本文に移動

[寄稿]ドイツでは許されなかった…ビラ散布と民主主義

登録:2021-01-16 08:28 修正:2021-01-16 11:54
イ・ウンジョン|ベルリン自由大学韓国学研究所所長
//ハンギョレ新聞社

 ドイツがまだ分断されていた時代、西ドイツでもビラ散布が問題になったことがあった。1972年の基本条約締結後、ビラ散布そのものを中止するまでは、西ドイツ連邦軍が東ドイツ地域に向けてビラを飛ばしていた。西ドイツ連邦軍によるビラ散布は1960年代半ばまで非公開で行われた。連邦軍はビラを飛ばす際、東ドイツと近い境界地域で民間人を装って作業したという。直接作業を担当していた部隊の所属軍人たちに口外しないという誓約書に署名させたうえで、極秘裏に進められた作業だった。にもかかわらず、ビラ散布が行われていることを完全に秘密にすることはできなかった。時たまビラを積んだ風船が西ドイツ地域に落ちる事故が発生したためだ。数回にわたって連邦政府の国防省がマスコミの報道を阻止したが、1965年初めにそれができない事故が発生した。西ドイツから東ドイツに飛ばしたビラを入れた風船15個が、西ドイツのヘッセン州の境界地域のアルテンブルシュラ村に落ちたのだ。

 その日はちょうど日曜日で、風船が落ちたところはその町の地域祭りが開かれ、ほとんどの住民が集まっていた広場だった。東ドイツから飛んできたビラだと思ってビラを拾った住民たちは、それが西ドイツから東ドイツに送るビラであることに驚いたという。1965年3月13日、ヘッセン州の地方放送がこの事件を初めて報道してから、時事告発番組の北部ドイツ放送(NDR)の「パノラマ」チームが、ビラを発送した責任者は連邦軍であることを報じたことで、この事件は政治的な問題となった。シュピーゲルをはじめとする西ドイツのマスコミは、ビラを飛ばすこと自体が議会民主主義の道徳性を損ねる恥ずかしいことだと批判した。連邦議会議員らは、誰が東ドイツへのビラ散布の責任者なのか明らかにするよう求めた。当時国防相は、連邦軍が関係しているなら自分が責任者だと答えた。そして、東ドイツが壁を作ってから、人民軍所属の軍人が西欧世界に関する情報を受け取れなくなったためビラを散布していると説明した。議員らはビラ散布でどのような効果を収めたかと問い詰めた。その後、西ドイツではビラ散布に対する非難が相次いだ。

 1965年6月にヘッセン州政府の内務長官は連邦軍を含むいかなる組織もヘッセン領土内で(東ドイツに向けての)ビラを飛ばしてはならないと発表した。ビラ散布のために風船を飛ばすことは意味のないことであり、情報を伝える目的にも合致しない行為であると共に、東ドイツの住民を危険に陥れるだけでなく、接境地域の住民の日常生活を困難にするというのが理由だった。その結果、連邦軍は1965年6月からヘッセン地域でのビラ飛ばしを中止したという。それを決定したヘッセン州が政治的に非難されたという記録はまだ見つかっていない。むしろ西ドイツの人々がそのようなことをしたことを恥ずかしい歴史と捉える記録だけが残されている。

 西ドイツのこのような経験に照らし、今韓国で論議になっているビラ散布が、意思表現の自由の実践であり(北朝鮮人民の)人権(向上)につながると主張する論理を、具体的に分析してみる必要がある。

 分断国家で人権を語る際に最も重要なのは、分断による住民の苦痛を和らげることであるという点については誰も異議を唱えられないだろう。これは、西ドイツで東ドイツの人権侵害事例をすべて記録しようと提案したウィリー・ブラント元首相が、1961年にベルリンに壁が建てられるのを見て述べた言葉だ。彼はベルリンの壁の建設によってクリスマスを家族とともに送ることができない西ベルリン住民の苦しみを和らげるために、東ドイツと交渉に出た人物だ。

 ビラ散布がどのような効果をもたらすのかもはっきりせず、接境地域の住民の日常的な生活が侵害されることが明らかな状況で何をすべきなのか、本当にわからないのだろうか。冷戦の真最中だった1960年代、西ドイツの人々はビラ散布を民主国家が行ってはならないことだとして恥じたが、民主国家である韓国でそのような行為を当たり前だと捉え、堂々と行う人たちがいる事実が恥ずかしい。

イ・ウンジョン|ベルリン自由大学韓国学研究所所長及び韓国学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/because/978619.html韓国語原文入力:2021-01-1402:39
訳H.J

関連記事