予想通り、最高裁判所(大法院)が29日にサムスン電子のイ・ジェヨン副会長に対する二審判決を破棄差し戻しとした後、いわゆる保守メディアを中心に例の「サムスン危機論」が噴出した。財閥オーナーの司法処理のたびに繰り返されるお馴染みのシーンだ。
朝鮮日報は社説で「万が一サムスンが揺さぶられたら、誰がその後を負うことができるのか。そんなことは本当に絶対起こらないだろうか」と、危機感を煽った。また、「サムスンの司令塔が非常経営ではなく法廷争いに全精力を消費しなければならなくなった」とした。まるでイ副会長が何の過ちもないのに司法的に苦しめられてるという話に聞こえる。経営権継承の過程で犯した違法行為のせいで裁判を受ける実状を糊塗する主張としか言いようがない。
個別企業を超えて韓国経済全体に大きな事故が起こるかのような雰囲気を描写する主張も相次いだ。中央日報は、経済団体の憂慮を伝える形で「米国と中国の貿易紛争に日本政府の輸出規制という悪材が加わり、サムスンの『視界ゼロ』状況が韓国経済全般へと広がる可能性がある」と報道した。経済団体である全経連は論評で「グローバル無限競争時代に、今回の判決によるサムスンの経営活動の萎縮は、個別企業を超えて韓国経済に多大なる悪影響を加えないかと憂慮される」とした。イ副会長個人にふりかかった法的危機を、サムスンという企業の経営活動、ひいては韓国経済全体の危機に関連付けている。こじつけであり当て推量だ。そうでなければ、イ副会長が拘束されていた2017年にサムスン電子の売上が大幅に増えた事実には何と答えるのか。
裁判所の判決は法と原則にのみよらなければならない。判決の是非は法理で追及すべきことであって、企業経営や国の経済に対する影響の大小を取り上げる問題ではない。さらに言えば、違法行為に対する断罪が行われ倫理・遵法の経営の枠組みが固められてこそ、究極的には企業にも有益だ。イ副会長が横領・賄賂供与で企業に与えた有形無形の損失を考慮してみるべきだ。
サムスン危機論はイ副会長の拘束の時と一・二審判決時にもたびたび登場したが、事実ではないことがとうに明らかになっている。企業の未来を本当に心配するならば、根拠のない危機感を伝染させるより「過去の過ちを繰り返さないよう、企業本来の役割を充実に果たす」というサムスンの約束を監視し、激励することにもっと力を添えるのが正しい。