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[寄稿]悪夢の時代に見る映画

登録:2017-04-21 07:06 修正:2017-04-21 08:02
ケン・ローチ監督の「わたしは、ダニエル・ブレイク」//ハンギョレ新聞社

 昨年末頃から肩や腕が痛みはじめ、2月3月はEメールの返信もできないほどだった。加齢から来る神経痛のようだが、私自身はこの症状を「トランプ症候群」と称している。

 前回この欄で、トランプ大統領誕生と「悪夢時代」の始まりについて語った。それが、刻々と深刻さを増している。去る4月6日にアメリカ軍は突然シリアへの空爆を実行した。トランプは政府軍側の科学兵器の犠牲になった「美しい赤ん坊」の映像を見て心を動かされたのだという。ただし、シリア政府は化学兵器の所持も使用も否定しており、中立的な機関による公正な検証を要求している。確証もなく、国際機関による事前の合意もないままにこの攻撃は強行された。トランプは訪米中の習近平中国国家主席と夕食をともにし、「素晴らしいチョコレートケーキ」のデザートに移る直前に攻撃命令を下したのだという。米軍によるこの攻撃によっても多くの犠牲者が出たはずだが、その姿は、少なくとも日本では、ほとんど伝えられていない。

 「美しい赤ん坊」の姿に心を動かされるほど人道的な彼が、どうして難民の入国を拒否し続けるのか。低迷する支持率の回復をはかるため、「アメリカにとって損なことはしない」という従来の主張とも矛盾する即興的な賭博的行為に打って出たという見方があるが、案の定、アメリカ国内で彼の支持率は上昇した。アメリカはその後、アフガニスタンで「核兵器に次ぐ破壊兵器」とされる巨大爆弾(MOAB)を使用した。これは北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)への威嚇行為であるとみられている。空母が朝鮮半島近海に向かっており、日本やグアムに存在する米軍基地は臨戦態勢をとっている。「北」は必要とあらば「超強硬手段」で応じると言明している。日本の安倍総理は誰よりも率先して、そんなトランプ大統領の「決意」を支持すると表明した。自らの妻も巻き込んだ疑獄事件の追及を受け、彼の支持率はこのところ下がり始めている。この状況を強行突破する好機と見て、戦争気分を煽っているのであろう。

 「悪夢の時代」の特徴は、理性が機能せず、対話が成立しない、というところにある。合理的に考えれば、あるいは過去の経験則によれば、起こりえないだろうと思われたことが起こってしまうということだ。最悪のシナリオはいうまでもなく朝鮮半島における本格的な戦争状態の勃発だ。「そうはならないだろう」という楽観には確たる根拠がない。幸いそこまで至らなかった場合でも、軍事的緊張状態の継続は平和と民主主義の機運を大いに損ねる。韓国では大統領選挙を控え、前大統領の罷免まで勝ち取った成果が霧散させられてしまう恐れは強い。日本では排外主義がいっそう高まり、全体主義が急速に強化されるだろう。その過程で反対派や少数者が理不尽な犠牲を強いられることになる。

 百田尚樹(ひゃくた・なおき)という作家がいる。安倍総理と個人的に親しく、その肝いりで2013年から1期、NHK経営委員を務めた。この作家が最近、みずからのツイッターでこんなことを公言した。「もし北朝鮮のミサイルで私の家族が死に私が生き残ったなら、私はテロ組織を作って日本国内の敵を潰しに行く」。このツイートに対して、多くの賛辞が寄せられているようだ。日本国民は1923年関東大震災当時の虐殺事件から何も学ばず、ナチスによるホロコースト、カンボジアやルワンダでの大虐殺事件からも何も学ばなかった。そういう社会で生きていくほかない少数者はいまどんな心境でいるか。こんなツイートを流す「作家」やそれに「いいね」と賛辞を送る人々が、どこまで本気なのか、たんなる遊び気分なのか、わからない。ただ確実に言えることは、それが確実に少数者の精神を蝕み、生命を脅かしているということだ。

 こんな悪夢の時代に、どんな映画を観るべきか。ある日、都心に出かけて、ケン・ローチ監督の最新作「わたしは、ダニエル・ブレイク」を観た。この映画は昨年の第69回カンヌ国際映画祭でパルムドール(最高賞)に選ばれた。平日の午後だったが、映画館は満席だった。あとで知ったことだが、この種の映画としては「大健闘」といえるヒットなのだそうだ。

