本文に移動

[寄稿]至る所で資本主義への敵意が沸き立っている

登録:2021-02-03 02:53 修正:2021-02-03 08:33
シン・ジヌク|中央大学社会学科教授
今月19日、クーパン東灘物流センター夜間労働者死亡事件の責任糾弾のために開かれた、民主労総公共運輸労組と「クーパン発コロナ被害者支援対策委員会」の記者会見=チョン・グァンジュン記者//ハンギョレ新聞社

 「単なるごくごく小さな消耗品。2本の指で軽くつまみあげて替えられる、そんな部品にすぎない。その消耗品の代わりは数千~数万個が後ろで待機中」、「1万ウォン6、7枚稼ごうと老いた体を引きずり、カートを引っぱって働く40代、50代の方たち。表には出さなくても心の中では胸が張り裂けているだろう」、「稼ぐ人間はごく少数で、上位の職場は限られていて、学歴スペックではじめからカットされてるのを知らないのか」

 上の文章は、クーパン物流センターのアルバイト労働者たちが利用するオンラインコミュニティーで見つけたものだ。今年1月20日、氷点下10度の寒さの中で50代の労働者がトイレで心筋梗塞で死亡した、その場所だ。物流センターで労働者は携帯電話も返却し、休憩時間もなく毎瞬間、時間当たりの作業量を監視されながら働く。そこで働く青年たちは自らを「奴隷」「部品」「虫」と呼び、現実に抗議している。物流センターだけではない。工場、コンビニ、工事現場、コールセンターなど、至る所で資本主義への敵意が静かに沸き立っている。

 米国の政治学者マーティン・リプセットは『ここではそのようなことは起こらなかった』(原書:It Didn't Happen Here: Why Socialism Failed in the United States、Gary Marksとの共著(2000))という著書で、なぜ米国では欧州と異なり労働者の連帯と階級意識が成長しなかったのかを分析した。米国とは歴史的脈絡が異なる韓国でも、長い間この問いは有効だった。世界史に類を見ない急速な産業化は実現されたものの、階級と不平等という問題が前面に浮上したことは滅多になかった。そんな韓国では今、意味深長な変化が起きている。

 韓国社会において、労働者と中産層の割合は次第に大きくなってきていた。シン・グァンニョン、チョ・ドンムン、ペク・スンホなどの研究によると、農民が大半だった1960年には、労働者階級は経済活動人口の16%に過ぎなかったが、2010年には43%にまで増加しており、新中間階級と合わせると77%にのぼる。支配層が「1人1票民主主義」の革命的潜在性を恐れるに足る階級構造だ。労働者と中産層が自らの階級利益を政治で具現化することができるならの話だ。

 しかし、2000年代初めですら、資本主義の根本問題である労働、福祉、不平等は主要なイシューとはならなかった。軍事独裁が植え付けた反共イデオロギー、地域主義的偏見、競争・序列・能力主義のような歪んだ意識が蔓延しており、富と権力を持つ者がそれを煽り、利用した。低所得層、労働者たちが福祉拡大を従北朝鮮、共産主義、ばら撒き、ポピュリズムとして非難するなどの「階級への裏切り」の態度がかなり強かった。

 ところが、この10年あまりの間に変化が起きている。一例として、キム・ヨンチョル、チョ・ヨンホ、シン・ジョンソプの2018年の研究においては、労働者階級の73%、新中間階級の70%が、企業は労働者と消費者を犠牲にして稼いでおり、政府は企業と金持ちの味方だと答えている。ヨ・ユジン、キム・ヨンスンの2015年の研究によると、低所得層と中産層は政府の福祉に対する責任と福祉支出の拡大を高所得層よりも確実に強く支持した。筆者が仁川大学のパク・ソンギョン教授とともに昨年発表した論文でも、所得・雇用・資産などで階層が下がれば下がれば下がるほど「ヘル朝鮮(地獄のような韓国を意味するスラング)」認識が強まるという相関性が確認された。

 最近、学界の多くの調査において、これと類似した変化が報告されている。もちろん学問的には、性急な判断を警戒すべき様々な理由がある。依然として相反する調査結果があり、これらのパターンがどれだけ堅固かも不明確だ。しかし、社会変化の大きな流れを見れば、多くの労働者と中産層が資本主義の不平等を認識して労働、福祉、分配を語っているという事実は、大韓民国政府の樹立後、初となる重大な現象だ。

 過去には稀薄な階級意識が労働者のための政治、分配政治の発展を妨げる歴史的遺産だったとすれば、今は至る所に偏在する階級対立の火種を政治が代弁し、政策へと昇華することが歴史的課題となっている。非人間的な労働環境、身分制のような差別、悲惨な貧困の現実、深刻な不平等、墜落への不安、このような現実を、今や多くの人が知っている。そして、政治がこれを改善する人材、予算、法的根拠を実質的に提供することを望んでいる。

 もはや韓国政治は民主主義の新たな概念を必要としている。働く人々が自らの時間、労働、身体、生に対する主権と自由を剥奪されている場所においては、民主主義という単語は空虚だ。ハンナ・アーレントは『全体主義の起源』で「ブルジョア社会が自ら生産した暴民は自分を疎外した社会を憎悪し、自分を代弁しない議会も憎む」と書いている。この危険な不平等の時代に、民主主義は働く人々の地平へと降りてこなければならない。

//ハンギョレ新聞社

シン・ジヌク|中央大学(韓国)社会学科教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/981454.html?_fr=mt2韓国語原文入力:2021-02-02 15:16
訳D.K

関連記事