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[特派員コラム]“ハンギョレ”の平壌支局はいつできるだろうか

登録:2018-05-04 00:24 修正:2018-05-04 07:47
キム・ウェヒョン北京特派員//ハンギョレ新聞社

 「新華社通信が台湾に送った記者2人が本日台北に到着した。これは祖国大陸(中国)のメディアにとって台湾に記者を送った初の事例だ」

 2001年2月8日、台北に初めて派遣された新華社通信の記者、范麗青と陳斌華は、自分たちの到着のニュースを興奮と共に打電した。1949年、中華人民共和国建国以来初めてだったが、何よりも2000年5月の陳水扁総統就任以来進められた「取材開放」政策の結果であった。

 陳水扁政府は、新華社通信、人民日報、中国中央テレビ(CCTV)、中央人民ラジオ(CNR)の4大メディアを皮切りに中国メディアに門戸を開放した。中国共産党の宣伝機関である官営メディアの台湾進入を許容する果敢な決定だった。たとえ台湾に歴史的な初の政権交替がなされ、民進党が執権したとはいえ、野党になった国民党が50年前まで共産党と銃口をあわせた記憶は依然として鮮烈だった。

 反対に、台湾の記者が中国に登場したのはそれよりかなり前のことだった。1987年9月11日、台湾の「自立晩報」は記者2人の中国取材許可を日本の東京から迂回的に受け取り、初の中国取材を進めた。同年11月には蒋経国総統が「老兵故郷訪問」を許容する両岸(中国-台湾)交流政策を電撃的に開始し、中国当局は台湾の記者たちの訪問を歓迎することにした。台湾メディアは離散家族対面取材のために中国の地を踏んだ。中国当局は1996年から台湾メディアに公式駐在を許可した。

 しかし、両岸の相互記者派遣は順調ではなかった。権力が隠しておいた敏感な情報を尋ね歩く記者は、スパイの疑いを受けるのが常だ。中国内の台湾記者たちは常時監視されたし、軍事訓練の現場などで逮捕され拘留されて尋問を受けもした。台湾もたいていは共産党員である中国官営メディアの記者たちの取材対象と内容を監視した。

 共産党が一党独裁をする中国と多党制体制の台湾では、メディアの地位も機能・役割も違った。「言論の自由」の幅ぐらい派遣規模の差も大きかった。今日までに中国に立ち寄った台湾の記者は5000人を超えるが、台湾に立ち寄った中国の記者は約200人水準だ。

 こうした過程を経て、現在中国には台湾メディア10社、台湾には中国メディア10社が駐在記者を置いている。だが、依然として制約条件は多い。中国と台湾はまだ互いに“正式支局”の設立を許可していない。個別に記者を派遣しているだけだ。滞留期間は最長3カ月に制限されている。そのため、北京で会う台湾記者たちは、名刺に自宅の住所が記されていて、3カ月ごとに交替させられる。台湾に発つ中国メディアの記者たちも同じだ。中国は台湾記者たちに取材対象の同意を求めて初めて接触できるなどの追加条件を掲げている。互いに信頼が充分でないことが感じられる。

 中国と台湾の記者派遣の歴史を振り返った理由は、朝鮮半島に訪ねてきた“春の日”のためだ。南北各界の交流は出発の信号だけを待っているだろうが、南北の相互理解を向上させるには、報道機関の交流は最も重要な課題に属する。お互いを覗き見る正しい目であるためだ。ある気の早い報道機関は「平壌(ピョンヤン)支局準備委員会」を作ったという。記者たちの中にも「初代特派員」になりたい人が多いだろう。

 日本の共同通信は、総連など各種のチャンネルで北朝鮮当局を数年間説得したあげく、2006年に平壌支局の開設に成功したという。韓国のメディアが、体制の違いを克服し、取材の条件を保証されて平壌支局を設立する日はいつになるだろうか?両岸の先例に見るように簡単なことではないが、夢のような現実を見続けているためか、夢見ていればすべて実現しそうに思える。

キム・ウェヒョン北京特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2018-05-03 20:15

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/843198.html 訳J.S

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