在韓外交団招請レセプションの歓迎のあいさつを通じてだった。文大統領は「韓国は今、朝鮮半島の非核化と恒久的平和という歴史的変化に挑戦している。我々は今、その最後の壁に向き合っている。その壁を越えてこそ、対決の時代に戻らず明るい未来を開くことができる」と述べた。文大統領は4日後の22日、国会施政演説でも「朝鮮半島は今、恒久的平和へと向かうための最後のヤマ場を迎えている」とし「北朝鮮の呼応を求め」た。文大統領は今回の交渉決裂を「最後のヤマ場」と評価し、最後まであきらめない決意を明らかにしたが、冷静に考えて2018年初めに「奇跡」のように始まった「朝鮮半島平和プロセス」はすでに動力を失った状態だった。

 朝鮮半島と東アジアを抑圧する不信と対立を克服し、「朝鮮半島非核化」と「恒久的平和」を実現しようとする韓国の悽絶な「現状変更戦略」が挫折した地点で作動し始めたのは、「韓米日対北中ロ」という冷戦の見慣れた「慣性」だった。米国は悪化した韓日関係を改善し、放置してきた韓米日3国同盟を正常化することを心に決める。この作業は韓国が8月22日に下した韓日軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の終了決定を覆すことから始めるしかなかった。まず刀を抜いたのは米国防総省だった。インド太平洋担当次官補のランドール・シュライバー氏は10月1日、米ブルッキングス研究所の討論会で「我々は我々の同盟に、(韓日の)対立で利益を得るのは中国・ロシア・北朝鮮だという事実を認識させ続ける必要がある」と言い、11月にタイ・バンコクで予定されていた「ASEAN国防相会談で(韓米日)3カ国国防相会談を開く機会を持つ」と述べた。これに応えるように河野太郎防衛相も8日の記者会見で「機会があればチョン・ギョンドゥ国防長官にお目にかかって話をすることはやぶさかではない」と述べた。朝中ロの挑発に対抗するには韓米日が固く団結しなければならないという米国の催促は、GSOMIAが終了する11月23日0時が近づくほどますます激しくなるはずだった。

 この頃、大統領府もGSOMIA終了がもたらした大きな影響を実感し、11月初めにタイ・バンコクで開かれるASEAN関連首脳会議で韓日首脳会談を開くことを提案するなど、軌道修正を試みた。大統領府はこの会談を通じて、韓国は「GSOMIA終了」、日本は「輸出規制撤回」問題で互いに少しずつ譲歩する見取り図を描いたものとみられる。この計画が成功していたら、韓国は特に国家的威信を傷つけず8月末に下したGSOMIA終了決定を取り下げることができたかもしれない。

 韓国が日本に再び接近したのは10月中旬だった。文大統領は14日、台風「ハギビス」で大きな被害を受けた日本に慰労の電文を送ったのに続き、政府内唯一の「知日派」であるイ・ナギョン首相を東京に派遣した。天皇即位式への出席を大義名分として22日に訪日したイ首相は、24日に安倍晋三首相と顔を合わせた。この面会は当初10分の予定だったが、午前11時12分から33分までの21分間の面会が行われた。イ首相は韓国が2018年10月に最高裁(大法院)の判決でいわゆる「65年体制」を崩壊させようとしているという日本の懸念を認識しているかのように「韓国も1965年の韓日基本条約と請求権協定を尊重し、順守してきた」と述べた。続いて、首脳会談の早期開催を要請する文大統領の親書を手渡した。しかし、安倍首相は「(韓国)の最高裁判決は国際法に明白に違反している。日韓関係の法的基盤を根本から崩した」と冷ややかな反応を示した。6日後の30日、読売新聞は「日本政府は来月首脳会談を開かないという方針を固めた」と報じた。融和的な内容の「光復節祝辞」を通じて和解を試みた今年8月に続いて韓国が再び差しのべた手を、日本は強く振り切ったのだ。

 日本が会談を拒否したので、強引にでも意思疎通の機会を作らなければならなかった。文大統領は11月4日午前8時35分(バンコク現地時間)、ASEAN+3首脳会議に出席するために控え室に入場する安倍首相を、近くのソファーへ案内し、11分ほど歓談した。コ・ミンジョン大統領府報道官の書面ブリーフィングによると、文大統領は安倍首相に「必要ならばよりハイレベルな協議を行うことも検討してみよう」と提案した。日本がすでに拒否した韓日首脳会談を「再要請」したのだ。しかし安倍首相は「我々が1965年の日韓請求権協定に関する原則(日韓間の請求権に関するすべての問題は解決済みとの立場)を変えることはない」という従来の立場を2回繰り返した。両国首脳は「友好的で真摯な雰囲気の中で歓談を続けた」という大統領府の発表とは違い、日本の首相官邸は報道資料も出さず、不快感を隠さなかった。

