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[寄稿]記憶の虐殺者たち

登録:2017-08-20 16:25 修正:2017-08-20 16:31

 8月がやって来た。8月は戦争の記憶がよみがえる月。よみがえる記憶と、それを封印、歪曲、消去、美化しようとする勢力との抗争の月である。第二次世界大戦以降、現在まで地球上で大小の戦争が途絶えたことがない。「忘却に対する記憶の闘い」は終始、記憶の側の苦戦が続いている。とくに日本で、そのことが甚だしい。

 過去1年間の日本では、安倍晋三首相とその周辺(妻やお友だち)による権力の私物化が大きな問題になった。国会で追及を受けた政治家や官僚が異口同音に繰り返したセリフは、「記憶にない」「記録は廃棄した」である。わずか1年前の出来事の記憶がないと、平然と言い張るのである。これが集団的健忘症だとしたら緊急治療が必要なレベルであり、少なくとも一国の政府の重要な職務を担当できる状態ではない。これは明らかに、意図された虚言であり、「記憶」「記録」に対する組織的暴力である。

 フランスの歴史学者ピエール・ヴィダル=ナケに『記憶の暗殺者』という著作がある(日本語訳は1995年刊)。第二次世界大戦中、両親がアウシュヴィッツに送られた経験を持つ著者は、古代ギリシャ史の専門家であるが、ホロコースト否定論・歴史修正主義と闘い、この著作を残した。著者はまたアルジェリア戦争では同国のフランスからの独立を支持し、フランス軍による拷問を告発したことでも知られる。この書名になぞらえれば、日本ではかつての植民地支配・侵略戦争の「記憶」が系統的に圧殺されてきただけでなく、いま現在、政権による不正腐敗の「記憶」が殺されているのだ。それも隠然とした「暗殺」というより、むしろ白昼公然の「虐殺」である。

 「記憶」を殺すためには、その前提となる「言葉」を殺さなくてはならない。「退却」を「転進」と、「全滅」を「玉砕」と、「敗戦」を「終戦」と言い換えるたぐいの「言葉」の歪曲は日本ではつとに常態化していた。しかし、ここ数年、その歪曲の様相が質的な変化をみせているように思う。PKO法に基づく自衛隊の海外派遣を既成事実化するため、現地で「戦闘」があったとする現場部隊の報告を隠蔽し、そのことが発覚すると、「戦闘ではなく武力衝突だ」と言い張った。この報告書の隠蔽工作に関与した疑いのある、安倍首相お気に入りの防衛大臣は、自分は知らなかったとシラを切り続け、大臣職を辞した後、野党が国会に招致して真相を究明することを求めているが、与党はこれを拒否している。支持率が低迷し始めた安倍首相が口では「一つ一つ丁寧に説明する」と言っているが、実情は正反対である。これらすべてのことが示しているのは「言葉」に対する、したがって「記録」や「記憶」ひいては「歴史認識」に対する、極端な冷笑主義である。記録は改ざんまたは隠蔽できるし、記憶は歪曲または消去できる、人々はやがて「忘却」するだろうし、そのことが権力を利するはずだという確信。まさに記憶の殺戮者の陰湿な確信である。

 彼らは第二次世界大戦敗戦後から実に執拗にこの記憶殺戮プロジェクトに取り組んできたが、それは1990年代以降、つまりアジアの被害者たちの登場以降、露骨化した。これはたんに、日本国家主義の台頭というより、「言葉」の破壊(つまり言語によって支えられる普遍的な理性や知性の破壊)という意味で、より根本的な危機というべきだ。

 真実を重んじるつもりのない相手と、真実を基礎として議論することができるか。虚言を弄して恥じない相手を「恥を知れ」と批判することに効果があるのか。論理的整合性など鼻にもかけない相手に、筋道を立てて論じろと要求して意味があるのだろうか。このような状況では誰も相手の言うことを信じられず、ものごとを判断する基準は「自分の欲望」にしかないということになる。たとえ極右排外主義者のような攻撃的な姿勢はとらないまでも、他者との対話そのものに対して初めから冷笑的な人々が増えていく。まさに「倫理的惨事」である。長く続いたこの「倫理的惨事」のために日本社会がすでに負わされた傷を克服するには、かりに今すぐとりかかったとしても、今後数世代はかかるだろう。そうかといって、このまま現状を放置したとすれば、日本は近い将来、1930年代そうだったように国際社会から孤立し、人類平和の破壊者という役割を再演することになるだろう。

 こういう時代にあって私が想起するのは、過去にも何度かコラムでとりあげた、加藤周一先生である。加藤周一は2008年に満89歳で世を去った。いまかりに彼が存命だったなら、日本と世界の現状をどう見ただろうか?

