韓国政府が行政手続きの簡素化を通じて北朝鮮住民との接触を広げる方向で「南北交流協力に関する法律」(南北交流協力法)の改正を進めている。主な内容には、南北交流・協力目的で北朝鮮住民と接触する際、承認から申告への転換▽離散家族の連絡・偶発的出会いは申告を免除▽地方自治体を南北協力事業主体と明示▽南北交流中断の際、国務会議での審議を義務化などがある。南北接触において、統制から開放の拡大へと方向を転換したのだ。南北交流協力の内容・主体が多様化し、複雑になった状況と市民社会の改正要求を反映したという。現実的で妥当な法改正と言える。
2018年の3回にわたる南北首脳会談以降、市民団体や学者らは、南北交流協力法の改正を通じた交流協力の基盤作りを求めてきた。北朝鮮住民との接触は申告事項にもかかわらず、統一部が申告受理条項を恣意的に適用し、対北朝鮮接触を許可しないなど、事実上の許可制として運営しているという指摘もあった。南北交流協力事業の主体に地方自治体を含めて中央政府の負担を減らそうという「分権型対北政策」の要求も多かった。
1990年8月1日、南北交流協力法を制定し、南北交流と協力を法的に保障する装置を設けたのは、盧泰愚(ノ・テウ)政府だった。当時、盧泰愚政府は、これまで統治権の領域で扱ってきた南北関係を法的規律の対象にしたと説明した。しかし、朴槿恵(パク・クネ)政府は2016年2月、開城(ケソン)工業団地の全面稼働中止を決める際、いわゆる「統治行為」として強行し、同法の制定趣旨を無視した。
一部の保守勢力は法改正の方向をめぐり「北朝鮮に対する警戒網を緩める」とか、「国家保安法と相反する」と主張する。約30年前の盧泰愚政府にも及ばない立ち遅れた認識だ。1988年、盧泰愚大統領はいわゆる「7・7宣言」(民族自尊と繁栄のための大統領特別宣言)を発表し、敵対的な対決の対象だった北朝鮮を「交流と協力の対象」と認め、1990年には後続措置として南北交流協力法を制定した。同法ができてから、国家保安法で処罰されずに北朝鮮の人と接触し、北朝鮮に投資することが可能になったことを想起すべきだ。
現行の南北交流協力制度は、冷戦構図で対北朝鮮交流の例外的許容のために作られたものだ。制定から30年が過ぎただけに、時代の流れを反映した法改正は不可欠だ。この機に、朝鮮半島の平和を支える南北交流協力の法的基盤をさらに堅固にすることを望む。