日本で生まれ、この年までおもに日本で暮らしてきたので、恥ずかしいことだが私のウリマル(朝鮮語)の語彙数は貧弱なままだ。この夏、私は新しく、「暴炎」という言葉を覚えた。日本語では酷暑(苛酷な暑さ)という言い方が一般的だが、暴炎のほうがより実感に近い。テレビニュースなどでは、「命に危険のある暑さ」という表現を多用して熱中病対策を呼び掛けている。熱中病で死亡する犠牲者も相次いでいる。7月18日から23日までの6日間だけで死者数は94人にのぼったという報道もある(毎日新聞7月24日)。いまは8月最終週だが、暑さはまだ続いている。死者数もさらに増加しているにちがいない。
短期間におよそ100人もの人が食品中毒死ないし交通事故死したとしたら、世論はもっと大きく問題視しているだろう。なぜ熱中症にたいしては、危機感が薄いのだろうか。私なりに推察すると、犠牲者が高齢者であり、おおむね低所得の独居者が多いからではないか。つまり壮年層や富裕層にとっては他人事なのである。
地球全体の異常な高温化と熱中症急増の背景に、地球環境の破壊と温暖化があることは容易に想像できる。そうだとすれば、これは天災というより大規模な人災である。しかし、こうした人災は原因と結果の関係を論証することが容易ではなく、しかも被害が現れて問題が表面化するまで長い時間がかかる。そのため、きょうの利益にのみ熱心で明日に対しては無責任な政府や企業は、従来の政策や戦略を改めようとはしない。それどころか、米国は2017年6月、すべての締約国が地球温暖化問題に取り組むことを定めたパリ協定から一方的に離脱した。視野の狭い利己主義(アメリカ第一)によって全世界の安全が危機にさらされた。その皺寄せを真っ先に受けるのは老人や貧困層など社会的弱者である。これは原子力発電所事故と同一の構造だ。ただし、その規模や範囲ははるかに大きい。
この全世界的な異常気象の中で、収入もなく、住む家もなく、国家や公的機関の援助も期待できない人々、「難民」はどうしているだろうか。気にかかる。炎天に焼かれる旅人には、せめて日陰に招きいれてコップ一杯の水でも差し出したい。それが人倫の基礎だと思いたいのだが、現実はどうだろうか?
夜の海に黒々と浮かぶ島。そのあちこちで火の手が上がっていた。炎が海面に反射してキラキラと光り、凄絶なまでに美しかった。それは島民の住む村々を焼き払う焦土化作戦の炎であった。米軍の艦船がぐるりと島を取り囲んでいた。焼き討ちされた島民たちが海に逃げ出すのを阻むためである。
かなり前のことになるが、済州島出身の元老小説家・玄基栄先生が来日された際、その講演で聴いた話である。黙示録的、と言おうか。玄基栄先生が、むしろ恥ずかしそうに訥々と語ったその光景が、私の心に深く刻印されている。
1948年から54年まで続いた済州島4・3事件の過程で、島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺され、村々の70パーセントが焼き尽くされたといわれる。済州島は日本とつながりの深い土地である。植民地時代には大阪との間を定期船が結び、日本に出稼ぎに行った者が多く、解放後済州島に帰還した者も多い。解放直後の混乱の中、地獄と化した済州島から脱出した人々が荒れた海を渡って、地理的に近く、親せきや知人の住む日本に向かったのは自然なことだった。しかし、米軍政と李承晩政権当局はこれを「ペルゲンイ」(親北赤化勢力)と見なして弾圧した。米軍政と日本政府はこの人々を一律に「密入国者」と規定して入国を阻んだ。拘束された密入国者は李承晩政権下の韓国に強制送還されたが、それは彼らにとって地獄への送還であり死にも等しい仕打ちであった。
済州島からは4・3事件直後に2万人が日本に脱出したとされる。正確な数を把握することは出来ないが1946年~1949年にかけて、日本から強制送還された密入国者数は5万人近くに達し、未検挙者をその3倍~4倍と計算すると、密入国者総数は20万人~25万人ほどと推定される。そのまま日本に住み続けた者も多く、これらは在日朝鮮人の大きな部分を占めている。