 加藤周一は日本の「戦後民主主義」の思想と精神をもっとも明瞭に体現する知識人であった。侵略戦争と敗戦という失敗の経験を苦く噛みしめながら、今後の日本社会をよりよいものにして行こうとする精神、そのことを通じて「人間的」な普遍的価値を社会全体で実現していこうとする理想主義。その思想や精神は、敗戦後の日本で、数百万人の自国民とそれをはるかに上回る数の被侵略諸民族の血を吸った土壌から芽吹いた青々とした草であった。だが、「戦後民主主義」の理想を重んじる人々は当時でさえ日本では少数派であったし、70余年後の現在ではほとんど姿を消しつつあると思える。

 「戦後民主主義」は、天皇制を温存したこと、植民地支配についての歴史認識が欠如していたこと、などの多くの点で批判さるべき欠陥をもつものであったが、それでも、「人権」「民主主義」「平和」といった普遍的諸価値はたとえタテマエとしてだけでも前面に掲げられた。右派、保守派の抵抗はあるにせよ、このタテマエに実質を与えて、これらの欠陥を克服していくことが、戦後日本の進歩派に課せられた責務であった。戦後しばらくの間は、そのような改革の希望は捨て去られてはいなかった。しかし、現在では戦後民主主義が掲げた普遍的諸価値は冷笑され、代わって利益と力だけが信奉される社会が到来した。

 国家権力の横暴以上に嘆かわしいのは、反知性主義の横行、冷笑と無関心の蔓延という現象である。知識人たちは、この危機に抵抗する責務を負っているはずだが、残念ながら知識人たちの多くも、この症状に感染して自己の役割を放棄するか、むしろすすんで反知性主義の側に立ち、ニセ知識人へと転落している。

 加藤周一に「言葉と戦車」と題する1文がある。1968年、チェコスロヴァキアにおいて「プラハの春」と称される「自由化」運動が起こり、ソ連軍が軍事介入して鎮圧するという事件があった。彼はこの事件を至近距離からつぶさに目撃した。「言葉はどれほど鋭くても、またどれほど多くの人々の声となっても、一台の戦車さえ破壊することができない。戦車は、すべての声を沈黙させることができるし、プラハの全体を破壊することさえもできる。しかし、プラハ街頭における戦車の存在そのものをみずから正当化することだけはできないだろう。自分自身を正当化するためには、どうしても言葉を必要とする。(中略)1968年の春、小雨に濡れたプラハの街頭に相対していたものは、圧倒的に無力な戦車と、無力で圧倒的な言葉であった。」

 この時期(60年代後半)、韓国ではアメリカの要求を受けて朴正熙(パクチョンヒ)政権がベトナムに派兵し、後の維新体制に向けて独裁を強化しつつあった(1969年「三選改憲」)。1979年、朴正熙大統領が側近に暗殺され、プラハから10年余り遅れて韓国にも「春」が到来した。しかし、「ソウルの春」は1980年光州5・18によって弾圧された。「戦車」が「言葉」を圧し潰したのである。

徐京植(ソ・ギョンシク) 東京経済大学教授//ハンギョレ新聞社

 韓国ではその後も繰り返し「言葉」が「戦車」を圧倒する瞬間が訪れた。その最近のものは、市民の平和的示威によって朴槿恵(パク・クネ)弾劾を勝ち取った闘争である。一方、日本では、「言葉」はじわじわと圧殺され、空洞化してしまった。「言葉」への信頼が根本的に破壊されたので、日本の政治権力は「戦車」なしで人民を統治することができる。これに抵抗しようとする人々は、「言葉」を再建するという仕事から始めなければならないのである。文筆家、ジャーナリスト、教員など、言葉に携わる人々の責任は重い。(なお、この文章を収めた加藤周一の論集『言葉と戦車を見すえて』の韓国版が今秋刊行される予定である。)

徐京植(ソ・ギョンシク) 東京経済大学教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2017-08-10 18:11

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/806374.html

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