 首脳会談による問題解決の道が閉ざされると、韓国政府は実務会談へと方向を転換せざるを得なかった。朝日新聞の牧野愛博企画委員が書いた2020年1月の「文藝春秋」への寄稿によると、GSOMIA終了を2週間後に控えた11月10日に始まった実務会談の代表となったのは、チョ・セヨン外交部第1次官と秋葉剛男外務省事務次官だった。チョ次官が「少なくとも2回」日本を極秘訪問するなど熾烈な交渉の末、(1)韓国がGSOMIA終了通告を停止する、(2)韓日の課長級で進められていた輸出規制措置に対する協議を局長級に格上げする、(3)輸出規制撤廃のためのロードマップを作る、という妥協案をまとめた。韓国は「輸出規制協議に期限を定めよう」と主張したが、日本は「そうなれば『撤廃』を前提とした協議になる」と拒否した。韓国がGSOMIA終了決定を覆す「現金」を出したのに比べ、日本は輸出規制に対する協議を強化する「手形」だけを提示した。韓国の「譲歩案」だった。同案は19日、文大統領に報告された。

 チョ・セヨン次官と秋葉事務次官の熾烈な実務交渉が続いていた頃、韓国は「GSOMIA終了決定を撤回せよ」という米国の露骨な圧迫に苦しんでいた。デービッド・スティルウェル米国務次官補(東アジア太平洋担当)は6日、GSOMIA終了決定の主役の一人であるキム・ヒョンジョン国家安保室第2次長との70分にわたる面会で「GSOMIAは米国だけでなく韓国の国益にも役立つ」とし、延長を強く要求した。さらにマーク・エスパー国防長官は15日、第51回韓米安全保障協議会(SCM)終了後の記者会見で、「GSOMIAの終了や韓日対立で得をするのは平壌と北京」であることを改めて強調した。エスパー長官は会見後、マーク・ミリー統合参謀本部議長、ハリー・ハリス在韓米国大使らとともに文大統領を表敬訪問し、GSOMIAの延長を求める無言の圧力を加えた。文大統領は「安保上信頼できないという理由で輸出規制措置を取った日本に対して軍事情報を共有するのは難しい」という韓国の基本立場を説明して向き合った。

 二日後の17日には、シュライバー次官補が10月初めに予告したとおり、韓米日3カ国国防相会談が開かれた。午後3時半、バンコクのアバニリバーサイドホテルで始まった会談に先立ち、3国の長官は写真撮影に応じた。エスパー長官はチョン・ギョンドゥ国防相、河野防衛相と手を取り合い、「同盟ですよね、同盟」(allies, right?allies)と声を掛けた。チョン長官と河野防衛相は気まずい笑みを浮かべた。

 絶体絶命の最後の瞬間で、キム・ヒョンジョン第2次長は18日から2泊3日の日程で米国を極秘訪問し、最後の説得に乗り出した。しかし、マシュー・ポッティンジャー大統領副補佐官(国家安全保障担当)はキム次長に「GSOMIAは維持すべきだ」と冷ややかに反応した。袋小路に差し掛かった大統領府は、チョ・セヨン-秋葉案を飲まざるを得なかった。日本は「文大統領を相手にしたくない。GSOMIAを終了するならそうすればいい」という激昂した立場だったが、名古屋で開かれたG20(主要20カ国・地域)外相会談に出席するために訪日中だったスティルウェル次官補が21日、北村滋国家安全保障局長に「日本も柔軟な姿勢を持たなければならない」と説得すると、これを受け入れた。

 韓日のGSOMIAをめぐる対立が「韓国の譲歩」でまとまりつつあった21日、北朝鮮の官営「朝鮮中央通信」は奇妙な資料を出す。文大統領は5日、「釜山で25日から開かれる韓-ASEAN特別首脳会議に金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長を招待する親書を送った」とし、その後、「何度も、国務委員長が来られなければ、せめて特使を訪問させてほしいという切実な要請を送った」という話だ。しかし北朝鮮は「板門店(パンムンジョム)・平壌(ピョンヤン)・白頭山(ペクトゥサン)での約束のうち、一つも実現したものがない今の時点で、形式だけの北南首脳再会はいっそやらない方がいい」とし、文大統領の切実な要請を断った。文大統領が親書を送った日は、バンコクで安倍首相をソファーに座らせて対話を交わした翌日だった。金委員長の釜山訪問が実現していたら、韓国はGSOMIA終了決定を維持できただろうか。

 翌日の22日午後6時。キム・ユグン国家安保室第1次長が再び春秋館2階のブリーフィング室の演壇に上がった。2カ月前、自身が発表したGSOMIA終了決定を覆す内容だった。1分あまりのブリーフィングは終わったが、キム次長は妙な表情のまま、なかなか演壇から降りることができなかった。重い沈黙がブリーフィング室を押さえつけていた。国家のすべての威信をかけて繰り広げた韓日外交戦で、韓国が白旗を掲げたのだ。(続)

<※文中肩書は当時>

//ハンギョレ新聞社

キル・ユンヒョン|統一外交チーム長。大学で政治外交学を専攻。駆け出し記者時代から強制動員の被害問題と韓日関係に関心を持ち、多くの記事を書いてきた。2013年秋から2017年春までハンギョレ東京特派員を務め、安倍政権が推進してきた様々な政策を間近で探った。韓国語著書に『私は朝鮮人カミカゼだ』、『安倍とは何者か』、『26日間の光復』など、訳書に『真実: 私は「捏造記者」ではない』(植村隆著)、『安倍三代』(青木理著)がある。

(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/984175.html韓国語原文入力:2021-02-24 02:09
訳C.M

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