 イギリス北東部のニューカッスルに住む59歳の大工ダニエル・ブレイクは最愛の妻を失って一人暮らしである。心臓の病で医者から仕事を止められたため、必要な公的援助を受けようとするが複雑な制度の壁に阻まれてなかなかうまくいかない。ダニエルは、障害者手当の審査のため福祉事務所に呼び出される。仕事に就ける健康状態ではないと医師には言われたが、福祉事務所の担当者はマニュアルどおりに無意味な質問を繰り返した揚げ句、就労可能という判断を下す。職業安定所に足を運ぶと、職員は官僚的で侮辱的な態度に終始する。その上、失業保険の手続きは難関だらけだ。システムが完全にデジタル化されており、コンピューターと無縁の人生を送ってきたダニエルには手に負えない。苦労して長い申請書を書き終えても、最後に「エラー」表示が出て完成できない。電話で担当者に問い合わせると、延々と待たされるばかりだ。すでに「高齢者」に分類されている私は、この場面に大きく共感した。私なら腹を立てて「もういい」と電話を切ってしまうところだが、生活のかかっているダニエルにはそれもできない。誰しもスマホなしには生存できない社会になってしまった。世界の億万長者にはIT産業の経営者たちが名を連ねる。すべてIT産業はお役所仕事との共犯で弱者を搾取しているのである。

 ある日、職業安定所でダニエルは1人の女性が冷淡な扱いを受けているのを見た。彼女は面談に遅刻したことを理由に厳しい措置を言い渡され、最低限の生活に必要なお金にも事欠いている。この女性ケイティは子供2人を抱えたシングルマザーであった。見かねて手を差し伸べたダニエルとケイティは交流を深め、貧困に苦しみながらも助け合って生きていこうとする。

 映画を観ている最中に、私は少なくとも三度、泣いてしまった。1度目は子供たちの食べ物を得るためフードバンク(食料を無料で配給する福祉団体)を訪れたケイティが、自分自身のあまりの空腹に耐えかねてその場で缶詰を開き中身を口に入れる場面。ケイティは自分のとっさの振る舞いを激しく恥じるがダニエルは「大丈夫だ、平気だ…」と慰める。監督インタビューによると、この場面の撮影前には出演者全員に詳細な台本は示されず、ただケイティ役の女優だけが流れを教えられていたそうだ。他の出演者は予期せぬ展開に不意を突かれ、取り乱し、その場の判断で懸命に演じることになる。これはケン・ローチがしばしば用いる手法である。

 二度目は、ダニエルが亡き妻の思い出を語る場面。三度目は生活に窮したケイティがとうとう身を売る場面。その売春宿を探し当てたダニエルは「頼むからこんなことはやめてくれ!」と泣く。私もいっしょに泣いた。そのダニエルが理不尽なまま生涯を終える最後の場面では、私は泣くよりもむしろ、ようやく彼が生の重荷から解放されたことに安堵感すら覚えた。

 映画が終わると、「揺り籠から墓場まで」という言葉が脳裏に浮かんでいた。私が小学生だった頃、イギリスの福祉行政の充実ぶりを表現する言葉、目指すべき理想的な社会をあらわす標語として社会科の授業で習った。ケン・ローチ監督は自分の好きな映画として、イタリアのデ・シーカ監督作品「自転車泥棒」(1948)を挙げている。大戦直後の荒廃と貧窮の中、唯一の生活手段である自転車を盗まれてしまう不運な父子の話で、私自身にとっても忘れがたい名作である。それから半世紀以上が経ったいま、世界は少しも良くならなかった。

徐京植 東京経済大学教授//ハンギョレ新聞社

 2012年4月、サッチャー首相が世を去ったとき、ケン・ローチは新聞に「弔辞」を寄せた(The Guardian.2013.4.8)。「マーガレット・サッチャーは、現代において、もっとも分断と破壊を引き起こした首相でした。(中略)今日、私たちが置かれている悲惨な状態は、彼女が始めた政策によるものです。(中略)彼女が、マンデラをテロリストと呼び、虐待者であり殺人者であるピノチェトをお茶に招いていたことを想い起して下さい。私たちはどのように彼女を弔うべきなのでしょうか?彼女の葬儀を民営化しましょう。競争入札にかけて、最安値を示した業者に落札させるのです。きっと彼女も、それを望んでいたことでしょう。」

 「ニューズウィーク」に「ケン・ローチが描くイギリスの冷酷な現実 Daniel Against the System」と題するこの映画の紹介記事が出た(ジューン・トーマス、日本版2017年3月21日)。その結びの言葉はこうである。「アメリカの観客は、ダニエルの医療費を国が負担してくれるだけましと思うはず。」そのアメリカの大統領が大富豪トランプであり、誰より忠実なトランプ追随者が安倍晋三である。

 一貫して貧しい庶民の立場から正義を求め続けてきたケン・ローチ監督が、80歳になったいまもこういう映画を作らなければならなかったことはひとつの悲劇である。しかし、同時に、彼がこの映画で示した庶民の善性への信頼と不屈の闘志は、後に続く者たちへの福音である。

徐京植(ソ・ギョンシク) 東京経済大学教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2017-04-20 18:29

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/791622.html

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