私のおじ(父の弟)も、済州島からではないが、密入国者であった。植民地時代に日本で生まれたおじは、解放後祖父とともに帰国したが、朝鮮戦争の戦災のため孤児同然になり、まだ少年の身で、生きるために命がけで海を渡って兄(私の父)の住む日本に密航してきた。日本では身分を隠し、偽の日本名を使って生きた。もう一人のおじ(母の妹の夫)も日本で育ったが解放後帰国し、朝鮮戦争の戦火を逃れて日本に密航してきた。彼の長女(私のいとこ)は親と離れ離れになってひとり釜山で育った。
こんな話は在日朝鮮人にとって珍しいものではない。どの家にも家族史をひもといてみると、必ずと言っていいほど、このような密航者や離散家族の存在が隠されている。「密航者」を言い換えれば「難民」である。難民の歴史は私たちにとって他人事ではない。私たちは難民の家族なのだ。
夜の海に赤々と燃え上がって浮かぶ島、済州島。そこにいま、地球の果てから難民たちがたどり着いている。「世界最悪の人道危機」と呼ばれる内戦が続くイエメンから500人を超える難民申請者がやってきた。日本の新聞(朝日新聞8月6日)が伝えるところでは、済州島民の間に戸惑いは広がったが、救いの手を差し伸べる人々も少なくない。格安料金でイエメン難民を受け入れたホテル経営者はこう語ったという。「私たちの父母世代は(4・3事件当時)日本に渡って命をとりとめた。イエメン人も国を出ざるを得なかったと聞き、放っておけなくなった。」
このホテル経営者の素朴な感情は貴重なものであり、多くの朝鮮民族が共有すべきものである。だが、世論調査などを見ると韓国社会全体としては難民受け入れに対して、比較的若い知識層に拒否感が強いという。それが事実なら、失望を通り越して羞恥を覚える。
トランプ米大統領は「メキシコ人はみな強姦者だ」と叫び、国境沿いの分断壁建設を主張し、少なからぬ米国国民がこれを支持した。日本の右翼勢力は折に触れて「朝鮮人や中国人は犯罪者だ」というヘイト宣伝を流し、関東大震災時の朝鮮人虐殺事件という歴史的事実まで否定しようとする。いま韓国の人びとが、イスラム教徒は強姦者だなどという妄言に惑わされて彼らを拒絶するとすれば、米国大統領や日本右派を批判する倫理的根拠をみずから棄て去ることを意味するだろう。それでいいのか。
難民とは国家による庇護の外へ放り出された人々のことだ。私たち朝鮮民族はかつて国家を失い、植民地時代には中国、ロシア、南北アメリカ、そして日本へと流れて行った。ようやく植民地支配から解放された後には国土が分断され、南から北へ、北から南へとさ迷った。その苦難の歴史の中で、それでも自ら誇りうることがあるとすれば、私たちは難民になったことはあるが、他民族を難民にしたことはない、ということではないか。イエメン人、シリア人、パレスチナ人、メキシコ人、その他第三世界の人々……彼らの経験は私たち朝鮮民族のそれと共通している。私たちにとって最大の資産は、同様の経験に苦しむ世界の人々の共感を得ることのできる倫理性であるはずだ。
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の2017年年次報告によると、難民認定数が最も多かった国はドイツの147,671名、認定率は25.7パーセントであった。カナダは認定数13,121名、認定率は最も高い59.7パーセントである。これに対し、韓国は認定数121名、認定率2.0パーセント。日本は認定数20名、認定率0.2パーセント。韓日両国は世界で1、2の難民に閉鎖的な国である。いまこそ、韓国はこの恥ずべき状況を抜け出して、東アジアにおいて難民・移民にたいしてももっとも開かれた国、もっとも寛容な国を目指すべきであろう。
かつて済州島民を焼き殺した炎の明かりを、いま、世界の難民たちに避難所の存在を告げるたいまつにすべきではないか。その明かりに導かれるようにこの国にたどり着いた人々を、両手を広げて迎え入れよ。それは誇らしく喜ばしいことである。