3・1独立運動の100年の節目は、日韓関係の険悪化の中で迎えることとなった。韓国にとっての民族的な記念日に対して、日本国内では、この機会に日本に対する敵意が盛り上がるのではないかという根拠のない臆説が広まっている。
2月27日のテレビニュースは、自民党外交部会で、3月1日に韓国滞在中の日本人がデモに巻き込まれる恐れがあるという懸念の声が出され、外務省はスポット情報の注意喚起や渡航制限の強化を検討すると答えたと伝えている。そして、外務省のホームページには、韓国にいる日本人にデモに近づかないようにとする注意喚起が載っている。3・1独立運動の歴史的な意味についての解説もなしに、ただ日本に反発する運動という位置付けで恐怖心をあおることは、政治的な宣伝ということができる。
ほとんどの人間は母国語を使ってものを考え、特定の文化や環境の中で成長するので、自分の生まれ育った社会に愛着を持つ。それが紛争の原因にならないようにするためにどうすればよいか。知恵を絞る時である。重要なことは、個別化と一般化という2つの相反する作業を的確に行うことである。
浅はかなナショナリズムにおいては、外国人が犯罪を行ったなど、他国に関する悪い事実をその国の国民全体に共通する悪い特徴と、過度に一般化する傾向がある。それが民族的偏見を創り出す。過度な一般化に対しては、外国を様々な人の集まりという個別化の視点で見る必要がある。外国人にも自国の人にも、善人もいれば悪人もいる。それだけの話である。最近は新聞やテレビのニュースで反日という言葉が使われるようになったが、ある国が丸ごと日本を敵視しているなどというのは妄想である。旅行の楽しみは、外国で様々な人と交流することである。個人レベルの交流について、私は日韓関係の将来を楽観的に考えている。
他方、国民という単位での議論を避けてはならないテーマもある。特に、歴史の総括はそうである。祖父や曽祖父の世代の日本人がアジア諸国を攻撃したり、植民地支配を行ったりしたことについて、今の世代には責任がないという議論が日本ではある。しかし、これは個別化の行き過ぎである。個人レベルで相続があるように、国民レベルでも相続はある。私たちの世代の日本人は、朝鮮戦争から冷戦時代の中で日本が経済発展したことの恩恵に浴してきた。いわば大きな遺産を相続した。それならば、前の世代が放置した負債についても相続し、それを償うことが我々の責任となる。我々は過去の日本人が行ったことから無縁ではありえないのである。
インドとパキスタンの衝突を見るにつけ、ナショナリズムを克服することの困難を痛感させられる。日韓の信頼友好関係を取り戻すためには、歴史に関する正確な知識を持ち、お互いの国民的な誇りを尊重し合うことが出発点となる。今の日本で愛国を高唱する政治家は、自分の言葉や文化を奪われた隣国民の経験について思いを致さなければならない。声高に隣国民を侮辱する一部の運動について、それは日本国民の品位を貶めるという厳しい批判のメッセージを伝えることも必要である。