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[寄稿]北朝鮮の非核化の意志の有無

登録:2018-07-16 06:53 修正:2018-07-16 08:05
金景一北京大学教授//ハンギョレ新聞社

 マイク・ポンペオ米国務長官の3度目の訪朝後、北朝鮮はポンペオ長官が「CVID(完全かつ検証可能で、不可逆的な核廃棄)や申告、検証を云々し、一方的で強盗のような要求ばかり持ち出した」とし、「すでに合意された終戦宣言問題も先延ばししようとする立場を取った」と非難した。ポンペオ長官が“手ぶら”で帰国した後、米国では北朝鮮を非難する声が高まった。北朝鮮に非核化の意志がないことを確認したとし、「非核化は水の泡となった」という発言まで飛び出した。朝米首脳会談からわずか1カ月後の風景だ。

 ポンペオ長官のたった一度の“失敗”がこのような事態をもたらした。どこで問題が起きたのだろうか? 北朝鮮は本当に非核化への意志もなく「過去のパターン」を繰り返し、詭計をめぐらしているのだろうか?

 中国の古典「紅楼夢」には「假作真時真亦假」という言葉が出ている。うそが真実になり変わると、真実さえうそに見えてしまうということだ。米国は北朝鮮の核30年間、北朝鮮の「うそ」を「真実」と見間違えたからこそ、北朝鮮に「騙され続けた」と言い、今の北朝鮮の「真実」をも「うそ」と見做しているのではなかろうか?

 非核化に向けた北朝鮮の意志の真贋は、まだ誰も分からない。結果によって変わる可能性があるためだ。北朝鮮はポンペオ長官との会談後「確固不動な我々の非核化への意志が揺らぎかねない危険な局面に直面することになった」と明らかにした。北朝鮮の言葉通り揺らぐものなら、その意志は本物か、それとも偽物なのか。

 北朝鮮の非核化への意志を見極めるためには、北朝鮮がなぜ非核化を持ち出したのか、その変化の原因から明らかにしなければならない。カール・マルクスは変化を量的変化と質的変化に分類した。量的変化が飽和点に達すると、質的変化、すなわち構造的変化が起きる。量的変化により多くの複合的要素がを積み重なった結果、質的変化を引き起こす臨界点に至るようになる。今日我々は、この臨界点、つまり北朝鮮の変化の臨界点に直面している。一部ではこの臨界点が北朝鮮が制裁に耐え切れず、他律的に行なわれたと言われている。果たしてそうだろうか?

 北朝鮮の量的変化は、核開発を進めた30年間にわたり行われてきた。その30年間は、北朝鮮にとってあまりに凄絶な経験だった。1980年代半ばまで経済の絶頂期を享受した北朝鮮は、わずか10年で数千~数万の餓死者が出る惨状を目の当たりにした。一見すると、10年動乱を経験した中国の文化大革命と匹敵する巨大な被害を受け、変化への切迫感が強く生まれた。

 金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長が政権を握り、北朝鮮は静かながらも、確実な量的変化を見せ始めた。権力を下部に移譲し、全国に20以上の開発区を設立するなど、大きなロードマップを描き始めたのだ。「我々式経済管理方法」が実施され、経済は不思議なほど上昇の勢いに乗り始めた。北朝鮮の非核化への意志は、まさにこの変化を熱望する切迫感から読み解かなければならない。

 北朝鮮は4月、労働党第7期3回全員会議で「核・ミサイル実験の中止と経済邁進」という新しい戦略路線を打ち出した。北朝鮮の核開発30年の歴史を振り返ると、これは革命に近い質的変化を予告したものだ。実際、「経済邁進」と「非核化」は共振共鳴の関係だ。「経済邁進」進むほど、「非核化」にも進展が見られ、また「非核化」が“先導車両”の役割を果たせば、「経済邁進」も一気に進む可能性がある。逆に、北朝鮮は大きなロードマップではなく、一部で言う“姑息な手”で「核保有」の実現を目指すなら、北朝鮮は大げさな目標を放棄し、「苦難の行軍」時代に逆戻りするだろう。

 古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスは「同じ川に二度入ることができない」とした。今日の朝鮮半島の政局は二度と戻れない臨界点に達した。南北だけでなく、北東アジア全体が絶対に失敗してはならないゲームを行っている。そのような意味で、北朝鮮の非核化の意志を固くするのは、北朝鮮だけでなく、北東アジア全体の役割でもある。

金景一北京大学教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/853370.html韓国語原文入力:2018-07-15 20:58
訳H.J

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