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[社説]盧武鉉10周忌、いまだ遂げられない「進歩主義の夢」

登録:2019-05-23 08:50 修正:2019-05-23 11:03
盧武鉉と共にした人たち、“廃族”から“主流”に 
地域構図を崩すことには大きな成果 
選挙制度、検察改革など宿願は未完
退任後、故郷の慶尚南道金海市烽下村に定着した盧武鉉元大統領が2008年4月13日、自転車につけた荷車に孫娘を乗せて村の周辺を走っている=「人の生きる世界」提供//ハンギョレ新聞社

 2009年5月23日土曜日の朝、彼の急な死去のニュースに多くの人たちが嗚咽したのがもう10年前のことだ。退任後、故郷の活性化に邁進するとし、烽下(ボンハ)村行きの列車に乗った盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領は、検察の侮辱的な捜査に「すまながらなくていい…運命だ」という遺書を残してこの世を去った。

 山河が変わるという10年、盧武鉉と共にした人たちは“廃族”(罪を負って死んだ者の子孫が官職につけなくなること)の時間を経て、文在寅(ムン・ジェイン)大統領と共に再び主流に立った。2016年の総選挙と2018年の地方選挙では「ばか盧武鉉」が挫折し続けた釜山をはじめ、慶尚南道・大邱などで共に民主党候補らが躍進し、彼が渇望したように地域主義の壁に大きな亀裂をつくった。金大中(キム・デジュン)元大統領と盧元大統領が種を蒔いて育てた「南北和解と平和共存」の基調も、李明博(イ・ミョンバク)・朴槿恵(パク・クネ)政権の9年の暗黒期を経て、再び前に進んでいる。西海平和地帯の構想などを盛り込んだ「10・4南北首脳宣言」は、4・27板門店宣言と9・19軍事分野合意書の締結に具体化された。

 彼が投げた宿題は、依然として未完の状態だ。地域主義の打破に向けた選挙制度改革と協治の道は、まだ遠く苦しい状態だ。盧元大統領は2005年、過半議席を獲得した政党・政治連合に内閣構成権を委譲するとし、選挙制度改革を要求した。しかし、特定政党の地域独占を打破し多様なスペクトルの多党制に基づく連立政権など協治を制度化できる選挙制度改革は壁にぶつかっている。圏域別の部分連動型比例代表制を国会の迅速処理案件(ファスト・トラック)に指定したが、自由韓国党は「左派独裁の陰謀」だとして対抗している。

 国土のバランス発展を通じて首都圏集中の解消と権力分散を夢見た構想も足踏み状態だ。2012年7月に発足した世宗市(セジョンシ)は人口33万の都市として成長し、各地域には10の革新都市がつくられた。しかし最近、首都圏への集中が再び強まる流れさえ現れている。国会分院の世宗市設置など、決断が必要な時だ。検察改革などの権力機関の改革も遅々として進まない。国家情報院は国内政治から手を引く組織改編を断行したが、国内政治への関与を制度的に阻止する国家情報院法改正案はまだ国会で眠っている。検察改革は高位公職者犯罪捜査処(公捜処)法と検察・警察捜査権調整案に具体化させ、与野党4党がファスト・トラックに載せた。しかし、検察の露骨な反発と国会議員らの冷めた態度のせいで将来を確信することができない。

 改革に抵抗した保守勢力は、最近、盧武鉉政府のイラク派兵と韓米自由貿易協定の締結を「実用主義と協治」の事例に挙げ、文在寅(ムン・ジェイン)政権を攻撃している。都合のよいこじつけだ。反則と特権のない社会を夢見た「盧武鉉精神」は、既得権打破と時代の課題を避けずに立ち向かう勇気であろう。

 23日午後2時、烽下村の大統領墓地で10周忌追悼行事が行われる。「新しい時代の始発電車になりたかったが、旧時代の終電になってしまった」という彼の嘆きを振り返り、成し遂げられなかった「実用進歩主義の夢」を振り返ってみる時だ。

(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/894947.html韓国語原文入力:2019-05-22 18:52修正:2019-05-22 19:54
訳M.C

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