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[特派員コラム]彼らはいつ故郷へ帰ってくるだろうか

登録:2018-05-31 23:37 修正:2018-06-01 08:05
31日、長崎県の壱峻島の天徳寺で朝鮮人犠牲者131人の魂を追悼する法要が開かれている=壱峻島/チョ・ギウォン特派員//ハンギョレ新聞社

 「このことを必ず書いてください。1945年、壱岐島と対馬付近で難波した帰国船に乗り、九死に一生を得て助かった方や、その方の子孫がいらっしゃれば私たちに必ず連絡を下さいということを」

 5月30日、福岡の祇園駅付近に朝鮮人遺骨奉還事業をしてきた韓国と日本の市民団体の人々が集まった。翌日の31日、埼玉県にある寺、金乗院にあった朝鮮人遺骨131具を長崎県の壱岐島にある寺、天徳寺に移す行事が開かれたが、この行事に参加するために集まった人々だった。壱岐島に移管される遺骨は、朝鮮半島が解放された直後の1945年秋、帰国船に乗ったが船が難波して壱岐島と対馬付近で命を失った朝鮮人の一部のものだ。相当数は徴用で連れて来られたと推定される。長い間遺骨を保管してきた金乗院が、これ以上は遺骨の保管が難しくなり、天徳寺が保管を申し出て移管された。

31日、長崎県の壱峻島の天徳寺で行事参加者らが朝鮮人犠牲者の遺骨を移している=壱峻島/チョ・ギウォン特派員//ハンギョレ新聞社

 生存者や生存者家族の連絡を待っていると話した人は、北海道にある寺、一乗寺の住職で東アジア市民ネットワークの代表を務める殿平善彦氏だ。殿平氏が生存者を探す理由は、まだ壱岐島や対馬のどこかに発掘されていない朝鮮人の遺骨が残っている可能性が高く、遺骨発掘作業を始めるためには生存者や生存者家族の証言が緊要なためだ。生存者の一部は、死亡した朝鮮人同僚を埋葬する作業にも参加した可能性が高いので、埋めた場所を探すにも彼らの証言が重要な端緒になりうるということだ。殿平氏が朝鮮人の遺骨発掘、および奉還活動を始めたのは1970年代で、40年以上の長きにわたりこの活動に参加したわけだ。

 教師として仕事をして退職した正木峰夫氏は、朝鮮人遺骨発掘と奉還に青春を捧げた人物だ。その契機は「広島三菱重工業朝鮮人強制徴用被害者失踪事件」だった。1945年9月、広島三菱重工業徴用被害朝鮮人が、帰国船に乗って失踪したが、30余年後になって彼らが船の難波で亡くなり、遺体は壱岐島に埋葬されたという推定が出てきた。結局1976年、壱岐島で朝鮮人遺骸発掘事業が行われ、正木氏も発掘作業に参加した。正木氏は「壱岐島で朝鮮人遺体埋葬地を見つけたが、諸般の状況から見て三菱重工業徴用被害者ではないと判断した。だが、朝鮮人の遺体が故郷へ帰れずにいるのは正しい戦後処理ではないと考え、この活動を継続している」と話した。

 市民団体「戦没者遺骨を家族の元へ」の活動家である上田慶司氏も、朝鮮人遺骨奉還活動をして30年を超えた。朝鮮人強制労働問題に関連する運動をして、遺骨だけでも送りかえしてほしいという韓国人遺族の話を聞き、遺骨奉還運動に集中し始めた。上田氏は、日本の厚生労働省が朝鮮人遺骨奉還に積極的に取り組むべきだと鋭く責任を追及してきた。上田氏は「最近ではないが、4~5年前に右翼と思われる人物が家に(強迫の意味で)ライターを送りつけてきたこともある」とも話した。

31日、長崎県の壱峻島の天徳寺で行事参加者らが朝鮮人犠牲者の遺骨を移している=壱峻島/チョ・ギウォン特派員//ハンギョレ新聞社

 解放後73年が過ぎた今でも、日本には故郷に帰れずにいる朝鮮人遺骨が各地に残っている。日本の市民団体が朝鮮人の遺骨を絶えず探して故郷へ送りかえそうとする努力を数十年間続けているのを見れば、複雑な思いを隠せない。日本の市民団体は「韓国政府が積極的に乗り出さなければ、日本政府に要請することも簡単ではない」と話す。日本の市民団体の努力も重要だが、結局この問題の最大の当事者は私たち韓国人と韓国政府だ。

チョ・ギウォン東京特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/847169.html韓国語原文入力:2018-05-31 18:21
訳J.S

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