ミャンマー軍部とアウンサンスーチー氏は危険なゲームを行っている。そのゲームは、ロヒンギャ族をめぐり始まった。ミャンマーの権力を争うゲームだ。1日の軍部クーデターはその過程だ。
もちろん、挑発は軍部が行った。ミャンマー軍は2017年8月初め、ミャンマーに住んでいる無国籍のイスラム系少数民族であるロヒンギャに対する大々的な“掃討作戦”に突入した。ロヒンギャの反乱軍が警察署を襲撃する武装反乱を起こしたという理由だった。掃討作戦は、ミャンマー国内の140万人のロヒンギャ族のうち75万人が難民としてバングラデシュに避難し、虐殺と強姦などのジェノサイドの事態をともなったロヒンギャ危機を引き起こした。
ミャンマー軍部が国際社会の顔色もうかがわずにロヒンギャ族をこのようにまで抑えつけたのは、「声東撃西」(兵法三十六計の一つで、東で声を発してそちらにいるとみせかけ、実際は西を撃つ戦術で、陽動作戦の一種)を用いた一石二鳥の策略だった。
その背景は、ミャンマーの少数民族問題、特にロヒンギャ族に対する世論と軍部の伝統的役割だ。ミャンマーは135の民族により構成された多民族国家だ。人口の70%はビルマ(ミャンマー)族が占め、残り30%が多様な少数民族だ。少数民族の独立や自治問題はミャンマーの慢性的な懸案であり、ビルマ族の大部分はこれに抵抗感を持っている。
軍部は、ミャンマー独立以来、少数民族問題に対処する公式の機関だった。独立後、北部のカレン族の武装独立闘争など、少数民族の独立や自治運動に対処し、ミャンマーの統一を守ってきたのは軍部だと評価されている。ビルマ族の大多数はスーチー氏を支持するが、軍部のこのような役割に対しては異議を唱えない。現行の憲法でも、軍部は国防・国境・内務の3省庁を管轄するよう保障されている。国境関連の省庁が少数民族担当だ。スーチー氏や民主化運動勢力も、軍部のそのような役割を否定できないため、このような奇形的な憲法に妥協するしかなかった。
特に、イスラム教徒であるロヒンギャに対する拒否感はさらに強い。ビルマ族は、ロヒンギャはミャンマー国内の歴史的な少数民族ではなく不法移民住民の集団にすぎないとみている。ロヒンギャに対する世論は、スーチー氏を支持するビルマ族の住民だけでなく、民主活動家の間でも同じだ。
軍部はロヒンギャ族に手を付け、スーチー氏を縛りつけようとした。スーチー氏がこの掃討作戦に批判的な声を上げれば、大多数の住民の支持に亀裂が生じる。一方、作戦を支持すれば、国際的な名声が崩壊する。スーチー氏は後者をはっきりと選んだ。スーチー氏は国際司法裁判所に直接出席し、軍部の作戦を擁護した。ノーベル平和賞を剥奪しなければならないという国際的な世論まで起きた。
これで軍部は、スーチー氏の権力の一つの軸である国際的な名声を傷つけ、自らの役割を強化する効果を上げた。しかし、軍部の勝利は半分だけだった。昨年11月の総選挙でスーチー氏の民主主義民族同盟(NLD)は、2015年の総選挙の時よりさらに多くの議席を得て圧勝した。スーチー氏は、ロヒンギャ危機で国際的な名声を傷つける代わりに、ビルマ族の支持をより一層強固にしたのだ。この総選挙により議席拡大を狙った軍部は、不正選挙の調査を名目に、総選挙の結果の受け入れを拒否した。
ロヒンギャ危機から昨年11月の総選挙までの過程は、ミャンマーをめぐる国際関係の力学も変えた。ロヒンギャ危機により西側の批判にさらされたスーチー氏は、中国に近づいた。これに先立ち軍部は、2011年に民間に権力を分け、米国との国交を回復するなど、中国一辺倒の外交を修正した。ロヒンギャ危機を契機に、中国はミャンマーで軍部の代わりにスーチー氏というより正統性のある権力と手を握れる機会をつかんだのだ。米国はどっちつかずで見守る状態になった。クーデターが起きる前に中国は、スーチー氏と軍部の妥協を仲栽したという噂がある。
ゲームはまだ終わっていない。すでに両者の共存の可能性は遠ざかった。相手を否定しなければならない。相手を否定しても、自分が生き残るのではない。このゲームの悲劇だ。
軍部、スーチー氏、中国、米国のすべてが追い込まれている。軍部政権の再強化も、スーチー氏の民政の再確立も、両方とも可能性は薄い。二つの勢力の相反する関係が流動化するなか、混乱と流血がちらつく。米国と中国もやはり実効性のある介入は不可能だ。制裁と支持の両方とも適切ではないからだ。
ミャンマー民主化勢力は少数民族問題に足かせを掛けられ、軍部は秩序ある退却の道を失い武力だけに頼る状況になった。それにより、インド太平洋をめぐる米国と中国のグレートゲームの熱戦地帯、いや、混乱する泥沼がミャンマーに造成されている。
チョン・ウィギル|先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )