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[寄稿]「ハンギョレ新聞ならば」

登録:2017-06-22 22:41 修正:2017-06-24 23:50

 「ハンギョレ新聞ならば」他とは違わなければならないと考える人々が多い。ハンギョレはどのような新聞なのか。1961年5月、冷酷な朴正煕(パク・チョンヒ)戒厳軍治下でわずか創刊3カ月だった「民族日報」が終刊され、その後じつに27年を待って私たちの元に来た進歩言論ではないか。ハンギョレを作ったのは誰か。1975年と1980年、朴正煕と全斗煥(チョン・ドゥファン)政権によって強制解職された東亜闘争委、朝鮮闘争委、80年解職ジャーナリストが前面にいたとすれば、国民株募金に参加した2万7千余人の株主がその後をかためていた。さらに大きく言えば、87年民主化抗争に立ち上がった市民の皆がハンギョレを作った人と言っても無理ではない。

 ハンギョレの試みは、新しくて革新的だった。ハングル専用の横書きが持たらした変化は、日本式の版組みと記事書きを踏襲してきた韓国のマスコミに変化の出口を開いた。理念的には、政府寄りの保守マスコミ一色だった言論の場に亀裂と分化を持たらし、編集局長直選制や倫理規定準備など新しい組織文化を広めた。進歩新聞が収益を出しにくいというメディアの生態系で、この程度でも耐え抜いたのは、それでも「ハンギョレだからこそ」可能だった。

 ハンギョレと書こうとすると、よく「ホンギョレ(古い民族)」とタイプミスをする。そのたびに直しながら、ふと、もしかしたらハンギョレが持っていた新しさと革新の本能は消滅し、ただの主流言論の一つになってしまったのではないかという疑問が生じる。偶然にも「ハンギョレ新聞ならば」他とは違わなければならないと信じる人々に衝撃と背信を抱かせたことが最近続けて起きた。残念なことに、疑問を確信に転換させるのはいくつかの記事だけでも充分だということを、ハンギョレはまだ知らないようだ。メディアに対する信頼は、実際のところ証拠に基づくより抽象的信念体系に近いためだ。

 ハンギョレは市民の信頼を回復する道が何かを、全社的レベルで苦悩しながら対策を講じなければならない。第一に、何よりハンギョレだけの透徹した記者精神を紙面で証明しなければならない。韓国メディアの悪い慣行と構造的問題を打破しようとする努力を、より先導的に、より激しく続けなければならない。他の新聞があらまし慣習的な記事を書いても、どうでもよい記事を書いても、書きかけのような記事を出しても、「ハンギョレ新聞ならば」そうしてはいけない。精魂込めた取材で、ハンギョレだけの深みある分析と解説が入れられた記事を出さなければならない。事案を大きな枠組みで把握して、歴史性と脈絡性を逃してはならない。第二に、取材源より読者との関係が重要だということをハンギョレは受け入れなければならない。口先だけで読者を叫び、目の高さは力のある者に置いて彼らとの連帯を追求したのではないかという疑いを払拭させるには、心から読者をパートナーとして認定し、読者を中心に置かなければならない。彼らの意見を聞いて反映しようとする努力と試みが多様に行われなければならない。

キム・セウン江原大新聞放送学科教授//ハンギョレ新聞社

 一方、市民もやはり、ハンギョレに対する支持と信頼をまるごと崩すより、一定の範囲内で生産的批判をしていくことが必要だ。市民と進歩言論の葛藤や摩擦で、利益を得るのは誰なのか、きっちり探り警戒しなければならない。公職者候補らの小さな欠陥を膨らませて揺さぶって落馬させた者たちを考えてみよう。能力ある候補を長官にして、思う存分に働かせようとしたように、ハンギョレもきっちり働かせる方法を探してみてはどうだろうか。

キム・セウン江原大学新聞放送学科教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/media/799850.html 韓国語原文入力:2017-06-22 16:34
訳J.S(1724字)

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