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[コラム]正義党の「進歩」とは何か

登録:2020-09-03 02:41 修正:2020-09-03 08:12

2000年の民主労働党の結党に参加した人々は、朝鮮労働党に似た党名としたことが、国民にどのように受け取られるか心配したという。そのような懸念にもかかわらず、民主労働党が大衆の心の中に成功裏に定着するまでには4年もかからなかった。正義党はどのような進歩を国民に示すのか、多くの人々が見守っていることを忘れないでほしい。

新型コロナ防疫のため、先月30日、ソウル汝矣島の党本部でオンラインで行われた正義党の第9回党大会で、ヨ・ヨングク議長(中央)がガベルを打ちつけている。左からキム・ヒソ副議長、ヨ・ヨングク議長、キム・ヘリョン副議長=正義党提供//ハンギョレ新聞社

 正義党が先月30日の日曜日に党大会を開き、刷新案を議決したというニュースは、前日(29日)にイ・ナギョン議員が共に民主党の新代表に選出されたという記事に埋もれ、新聞やテレビ放送ではほとんど注目されなかった。6議席の小さな政党の党大会は、176議席を持つ政権党の代表選出とは比ぶべくもないが、それでも岐路に立たされる進歩政党の未来を決める党大会としては寂しかった。

 正義党は共に民主党のみに押されているのではない。3カ月近い活動の末、刷新案素案を公開したまさにその日(8月13日)、未来統合党も非常対策委員会がまとめた刷新案を発表した。両政党とも4月の総選挙での敗北で、路線と政策の根本的な再確立が求められていた。正義党の刷新案は、3人の副代表を5人に増やすなど、指導体制の改編に重点が置かれていた。未来統合党の刷新案は、基本所得の導入や福祉死角地帯の解消、国会議員の連続4選の禁止などの内容が盛り込まれていた。

 20年前に民主労働党の結党を主導した重鎮は「発表内容だけを見ると、正義党より未来統合党の方が進歩政党のようだった」と苦々しく語った。「民主労働党を結成する際に掲げたキャッチフレーズは『働く人々のための政党』だった。今回は未来統合党が『働く人々が尊重される社会を作る』と言っていた。では正義党は何をもって進歩政党を標榜するのかと思った」と述べた。

 正義党が4月の総選挙で得た得票率は9.67%、議席は6議席だ。これを見る限りは4年前の第20代総選挙に劣らない。しかし、2004年の第17代総選挙で10議席と13%を超える政党得票率を記録したことに比べれば、20年近くも一歩も前に進めずに横ばいを続けていることになる。政治的影響力からすれば、2004年とは比べ物にならないほど小さくなってしまったことは否定できない。

 今の困難より未来の夢が薄れてしまったことの方が、正義党にとってはずっと痛く感じられる。パク・ウォンスン前ソウル市長の弔問をめぐる論争などで、全党員の4分の1近い6000人あまりが減ったという。1987年6月抗争と労働者大闘争の成果の上に政治勢力化した進歩陣営が、「ジェンダー」と「公正」という新たな議題の前で混乱しているのは十分に理解できる。民主化運動と労働運動に基づいた活動は「古い進歩」と言われるほど、進歩の層位は多様で複雑化している。これを一つに抱え込んで前に進むことは言うほどたやすくはないことを、私たちはすでに骨身にしみて感じている。「新たな進歩」と簡単に言いはするが、その新しさが党綱領の社会民主主義的価値とどのように調整され得るのか、誰が自信を持って言えるだろうか。

 それでも、今の韓国社会に進歩政党がなぜ必要なのかについて、正義党は答えなければならない。政権党である共に民主党が米国のリベラルのように、かなりの水準の「進歩性」を吸収した状況においても、正義党が必要な理由を国民に説明できなければならない。それは副代表の数を増やし、単一指導体制を集団指導体制に変えたからといって解決される問題ではない。

 進歩政党が韓国社会に及ぼした肯定的な影響は計り知れない。共に民主党が示す進歩性だけでなく、強硬保守だった未来統合党が「福祉」と「正義」を政綱政策に盛り込む状況にまで至ったのには、進歩政党の役割が大きかった。国会の塀が崩れ、「議員先生」たちの専有物だった議事堂に市民たちが自由に出入りできるようになったのも、権力を国民の元に返そうという進歩政党の努力のおかげだった。だから、正義党のような進歩政党がより多くの国民の支持を得ることは、韓国政治の発展のために依然として必要だと信じる。

 これから正義党は、次期代表を選ぶための党大会体制に入る。代表選出の過程では、進歩政党の夢とビジョンを明確かつ率直に討論し、国民に提示してほしい。党の綱領と実際の姿がかもし出す距離感を乗り越え、社会民主主義であれフェミニズムであれ、または第3の路線であれ、名実共に進歩政党だけのカラーを明確に示すべき時ではないかと思う。

 2000年1月30日に結成された民主労働党は、「進歩」という言葉自体が忌み嫌われていた時代に誕生した初の大衆的進歩政党だった。当時、結党準備に参加した人々は、朝鮮労働党に似た「民主労働党」という党名にしたことが、国民にどのように受け取られるか心配したという。そのような懸念にもかかわらず、民主労働党が大衆の心の中に成功裏に定着するまでには4年もかからなかった。正義党はどのような進歩を国民に示すのか、多くの人々が見守っていることを忘れないでほしい。

//ハンギョレ新聞社

パク・チャンス|先任論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/960427.html韓国語原文入力:2020-09-02 16:19
訳D.K

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