「ポストコロナ」時代に「韓国版ニューディール」を語るためには、「ポストアメリカ」を先に話さなければならず、20世紀のニューディールとの差別性も強調しなければならない。
新型コロナの災難が示した米国のシステムと西欧を含む先進資本主義国家の防疫、医療システムの弱点は、過度な医療の商業化と民主主義の欠乏、社会的凝集性の解体、そして文明史的次元での人間の地球資源略奪によるものだ。
米国の新型コロナウイルス感染症(COVID-10)による死亡者が8万人を超えた。多くの外国メディアは、最初の死亡者発生日が韓国より遅い米国が、韓国と違いこれほど多くの犠牲者を生んだ理由について、すでに様々な分析を報じた。米国の前職大統領のオバマ氏は、トランプ行政府の対処に大きな問題があると叱責した。だが、果たして民主党が執権していたら状況は違っただろうか。
すでに知られているように米国の医療技術は世界最高であり、米国には最も水準の高い医師、学者、医科大学が存在する。国内総生産(GDP)に占める医療費支出も世界で最も多い。このような米国が、伝染病に対してこれほど脆弱な姿を見せた理由は何か?もちろん、トランプ大統領の遅すぎる対応、高い診断への敷居、マスクを使わない文化などの理由もあるだろう。しかし、普遍的医療保険の不在を含め公共医療の脆弱性を指摘する点についても意見の相違はない。
すなわち、米国の防疫の失敗は天文学的医療費が製薬会社、病院、保険会社、ローファームなど巨大な利益集団のポケットに入り、伝染病のような危機には全く支出されない上に、最高水準の医療技術は医療商品を購入できる金持ちのために使われるということにあるだろう。そのためか、米国のCOVID-19死亡者の70%はアフリカ系米国人という報道もある。
国家が主に医療サービスを供給する西欧諸国の防疫の失敗は、米国と同列には説明できない。台湾と韓国は、中央政府と行政執行の迅速性と透明性、医療関係者の献身性、市民の共同体マインドなどの面でこれら西欧とは異なった。ベトナムのような国家統制方式とは違う次元で、東アジアの民主主義が防疫の成功の重要な背景と見る理由だ。
結局、文在寅(ムン・ジェイン)政府の指導力と疾病管理本部のような制度、医療関係者の献身、効率的な行政が防疫の成功、民官協力モデルのようなK-防疫の内容であるのだが、現実には韓国の公共医療費支出は米国より低く、公共病院や公共病床、公衆保険医の数も西欧国家とは比較できないほど少ない。結局、また別の伝染病や社会的災難が差しせまった場合、相変わらずきわめて脆弱な構造を持っているということだ。しかも、すでに始まった大量失業問題、迫りくるエネルギー・気候危機などにも今回の防疫モデルが適用されうるとは思いがたい。
利川(イチョン)の倉庫火災で、38人の労働者がまた死亡した事件、年間900人余りが労災で死亡する韓国の姿は、防疫の成功の裏面の不都合な真実だ。防疫は“治療”ではなく、リスク自体の遮断でも社会的セーフティネットでもない。依然として韓国では「利益が残らない」公共部門を維持することはできないと主張する勢力は米国同様に強大だ。大邱(テグ)の有権者は、公共病院である晋州(チンジュ)医療院を閉鎖したホン・ジュンピョ前知事を再び選出した。公共病院としては大邱医療院一つしかない“メディシティ”大邱で、初期感染患者が急増すると他の患者が治療を受けられずに多数死亡した。財閥企業と未来統合党は、李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)政府以後に医療の商業化を一貫して主張してきた。国家の金庫を握っている企画財政部も同じ立場だ。
文在寅大統領は、就任3周年を迎え、世界の“先導国家”の自信を示した。今、韓国には十分にそのように言う資格がある。「全国民雇用保険制」の基礎を築くという意志、感染病専門病院の設立など、公共医療を強化する意志を見せたことも高く評価するに値する。
しかし「ポストコロナ」時代に「韓国版ニューディール」を語るためには、「ポストアメリカ」を先に話さなければならず、20世紀のニューディールとの差別性も強調しなければならない。COVID-19の災難が示した米国のシステムと西欧を含む先進資本主義国家の防疫、医療システムの弱点は、過度な医療の商業化と民主主義の欠乏、社会的凝集性の解体、そして文明史的次元での人間の地球資源略奪によるものだ。したがって、韓国が真の“先導国家”になるためには、米国式の医療・福祉システム、すなわち国家が企業に捕獲され、人間の生命と安全、社会の持続可能性に関連した領域を営利追求の市場と見る思考を再考し、公共部門の役割を強調しなければならない。
文大統領が強調した新しい産業政策と雇用セーフティネットの確保は、経済的強者の譲歩と社会的妥協、グリーン・ニューディールの展望を“含まないならば”、21世紀のニューディールという歴史的意味を持つことはできない。雇用保険の拡大計画だけ除けば、このニューディール宣言が李明博・朴槿恵政府、財閥と経済部署官僚らが持続的に要求してきた未来産業育成政策と何が違うかすら曖昧だ。市民と脆弱層が真の主権者として、国家運営に自発的に参加できる新しい民主主義のビジョン、それが含まれてこそ21世紀の韓国版ニューディールになるだろう。